第37話 黒曜港管理局へ! 封鎖された地下施設と消えた商人たち
翌朝。
黒曜港の朝は、セントラルの商業地区よりも騒がしかった。
巨大な船が次々と港に入港し、獣人の荷運び人たちが木箱を運び、空には荷物を積んだ小型飛行船が浮かんでいる。
市場からは香辛料の匂いが漂い、見たこともない果物や魔法道具が店先に並んでいた。
「すごいな……。ここだけで、一つの国みたいだ」
蓮が感心していると、隣を歩くバルトがうなずいた。
「黒曜港は、複数の国と商業都市をつなぐ交易の要所だからな。ここを通る荷物は、数えきれないほどある」
「つまり、ここを押さえれば、商品の流れも信用の情報も操作できるってことか」
「そうだ。だからこそ、危険なんだ」
その言葉に、蓮は腰のスマートフォンを確認した。
画面には、昨日見つけた表示が残っている。
【中継管理区画】 【管理者:不明】 【接続先:境界の始点】
あのとき、謎の空間から伸びてきた黒い腕。
スマートフォンを奪おうとした、正体不明の何者か。
そして、空間の裂け目を閉じた瞬間に現れた、不気味な言葉。
――境界の始点。
蓮は小さく息を吐いた。
(偶然じゃない。俺の能力と、あの取引網はつながっている)
「蓮?」
ミリアが顔をのぞき込んできた。
「大丈夫ですか?」
「ああ。ちょっと考え事をしていただけだ」
「無理はしないでくださいね。あの力は、まだ使いこなせていないんですから」
「分かってる。今日は調査が目的だ。戦うために来たんじゃない」
「その言葉、忘れないでくださいね」
ミリアの念押しに、蓮は苦笑した。
その直後。
「蓮様、お待ちになって!」
後ろから、甘い声が飛んできた。
振り返ると、黒と深紅のドレスをまとったヴェルティアが、優雅に歩いてくる。
朝の港には不釣り合いなほど美しく、周囲の人々が思わず振り返っていた。
その隣では、セレナが静かに微笑んでいる。
「ヴェルティアさん。今日は調査ですから、目立つ行動は控えてくださいね」
「もちろんですわ、セレナ様」
ヴェルティアは蓮の腕に手を伸ばしかけた。
しかし、その前にセレナが自然な動きで蓮の隣に立つ。
「蓮、こちらよ」
「お、おう」
「……あら」
ヴェルティアの赤い瞳が細くなった。
「セレナ様、ずいぶんと蓮様のお近くにいらっしゃいますのね」
「調査中ですから」
「私も調査中ですわ」
「では、適切な距離を保ちましょうね」
「……ふふ。負けませんわよ」
「何の勝負なんだよ!」
ガルドが後ろから肩をすくめた。
「蓮。お前は商人なんだから、交渉相手との距離感も勉強したほうがいいぞ」
「今のは俺のせいなのか!?」
モモは蓮の頭の上で、持ってきたお菓子をかじっていた。
「わたしはお菓子との距離感を大切にするよ!」
「お前は黙って食べてろ!」
こうして一行は、黒曜港管理局へと向かった。
*
黒曜港管理局は、港を見下ろす小高い丘に建っていた。
黒い石造りの建物には、船や天秤を組み合わせた紋章が掲げられている。
入り口には警備兵が二人立ち、来訪者の身分と用件を確認していた。
蓮がヴェルティアから預かった紹介状を差し出すと、警備兵の表情が変わった。
「黒薔薇の館からの紹介状……?」
「中継管理区画について、調査の許可をお願いしたいんです」
警備兵は書類を確認し、奥へと案内してくれた。
通された執務室には、白髪交じりの男性が座っていた。
「私が管理局長のオルバンだ。ヴェルティア殿から話は聞いている」
局長は蓮たちを見渡した。
「だが、管理区画の調査は簡単には許可できない。過去に何人もの調査員が消息を絶っている」
「消息を絶った?」
蓮の表情が引き締まる。
「最後に確認されたのは、いつですか?」
「三年前だ。商人二人と、管理局の記録係が一人。いずれも地下施設の調査に向かい、そのまま戻らなかった」
バルトが息をのんだ。
「三年前……」
「何か心当たりが?」
「俺の信用値が急落したのも、三年前です。その時期と関係があるかもしれません」
局長はしばらく黙っていたが、やがて机の引き出しから古い書類を取り出した。
「実は、最近になって妙なことが起きている」
書類には、港を通過した商品の記録が並んでいた。
「荷物が届いているのに、受け取った記録が存在しない。逆に、受け取っていないはずの商品が、受領済みになっている。商人たちから苦情が出ているが、記録上は問題がないことになっている」
「記録そのものが書き換えられている可能性がありますね」
ガルドが書類を手に取った。
「帳簿の数字だけでは判断できません。納品書、受領書、運送人の証言を突き合わせる必要があります」
「その通りだ」
局長はうなずいた。
「君たちには、管理区画の手前にある記録保管室への立ち入りを許可しよう。ただし、地下施設の封鎖扉を開けることは認められない」
蓮はすぐに答えた。
「分かりました。許可された範囲だけを調べます。もし危険なものを見つけた場合は、勝手に操作せず報告します」
「よろしい。君の紹介状には、そうした条件を守る人物だと書かれていた」
ヴェルティアが、誇らしげに微笑んだ。
「当然ですわ。蓮様は、約束を大切になさる商人ですもの」
「ヴェルティアさん、ありがとうございます」
「まあ……! お礼までいただけるなんて……!」
「ただのお礼です!」
セレナが、にこりと微笑んだ。
「蓮。そろそろ行きましょうか」
「そうだな!」
蓮は逃げるように立ち上がった。
*
記録保管室は、管理局の地下にあった。
厚い扉を開けると、壁一面に棚が並び、古い帳簿や契約書が年代ごとに整理されていた。
紙の匂いと、長年閉め切られていた部屋特有の冷たい空気が漂う。
「これは……調べるのに何日かかるんだ?」
蓮が棚を見上げる。
ガルドは帳簿を一冊手に取った。
「全部を読む必要はない。異常が起きた時期と、問題の取引先を絞るんだ」
バルトが、かつて自分の店で使っていた取引番号を紙に書き出す。
「この番号が出てきたら、必ず教えてくれ。俺が取引内容を確認する」
「分かった。ミリアは魔法の痕跡を調べてくれ。モモは……」
「お菓子探し!」
「違う! 変な魔法の気配がないか見てくれ!」
「えーっ。お菓子も大事なのに!」
「調査が終わったら買ってやる!」
「やったー! 蓮、大好き!」
「現金な蝶だな……」
一行は手分けして記録を調べ始めた。
最初に異常を見つけたのは、ガルドだった。
「蓮、これを見ろ」
一冊の帳簿が机に置かれた。
「同じ荷物が、同じ日に二つの別々の倉庫へ納品されたことになっている。数量も一致している」
「そんなこと、普通はあり得ないですよね?」
「あり得るとすれば、記録の転記ミスか、意図的な改ざんだ」
バルトも別の書類を持ってきた。
「こっちにもある。三年前、俺が村へ届けた食料と同じ種類の商品が、別の商会へ納品された記録になっている」
「数量は?」
「俺の納品記録より多い。しかも、受領者の署名が俺の知っている人物のものじゃない」
蓮はスマートフォンを取り出した。
「記録を照合してみる」
画面に帳簿の番号を入力すると、取引網の記録が呼び出された。
【取引記録照合】 【原本との不一致:検出】 【変更履歴:一部欠落】 【変更権限:不明】
続けて、別の表示が浮かび上がる。
【共通接続先:中継管理区画】 【接続状態:休眠】 【最終起動:三日前】
「三日前……?」
蓮はヴェルティアを見た。
「昨日、あなたが見せてくれた記録にも、三日前に接続されたってありましたよね」
「ええ。つまり、同じ施設が今も動いている可能性がありますわ」
ミリアが帳簿の端に手をかざした。
「この紙、魔法の残滓があります。古いものではありません。最近、何かの魔法が使われています」
「帳簿に魔法を?」
「記録を複製したり、書き換えたりする魔法かもしれません。ただ、まだ断定はできません」
そのとき、モモが突然、翅を震わせた。
「みんな、ちょっと待って!」
いつもの陽気な声ではなかった。
「この奥……変な匂いがする。あの黒い水晶と同じ、甘い花みたいな匂い」
ヴェルティアの表情が変わった。
「その匂い……」
「知っているんですか?」
蓮が尋ねると、彼女は静かにうなずいた。
「黒い取引網に使われている魔法の匂いですわ。ただし、私が知っているものよりも、ずっと古い」
モモは棚の一番奥へ飛んでいった。
そこには、壁と同じ色に塗られた小さな扉があった。
扉には古い鍵がかかっている。
そして、中央には見覚えのある紋様が刻まれていた。
蝶の羽を思わせる模様。
その周囲を、円形の線が取り囲んでいる。
「月影の羽の模様に似ている……」
ミリアがつぶやいた。
蓮は、月影の羽を見つけた森での出来事を思い出した。
あの羽に触れたとき、モモは一時的に妖精のような姿へと変わった。
そして今、同じ系統の魔法が、この古い扉から感じられる。
「この扉の向こうに、何かあるのか……?」
蓮が一歩近づいた、その瞬間だった。
スマートフォンが激しく振動した。
【警告】 【境界反応:急上昇】 【未知の接続を検出】 【対象:中継管理区画】
「全員、下がって!」
ミリアが叫ぶ。
扉の紋様が、青白く光り始めた。
ガルドが帳簿を抱えて後退し、バルトは蓮の腕をつかんだ。
セレナは即座に蓮の前へ立ち、ヴェルティアも黒い魔力をまとった。
次の瞬間。
扉の向こうから、誰かの声が聞こえた。
『――境界の鍵を確認』
蓮の心臓が跳ねた。
『対象者、佐伯蓮』
「……俺の名前を知っているのか?」
『境界支配能力、確認』
スマートフォンの画面が真っ白に染まった。
【接続要求】 【接続元:境界の始点】 【応答しますか?】
画面の下には、二つの選択肢が表示されていた。
【YES】
【NO】
「待て……勝手に選ぶなよ」
蓮はスマートフォンを握りしめた。
これは単なる取引網ではない。
向こう側は、蓮の能力を認識している。
そして、蓮の名前まで知っている。
セレナが振り返った。
「蓮、絶対に無理をしないで」
「分かってる。今は接続しない」
蓮は、迷わず【NO】を選んだ。
直後、扉の光が消えた。
静寂が戻る。
だが、スマートフォンには新しいメッセージが残されていた。
【応答を確認】 【接続拒否:記録済み】 【次回接続予定:未定】
そして、その下に一行。
【管理者より伝言】
『商人よ。次は、取引条件を提示しよう』
蓮は画面を見つめた。
取引条件。
相手は、自分を殺そうとしているのか。
それとも、何かを売りつけようとしているのか。
どちらにしても、普通の商談ではない。
バルトが低い声で言った。
「蓮……こいつら、俺の信用値を操作した連中とつながっているかもしれない」
「ああ。だからこそ、ここで逃げるわけにはいかない」
蓮はスマートフォンをしまった。
「でも、向こうの条件をそのまま受け入れるつもりもない。まずは、管理局長にこの件を報告しよう」
「賛成です。証拠を確保して、正式な手続きを進めましょう」
ミリアがうなずく。
ガルドは帳簿をまとめながら、苦笑した。
「まったく。お前の商談は、どうして毎回、世界の危機に近づいていくんだ?」
「俺が聞きたいよ!」
モモが蓮の頭に戻り、小さな声でささやいた。
「ねえ、蓮。あの扉の向こう……まだ誰かいるよ」
蓮は、閉ざされた扉を振り返った。
光は消えている。
だが、完全に沈黙したわけではなかった。
扉の向こうから、かすかに。
――コツン。
何かが、内側から扉を叩いた。
一度。
二度。
三度。
そして、声がした。
『交渉開始まで、あと三日』
蓮たちは、一斉に息をのんだ。
黒曜港の地下に眠っていたものが、ついに動き始めたのだった。




