第36話 吸血鬼美女との商談開始! 黒曜港に隠された取引網の秘密
「未来の夫って、どういうことだあああっ!」
翌朝。
宿屋の食堂に、蓮の絶叫が響き渡った。
朝食のパンをかじっていたガルドが、面倒くさそうに顔を上げる。
「朝から元気だな。昨夜も同じことを言っていなかったか?」
「スマホにまで記録されてたんだぞ! 対象者の認識、未来の夫って!」
「よかったじゃないか。異世界の美女に将来性を認められたんだ」
「商人として認められたいんだよ!」
その隣で、セレナが優雅に紅茶を飲んでいた。
笑顔だった。
ただし、目がまったく笑っていない。
「蓮。今日、黒薔薇の館へ行くのよね?」
「あ、ああ。昨日預かった黒い水晶を調べたいし、取引網についても話を聞きたい」
「そう。私も行くわ」
「もちろん一緒に――」
「それから、ヴェルティアさんと、未来の夫という言葉についても、きちんとお話ししないとね」
カップが、ことりとテーブルに置かれた。
蓮は思わず背筋を伸ばした。
(商談より怖い予定が入っている……!)
「れーん!」
モモが、パンくずを抱えて飛んできた。
「わたしも行く! あのお屋敷、お菓子がいっぱいありそう!」
「お前は食べ物目当てだろ!」
「失礼な! お菓子の調査も立派な商人のお仕事だよ!」
「いつからだ!」
「今から!」
ミリアがため息をついた。
「……とにかく、今日は全員で行きましょう。昨日の襲撃犯も逃げています。蓮さんを一人で行かせる理由はありません」
「そうだな。商談の条件は、こちらからも提示する」
バルトが真剣な顔で続けた。
「それに、黒い水晶の記録を確認できれば、俺が信用値を落とされた件と、港の取引網がつながるかもしれない」
その言葉に、食堂の空気が変わった。
蓮はうなずいた。
「よし。今日は二つだ。ヴェルティアとの商談。そして、黒曜港の取引網の調査」
「あと、未来の夫問題ね」
セレナが微笑む。
「……それは商談の議題に入れないでくれ」
「ええ。個人的なお話にするわ」
蓮はパンを喉に詰まらせかけた。
*
黒薔薇の館。
巨大な門が開くと、昨日と同じ執事が一行を出迎えた。
「お待ちしておりました。ヴェルティア様は、蓮様の到着を心待ちにしておられました。いえ…皆様の到着を今か今かと……」
「今、言い直しましたよね?」
「気のせいでございます」
執事の視線が泳いだ。
館の応接室に入ると、ヴェルティアが立ち上がった。
黒と深紅のドレス。
長い黒髪。
血のように赤い瞳。
その美しさは、何度見ても現実離れしていた。
そして彼女は、蓮を見るなり両手を胸の前で組んだ。
「蓮様! お待ちしておりましたわ!」
「お、おはようございます」
「昨夜はよく眠れまして?」
「あなたのせいで、スマホを見るたびに頭が痛くなりました」
「あら……! 私のことを何度も考えてくださったのですね!」
「そういう意味じゃない!」
ヴェルティアは、ぱっと頬を赤らめた。
「まあ……朝からそんなに熱烈に否定なさらなくても……」
「話が通じない!」
セレナが一歩前に出た。
「ヴェルティアさん。昨日の件について、確認したいことがあります」
「ええ、もちろんですわ。セレナ様」
二人の視線が交差する。
笑顔と笑顔。
しかし、その間には目に見えない火花が散っていた。
「蓮様を未来の夫とお呼びになったそうですね?」
「ええ。私の気持ちを正直に表現したまでですわ」
「蓮の気持ちは確認なさったのですか?」
「まだですわ」
「では、未来の夫という呼び方はお控えください」
「……セレナ様は、蓮様の何でいらっしゃるの?」
「大切な人です」
即答だった。
蓮が紅茶を吹き出しかけた。
「セ、セレナ!?」
「何か問題でも?」
「いや、問題というか、その……」
ヴェルティアは、少しだけ目を細めた。
やがて、ふっと笑う。
「なるほど。では、私も正々堂々と参りますわ。蓮様のお気持ちを無視するつもりはありませんもの」
「本当ですね?」
「ええ。無理やり結婚させるような野蛮な真似はいたしません」
「そこまでの話になっていたのか……」
蓮は額を押さえた。
「とにかく! 今日は商談に来たんです。恋愛の話はここまで!」
ヴェルティアは残念そうに肩を落とした。
「分かりましたわ。では、商談が終わったら、改めてお話ししましょうね」
「終わっても話さない!」
「まあ、照れていらっしゃるのね」
「違う!」
ガルドが小声でバルトにささやいた。
「……こいつ、商売より難しい相手を見つけたな」
「同情するよ」
バルトも小声で返した。
*
「では、本題に入りましょう」
ヴェルティアが手を叩くと、執事が黒い箱を運んできた。
中には、蓮が預かっていたものと同じ系統の黒い水晶が三つ並んでいた。
「これは、黒曜港の取引網に接続するための記録媒体です。蓮様にお貸しした水晶は、その一部を閲覧できるもの。こちらは、港の中継記録を保管しています」
蓮はスマホを取り出した。
「接続しても大丈夫ですか?」
「もちろん。ただし、記録の閲覧だけにしてくださいませ。管理権限の変更や、記録の書き換えは契約で禁じられています」
「分かりました。こちらも、記録を複製したり、目的外に使ったりはしません。必要があれば、別途合意を取りましょう」
「……本当に、契約がお好きなのですね」
「好きというより、後から揉めないためです」
「素敵ですわ……!」
「今のどこにときめく要素が!?」
「約束を守る殿方は魅力的ですもの」
セレナが咳払いした。
「ヴェルティアさん。話を進めましょう」
「はい」
ヴェルティアは名残惜しそうに蓮から視線を外した。
蓮がスマホを水晶に近づける。
画面に、見慣れない表示が浮かんだ。
【黒曜港・中継取引網】
【接続確認】
【記録閲覧:許可】
【管理権限:なし】
【不正接続履歴:検出】
「不正接続履歴?」
ミリアが画面をのぞき込む。
蓮が表示を開くと、複数の取引記録が浮かび上がった。
品物の名前。
取引日時。
中継地点。
そして、取引先を示す記号。
「この印……」
バルトの顔色が変わった。
「俺の店が潰れる前に使っていた取引番号だ」
「本当か?」
「ああ。三年前、俺が食料を村に回したとき、いくつかの取引が契約違反として記録された。その後、信用値が急落した」
バルトは、表示された番号を一つずつ確認していく。
「だが、これはおかしい。俺が納品したはずの品物が、別の商会を経由したことになっている」
ガルドが眉を寄せた。
「つまり、実際の取引記録と、信用値を計算するための記録が違っていた可能性があるわけか」
「そうだ。しかも……」
バルトは、画面の下にある小さな記号を指した。
「この記号は、ヴァルド商会の契約書にあったものと似ている」
蓮は慎重に答えた。
「似ているだけじゃ、ヴァルド商会が黒幕だとは言えない。でも、調べる価値はある」
「その通りですわ」
ヴェルティアが、いつになく真剣な表情になった。
「ヴァルド商会は、黒曜港の中継網を利用していました。ただし、すべてを支配していたわけではありません」
「では、誰が支配しているんです?」
「それが問題なのです」
ヴェルティアは、別の水晶を指先でなぞった。
空中に、黒曜港の地図が浮かび上がる。
港の中央市場。
倉庫街。
船着き場。
そして、港の外れにある立入禁止区域。
その区域だけ、地図が黒く塗りつぶされていた。
【中継管理区画】
【管理者:不明】
【最終接続:三日前】
【接続先:境界の始点】
「境界の始点……!」
蓮のスマホが震えた。
【境界関連情報を検出】
【現在の能力との関連:高】
【注意:不明な接続先への直接干渉は危険】
蓮の背中に冷たいものが走った。
第29話で、謎の空間を閉じたときに見た言葉。
境界の始点。
そして、あの黒いローブの男が口にした言葉。
――その能力まで目覚めるとはな。
すべてが、少しずつつながり始めていた。
「ヴェルティアさん。この管理区画には、何があるんですか?」
「古い中継施設です。かつて複数の世界をつなぐために使われていた、と伝えられています。ただ、今は誰が管理しているのか分かりません」
「立ち入りは?」
「港の管理局が禁じています。過去に調査へ入った者が、何人も戻らなかったからです」
「……それ、かなり危険な場所ですよね?」
「ええ。ですから、今すぐ行くのはお勧めしませんわ」
意外な答えだった。
蓮はヴェルティアを見る。
「俺を誘い込むつもりじゃないんですか?」
彼女は一瞬、寂しそうな顔をした。
「蓮様。私はあなたを自分のものにしたいと思っていますが、死地に送り込んで手に入れたいとは思っていません」
「……」
「あなたに生きていてほしいのです。私の気持ちを受け入れてくださるかどうかは、その後の話ですわ」
その言葉には、冗談めいた甘さはなかった。
蓮は、すぐには返事ができなかった。
ヴェルティアは危険な存在だ。
裏の取引網に関わり、グラディオのような人物を配下に持つ。
それでも、彼女は昨日、暗殺者に命を狙われた。
すべてを信用することはできない。
だが、すべてを疑って切り捨てるのも違う。
「……ありがとうございます。でも、俺は自分で判断します。危険だから何も知らないままでいるつもりはありません」
「ええ。それでこそ、私が気になった商人ですわ」
セレナがすかさず言った。
「そこは気にならなくて結構です」
「セレナ様、厳しいですわね」
「蓮を守るためですから」
「私も守りますわ」
「競争するところではありません!」
蓮の叫びが、応接室に響いた。
*
話し合いの最後に、ヴェルティアは港の管理局へ提出できる紹介状を用意した。
「管理区画の調査許可を取るなら、まず港の管理局と話すことです。私の名前で門を開くことはできますが、それでは私の権限に頼った調査になります」
「なるほど。正式な許可を取って、記録を残すんですね」
「ええ。蓮様らしい考え方ですわ」
紹介状には、閲覧できる記録の範囲、調査目的、同行者、事故時の責任についても明記されていた。
蓮は一項目ずつ確認し、必要な箇所を質問する。
ガルドは帳簿の専門家として条件を確認し、ミリアは魔法的な安全性を尋ねた。
バルトは、古い取引番号の一覧を作成する役目を引き受けた。
誰か一人の知識だけでは、真相には届かない。
商人、魔法使い、元信用失墜商人。
それぞれの経験が、少しずつ一つの謎を形作っていく。
「明日、管理局へ行きましょう」
蓮がそう告げると、ヴェルティアは満足そうに微笑んだ。
「ええ。私も同行いたしますわ」
「いえ、まずは紹介状だけで――」
「同行いたしますわ」
「……はい」
「蓮様と港を歩けるのですね。楽しみですわ」
「調査ですよ!」
「もちろん。手をつないで調査を……」
「しません!」
セレナが静かに立ち上がった。
「蓮。明日は私が隣を歩くわ」
「セレナ、調査の邪魔にならないように頼むぞ」
「ええ。邪魔にならないように、きちんと隣にいるわ」
ガルドが額を押さえた。
「……この一行、本当に港の謎を解けるのか?」
「解くしかないだろ!」
蓮はスマホをしまった。
画面の端には、まだ消えない警告が表示されていた。
【境界の始点】
【接続先:不明】
【次回接続予測:近日中】
港の外れに眠る、古い中継施設。
信用値を操作した黒い取引網。
そして、蓮の境界能力を狙う何者か。
明日、彼らは港の管理局へ向かう。
その先で待つのが、新たな取引なのか。
それとも――。
世界そのものを揺るがす、危険な商談なのか。
蓮には、まだ分からなかった。




