第34話 暗殺!? 蓮、宿敵の吸血鬼美女を救う!
「私と、個人的な契約を結んでほしいの」
ヴェルティアの赤い瞳が、蓮をじっと見つめていた。
黒薔薇の館の応接室。
豪華なテーブルには、異世界の果実や香り高い紅茶が並んでいる。だが、蓮の目はテーブルの上ではなく、スマートフォンの画面に釘付けだった。
【警告:特殊契約の提案を検知】
【契約相手:ヴェルティア】
【契約成立後、解除困難の可能性】
「……すみません。契約内容もわからないのに、承諾することはできません」
蓮はきっぱりと言った。
ヴェルティアは一瞬きょとんとし、それから楽しそうに笑った。
「まあ! 私の誘いを断る男なんて、何百年ぶりかしら」
「いや、普通は契約内容を確認しますよね?」
「ふふっ。そうね。あなたは商人だったわ」
彼女はグラスを置いた。
「では、条件を説明しましょう。あなたが持つ境界支配の能力について、私が知っている情報を提供する。その代わり、あなたには私の依頼を一つ引き受けてもらいたいの」
「依頼の内容は?」
「それは、まだ秘密」
「……それじゃ契約できません」
「頑固ねえ」
ヴェルティアは頬杖をついた。
「でも、そういうところも嫌いじゃないわ」
隣に座るセレナの笑顔が、わずかに引きつった。
「ヴェルティア様。蓮との商談でしたら、私も契約内容を確認させていただきます」
「あら、もちろん。あなたも大切なお客様だもの」
「お客様、ですか」
「ええ。大切な、ね」
二人の間に、再び目に見えない火花が散った。
蓮は紅茶を飲みながら、心の中でつぶやいた。
(商談って、こんなに胃が痛くなるものだったっけ……)
そのときだった。
ミリアが、ぴくりと顔を上げた。
「……待ってください」
彼女の耳が、わずかに動く。
「何かがおかしいです」
ガルドも、すぐに姿勢を正した。
「どうした?」
「この部屋の魔力の流れが……変わっています」
ヴェルティアの表情から、笑みが消えた。
「……なるほど」
彼女が立ち上がろうとした、その瞬間。
カチリ。
小さな音がした。
蓮のスマートフォンが赤く点滅する。
【緊急警告】
【高位暗殺魔法を検知】
【対象:ヴェルティア】
【発動まで:三秒】
「ヴェルティアさん、伏せて!」
蓮が叫んだ。
「え?」
ヴェルティアが振り向いた瞬間、天井の装飾から黒い針が飛び出した。
一本ではない。
数十本の黒い針が、音もなくヴェルティアの背中へ殺到する。
普通の人間なら、反応すらできない速度だった。
だが、蓮は違った。
「境界障壁!」
反射的に手をかざす。
透明な壁が二人の間に展開した。
ガガガガガッ!!
黒い針が障壁に突き刺さり、火花を散らす。
しかし、針の先端から黒い煙が噴き出した。
「しまった……!」
障壁が、少しずつ侵食されていく。
【境界エネルギー:31%】
【警告:障壁侵食率上昇】
「蓮、下がって!」
セレナが魔法を放つ。
青白い光が黒い煙を吹き飛ばした。
その隙に、蓮はヴェルティアの腕をつかみ、テーブルの陰へ引き寄せた。
ドォンッ!!
黒い針が壁に突き刺さり、応接室の一角が吹き飛んだ。
「……私を、助けたの?」
ヴェルティアが、信じられないものを見るように蓮を見つめていた。
「当たり前でしょう! 目の前で暗殺されそうになっている人を、放っておけるわけないじゃないですか!」
蓮は叫んだ。
「それに、まだ商談の途中です!」
「……ふふっ」
こんな状況なのに、ヴェルティアは笑った。
「あなた、本当に面白いわね」
「笑ってる場合ですか!?」
「だって、私を殺そうとした相手より、あなたのほうが気になってしまったんだもの」
「だから、今はそういう話をしてる場合じゃないんですって!」
◇
「侵入者はどこだ!」
廊下から、館の警備兵たちの声が響いた。
ガルドが扉の前に立ち、周囲を警戒する。
「外からの襲撃か?」
「いいえ」
ヴェルティアの声は、先ほどまでの甘い調子ではなかった。
冷たく、鋭い。
「この館の防御結界は外部からの侵入を許していない。つまり……」
彼女は天井を見上げた。
「最初から、館の中にいた者の仕業ね」
その瞬間。
パチパチパチ。
廊下から、ゆっくりと拍手が聞こえてきた。
現れたのは、白い軍服のような服を着た男だった。
年齢は三十代ほど。
金色の髪を後ろへなでつけ、片眼鏡をかけている。胸元には黒薔薇の紋章が輝いていた。
男は優雅に一礼した。
「さすがはヴェルティア様。ご無事で何よりです」
ヴェルティアの赤い瞳が細くなる。
「……グラディオ」
男の名はグラディオ。
ヴェルティア直属の幹部であり、異世界間の取引を管理する組織の実務を取り仕切る男だった。
少なくとも、表向きは。
「あなたが、私を暗殺しようとしたの?」
「まさか。私はあなた様を誰よりも尊敬しております」
グラディオは微笑んだ。
「ただ、最近のあなた様は少々、判断を誤っていらっしゃる」
「判断?」
「ええ。境界商人などという得体の知れない男に興味を持ち、重要な情報まで開示しようとしている。組織の将来を考えれば、看過できません」
彼の視線が、蓮へ向いた。
「その男は危険です。境界の始点へ至る鍵を持っている可能性がある」
蓮は思わず顔を上げた。
「境界の始点……?」
グラディオは、しまったというように口を閉じた。
だが、もう遅い。
蓮のスマートフォンが震えた。
【重要情報を検知】
【境界の始点:関連情報を取得】
【情報源:グラディオ】
「なるほど……」
蓮は男を見つめた。
「あなたは、俺の能力について知っているんですね」
グラディオの笑顔が消えた。
「……知りすぎる商人は、長生きできませんよ」
次の瞬間、彼の手から黒い魔力が放たれた。
「危ない!」
ミリアが魔法障壁を展開する。
しかし、グラディオの魔法は障壁をすり抜けた。
「なっ!?」
魔力は一直線に蓮へ向かう。
蓮はとっさに身体をひねった。
黒い光が頬をかすめ、背後の壁を粉砕する。
「くそっ……! 普通の魔法じゃない!」
スマートフォンが警告を発する。
【敵対魔法:境界干渉型】
【通常障壁:効果低下】
「境界干渉……!?」
蓮は歯を食いしばった。
先日の黒い接続と同じ系統の力。
つまり、この男は境界の力に関係している。
「蓮、下がって!」
セレナがグラディオへ突進する。
剣が閃く。
だが、グラディオは軽く身をかわし、黒い魔力で床を覆った。
床が沼のように変化する。
「これは……!」
セレナの足が沈みかけた。
「セレナ!」
蓮は拳を握った。
スマートフォンを使えば、境界障壁を展開できる。
だが、相手の魔法は境界そのものに干渉している。
ならば――。
「魔力砲弾!」
蓮の拳から、白い魔力の弾丸が放たれた。
ドンッ!!
砲弾は床に着弾し、黒い魔法の陣を砕いた。
セレナの足が自由になる。
「蓮、今のは……!」
「説明は後!」
蓮はグラディオを見据えた。
「人の館で勝手に暴れて、主人を暗殺しようとして、挙げ句に客まで襲うなんて……商売以前の問題だ!」
「……魔力砲弾だと?」
グラディオは初めて、驚いた顔を見せた。
「端末なしで、異能を使えるようになったのか……!」
蓮はその言葉を聞き逃さなかった。
(こいつ、俺の新しい能力まで知っているのか?)
グラディオの表情に、苛立ちが浮かぶ。
「面倒なことになった。ここで始末しておくべきか」
彼の全身から、黒い魔力が噴き上がった。
その瞬間。
「――そこまでよ」
冷たい声が響いた。
ヴェルティアだった。
彼女の赤い瞳が、真紅の光を放つ。
室内の空気が、一瞬で凍りついたように感じられた。
「グラディオ。あなた、自分が何をしたのかわかっているの?」
「ヴェルティア様。私は組織のために――」
「黙りなさい」
たった一言。
それだけで、グラディオの身体が床に押しつけられた。
見えない力が、彼を縛り上げる。
「あなたは私を暗殺しようとした。それだけではない。私の館で客人を襲い、私の許可なく境界魔法まで使った」
ヴェルティアが一歩近づいた。
「誰の許しを得て、そんなことをしたのかしら?」
グラディオは歯を食いしばった。
「……あなたは変わられた。昔なら、こんな男に関心を持つことなどなかった!」
「そうね」
ヴェルティアは、蓮をちらりと見た。
「でも、今は違うわ」
「まさか……本当に、その男を――」
「勘違いしないで」
彼女の声が、さらに冷たくなる。
「私は、私の興味を邪魔する者が嫌いなだけよ」
その言葉に、グラディオの顔が歪んだ。
「覚えておけ、境界商人……!」
黒い煙が爆発した。
ヴェルティアの拘束が一瞬だけ緩む。
グラディオはその隙を突き、煙に紛れて姿を消した。
「逃げたか……!」
セレナが追おうとする。
だが、ヴェルティアが手を上げた。
「追わなくていいわ。今はね」
「よろしいのですか?」
ミリアが尋ねた。
「ええ。彼には、まだ聞かなければならないことがあるもの」
ヴェルティアは、破壊された壁を見つめた。
「それに……」
彼女は蓮へ振り向いた。
「あなたが助けてくれたおかげで、私も少し考えを改めることができたわ」
◇
騒動が落ち着いたあと。
蓮たちは、別室へ案内された。
応接室は修復魔法で元に戻されつつあったが、テーブルの上の紅茶はすっかり冷めていた。
「まずは、助けてくれてありがとう」
ヴェルティアは、蓮の前で頭を下げた。
蓮は慌てた。
「いや、頭を上げてください! 当然のことをしただけですから」
「当然、ね……」
ヴェルティアは、興味深そうに彼を見つめた。
「あなたは、自分を利用しようとしていたかもしれない相手でも、危険が迫れば助けるのね」
「目の前で誰かが殺されそうになっていたら、助けますよ。商談相手かどうかは関係ありません」
「……本当に、不思議な男」
ヴェルティアは微笑んだ。
先ほどまでの、獲物を狙うような笑みとは少し違っていた。
「いいわ。あなたに一つ、情報を渡しましょう」
蓮は姿勢を正した。
「境界の始点についてですか?」
「ええ」
ヴェルティアは、机の上に小さな黒い結晶を置いた。
結晶の中には、無数の光の線が浮かんでいる。
「この結晶は、異世界間の取引網の一部を記録したもの。あなたが探している黒い接続とも関係があるわ」
「これを譲ってもらえるんですか?」
「譲るのではなく、貸してあげる。調査が終わったら返してもらうわ」
「……契約書は?」
ヴェルティアが目を丸くした。
そして、声を上げて笑った。
「ふふふっ! 暗殺騒ぎの直後に、それを聞くの!?」
「大事なことですから!」
「わかったわ。条件を書面にしましょう。返却期限、使用目的、破損時の責任。ほかに必要な条項は?」
「データの複製についても決めたいです。それと、こちらが発見した情報を一方的に差し出す契約にはしません」
「いいわ。あなたの条件を聞かせて」
蓮は驚いた。
黒幕かもしれない吸血鬼の美女と、普通に契約条件を交渉している。
しかも、向こうが楽しそうに応じている。
(……俺、いつの間にこんな大物と商談できるようになったんだ?)
ガルドが横から口を挟んだ。
「蓮、浮かれるなよ。契約書は俺も確認する」
「もちろん!」
バルトも結晶を見つめていた。
「この記録があれば、俺の信用値が操作された経緯もわかるかもしれない……」
ヴェルティアは彼を見た。
「バルト。あなたの件についても、調べる価値はあるわ」
「なぜ、俺の名前を知っている?」
「この港では、信用値の低い商人ほど情報が集まるのよ。誰が困窮し、誰が権利を手放し、誰が利益を得るのか。そうした情報を欲しがる者は多いわ」
蓮の表情が険しくなった。
「つまり、信用値を操作して商人を追い詰め、その権利を安く買い取る仕組みが、この港にもあるんですね」
ヴェルティアは答えなかった。
ただ、黒い結晶を指先で転がした。
「それを調べたいなら、気をつけなさい。グラディオは、私の幹部の中でも特に取引網の中枢に近い男だった」
「彼が黒幕なんですか?」
「いいえ。彼自身も、誰かの命令を受けていた可能性があるわ」
その瞬間、蓮のスマートフォンが震えた。
【情報更新】
【グラディオ:境界干渉型魔法を使用】
【取引網との関与:高確率】
【上位命令者:不明】
蓮は画面を見つめた。
まだ、真の黒幕には届いていない。
だが、確実に近づいている。
◇
帰り際。
ヴェルティアは館の玄関まで蓮たちを見送りに来た。
「蓮くん」
「はい?」
「次に会うときは、もっとゆっくりお話ししましょうね」
彼女は蓮の耳元に顔を近づけ、囁いた。
「あなたを助けたのは私ではなく、あなたが私を助けた。忘れないわ」
「……それは、よかったです」
「それに、あなたの魔力砲弾。とても興味深かったわ」
ヴェルティアの赤い瞳が輝く。
「もっと見せてほしいものね」
「訓練中なら、考えます」
「まあ、条件つきなの?」
「商人ですから」
ヴェルティアは楽しそうに笑った。
「本当に気に入ったわ」
その瞬間、セレナが蓮の腕を取った。
「では、私たちはこれで失礼します」
「あら、もう帰るの?」
「ええ。蓮には、まだ訓練がありますから」
「そう。残念ね」
ヴェルティアは意味深に微笑んだ。
「次は、もっと素敵な商談を用意しておくわ」
館を出た蓮は、大きく息を吐いた。
「……疲れた」
「当然よ」
セレナがぴたりと隣に並ぶ。
「あなた、あの人に気に入られたみたいね」
「いや、そんなつもりは……」
「別に、怒ってはいないわ」
「本当?」
「ええ。ただし、次に会うときは私も必ず同行するから」
「……はい」
モモが蓮の肩にとまった。
「れん、吸血鬼のお姉さんからプリンもらえばよかったのに!」
「商談を何だと思ってるんだよ!」
ガルドが笑い、バルトも久しぶりに声を上げて笑った。
だが、蓮のスマートフォンには、新たな警告が表示されていた。
【警告:黒曜港内で敵対勢力が再編成中】
【対象:グラディオ】
【新規接続先:境界の始点】
蓮は足を止めた。
「……グラディオが、境界の始点につながっている?」
黒い結晶が、ポケットの中でかすかに光った。
暗殺未遂は、単なる組織内の権力争いではなかった。
ヴェルティアを狙った理由。
グラディオが隠している命令者。
そして、境界の始点。
すべてが、一つの大きな謎へとつながり始めていた。
その頃、黒曜港の地下深く。
逃亡したグラディオは、黒い水晶の前に跪いていた。
「……申し訳ありません。暗殺は失敗しました」
水晶の向こうから、低い声が響いた。
『ヴェルティアは生きているのか』
「はい。しかし、境界商人が予想以上の能力を発揮しました」
沈黙。
やがて、声が告げた。
『ならば、計画を変更する』
水晶に、蓮の姿が映し出される。
『境界商人を、こちら側へ誘い込め』
グラディオの顔が青ざめた。
「……承知しました」
水晶の光が消える。
暗闇の中で、誰かが静かに笑った。
「ようやく、境界の扉が開く」




