第32話 黒幕は妖艶な吸血鬼美女!?
「あの商人、私の獲物よ」
黒曜港。
そこは、複数の異世界から商品が集まる巨大な貿易都市だった。
空には魔法で浮かぶ輸送船が行き交い、港には見たこともない獣が引く荷車が並ぶ。人間だけではない。獣人、エルフ、魔族、そして正体のわからない種族まで、あらゆる商人が集まっていた。
そんな港の最も高い建物。
その最上階に、ひとりの美女がいた。
「……来たわね」
彼女は巨大な窓辺に腰掛け、港を見下ろしていた。
腰まで流れる漆黒の髪。
血のように赤い瞳。
雪のように白い肌。
身体のラインを惜しげもなく際立たせる、黒と深紅を基調としたドレス。胸元には古い銀の首飾りが輝き、唇には妖しい笑みが浮かんでいる。
頭には、小さく伸びた黒い角のような飾り。
そして、背中からは影のように揺れる漆黒の翼がのぞいていた。
人間離れした美しさ。
見る者を魅了し、同時に本能的な恐怖を抱かせる存在。
彼女の名は――ヴェルティア。
異世界の商業ネットワークを裏から操る、謎の吸血鬼だった。
「ふふ……境界を切断する力を持つ商人、ね」
ヴェルティアは、手元の水晶に映る蓮の姿を眺めていた。
その映像には、蓮が仲間たちと出発の準備をしている様子が映っている。
「普通の人間なら、あの黒い接続に触れただけで精神を壊されるはずなのに。まさか、あの力を目覚めさせるなんて」
彼女は赤い舌先で、ゆっくりと唇をなぞった。
「ますます欲しくなっちゃった」
◇
「……なんか、嫌な予感がする」
そのころ、蓮は宿の部屋で荷物を整理していた。
「どうしたの、蓮?」
セレナが首をかしげる。
「いや、なんとなく誰かに見られてるような……」
「誰かに?」
セレナの目つきが変わった。
「どこの誰? 私が探してくるわ」
「いやいやいや! そういう意味じゃないから!」
「でも、蓮を遠くから見ている者がいるなら、放っておけないでしょう?」
「気持ちはありがたいけど、まだ確証もないからね!」
ミリアが窓辺に近づき、魔力を探った。
「……妙ですね。周辺に不審な魔力反応はありません」
「だろ? 気のせいかな」
だが、ミリアはすぐには安心しなかった。
「ただし、探知魔法をすり抜けるほど高度な隠蔽術を使っている可能性もあります」
「……それ、全然安心できないんだけど」
そのとき、モモが蓮の頭の上に舞い降りた。
「れん、だれかに見られてるの?」
「いや、まだわからない」
「じゃあ、モモが見張る!」
「おお、頼もしいな」
「報酬はプリン三個!」
「警備会社より高いんだけど!?」
ガルドが帳簿を閉じながら笑った。
「まあ、用心するに越したことはない。黒曜港は商人の街だが、全員が善人とは限らんからな」
その言葉に、バルトも真剣な顔でうなずいた。
「特に、信用値を操作している連中がいるなら、俺たちが来ることを歓迎していないはずだ」
蓮は窓の外を見た。
遠くには、黒曜港へ向かう道が続いている。
その先に、何が待っているのか。
彼らはまだ知らなかった。
◇
一方、黒曜港の高層塔。
ヴェルティアは、水晶に映るセレナの姿を見て、興味深そうに目を細めた。
「まあ……あちらの美人さんも、なかなか手強そうね」
彼女は楽しそうに笑った。
「しかも、竜王の姫君まで関わっているなんて。あの商人、いったい何人の美女に囲まれているのかしら?」
水晶の映像が切り替わる。
蓮が仲間たちと笑っている。
その姿を見つめながら、ヴェルティアは頬杖をついた。
「力だけなら、奪い取る方法はいくらでもある。でも……あの男の力は、本人の意思に反して無理やり奪えば、壊れてしまうかもしれない」
彼女は指先で水晶をなぞった。
「それでは意味がないわ」
机の上には、蓮に関する調査資料が並んでいた。
【境界支配】
【境界切断】
【端末外能力:異界戦闘基礎能力】
そして、未解明の項目。
【境界の始点との関連:不明】
ヴェルティアの笑みが深くなった。
「あなたが本当に境界の商人なら、いずれあそこへたどり着く。そうなれば、私の欲しいものも手に入る」
彼女は立ち上がった。
ドレスの裾が、音もなく揺れる。
「でも、その前に……少しだけ遊んであげようかしら」
赤い瞳が、妖しく輝いた。
「怖がらせるのもいい。取引を持ちかけるのもいい。それとも――私自身が、あなたの前に現れようかしら?」
彼女は鏡の前で微笑んだ。
その笑顔は、誰もが見惚れるほど美しい。
けれど、その奥にあるのは、人間を獲物として見つめる捕食者の目だった。
「蓮くん……」
初めて、彼の名前を口にする。
「あなたは、私の獲物よ」
◇
その夜。
蓮たちは、黒曜港へ向かう街道の途中で野営していた。
焚き火を囲み、明日の予定を確認している。
「港に着いたら、まずは商業ギルドで登録だな」
ガルドが言った。
「その後、取引市場を調べる。バルトは港の商人たちの動きを見てくれ。俺とミリアは、スマホの反応を確認する」
「わかった」
バルトがうなずいた。
「セレナは?」
「私は蓮の護衛よ」
即答だった。
「いや、みんなで協力して……」
「蓮の護衛よ」
「……はい」
モモが焚き火の向こうで笑った。
「セレナ、れんのこと大好き!」
「ええ、大好きよ」
「えっ!?」
蓮がむせた。
セレナは涼しい顔で続ける。
「何か問題でも?」
「い、いや、問題はないけど、そんな堂々と……!」
「隠す必要がないもの」
ミリアが小さくため息をついた。
「……本当に仲がいいですね」
ガルドは腹を抱えて笑った。
「ははは! 蓮、お前は商売以外にも難しい問題を抱えているようだな!」
「笑い事じゃないですよ!」
いつもの騒がしい夜。
誰も気づいていなかった。
少し離れた丘の上。
月明かりの下に、黒い影が立っていることを。
漆黒のドレス。
長い髪。
赤い瞳。
ヴェルティアは、遠くの焚き火を眺めていた。
「ふふ……ずいぶん楽しそうね」
彼女の視線は、まっすぐ蓮に向けられている。
「その笑顔が、いつまで続くかしら」
風が吹いた。
次の瞬間、彼女の姿は闇に溶けるように消えた。
残された場所には、小さな赤い薔薇が一輪。
その花びらには、黒い魔力が宿っていた。
そして蓮のスマートフォンが、誰にも触れられていないのに、静かに震えた。
【警告:未知の高位生命反応を検知】
【対象種族:吸血鬼】
【危険度:測定不能】
【対象者の関心:あなた】
蓮は画面を見つめた。
「……え?」
警告は、すぐに消えた。
だが最後に、一瞬だけ別の文字が浮かび上がった。
【対象者より伝言】
【楽しみにしているわ、境界の商人さん】
蓮はゆっくりと顔を上げた。
「……黒曜港、絶対に何かいるだろ」
セレナが立ち上がり、剣に手をかける。
ミリアも魔力を探知し始めた。
バルトは周囲を警戒し、ガルドは荷物を確認する。
モモだけが、きょとんとしていた。
「ねえ、れん。その人、美人だった?」
「見てないよ!」
「じゃあ、会ったら教えて!」
「どうしてそんなに興味があるんだよ!」
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
黒曜港に潜む黒幕。
妖艶な吸血鬼美女、ヴェルティア。
彼女が蓮を獲物と呼んだ理由は、まだ誰も知らない。
ただ一つ確かなことがある。
彼女は、蓮を殺すつもりではない。
――少なくとも、今のところは。




