第28話 信用値9999の男――異世界をつなぐ黒い取引網
「レン、これって……どういうこと?」
ミリアが、スマートフォンの画面をのぞき込んだ。
【未知の取引網を検出】
【接続先:複数の異世界】
【月影の羽との関連:高】
地下二階で見つかった黒い魔道具。
そこから回収された記録には、この街の信用値を操作した形跡だけでなく、別の世界へ情報を送信した痕跡まで残されていた。
「異世界をまたぐ取引網か……」
ガルドは難しい顔で腕を組んだ。
「普通の商人が持つ情報網とは違う。商人の信用値を調べ、取引先を選別し、場合によっては商売そのものを潰すこともできる」
「そんなことができるなら、商売を始める前から勝負が決まってしまいますね」
レンの言葉に、バルトがうつむいた。
「俺も、そうやって潰されたのか……」
「まだ断定はできません。でも、調べる価値はあります」
レンは画面を操作した。
すると、地図のような表示が浮かび上がった。
この街、セントラル。
その隣にある商業都市。
さらに遠くの港町。
そして、それぞれの都市から伸びる線が、ひとつの名前に集まっていた。
ヴァルド商会。
「ここが、取引網の中心なのか?」
ガルドが身を乗り出した。
「可能性はあります。ただ、情報を集めている場所と、指示を出している場所が同じとは限りません」
レンは慎重に答えた。
「まずは、実際に商売をして確かめましょう」
「商売?」
バルトが首をかしげた。
「まさか、こんなときに売り買いをするのか?」
「こんなときだからです」
レンは少し笑った。
「帳簿だけでは分からないこともあります。実際に取引を申し込んで、相手がどう反応するかを見るんです」
ガルドが、にやりと笑った。
「なるほど。商人らしい調べ方だな」
「それに、俺たちが調査していることは、もう向こうにも知られているかもしれません。なら、こちらから動いたほうがいい」
セレナが満足そうにうなずいた。
「さすが私の未来の夫。考え方が商人らしくなってきたわね」
「ありがとうございます。でも、未来の夫はまだ決まっていません」
「では、これから決めましょう」
「今、決めなくていいです!」
モモがレンの頭の上に飛び乗った。
「モモも商売する!」
「モモは何を売るんですか?」
「おいしいお菓子!」
「仕入れ先は?」
「レン!」
「俺が仕入れるんですか!」
「だって、モモはお金持ってないもん!」
ガルドが吹き出した。
「こいつは、なかなか商人の才能があるぞ。仕入れは他人任せ、利益は自分のものだ」
「それは商人というより、ただの食いしん坊です!」
「失礼だよ、レン!」
いつものやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
しかし、レンはすぐに表情を引き締めた。
「明日、ヴァルド商会に取引を申し込みます」
こうして、調査を兼ねた商談が始まることになった。
◇
信用値9999の商人
翌朝。
ヴァルド商会は、セントラルの中央広場に面した立派な建物にあった。
白い石造りの壁。
金色の看板。
入口には護衛が立ち、出入りする商人たちも上等な服を身につけている。
「ずいぶん立派な店ですね」
レンが見上げると、ガルドが小声で答えた。
「この街で最も信用されている商会だからな。大きな取引を任され、銀行の融資も優先される。信用値が高ければ、それだけ有利になる」
「でも、信用値が9999なんて、普通なんですか?」
「いや。ほぼ最高値だ。しかも、あの商会の代表ローデンは、ここ数年で急激に信用値を伸ばしている」
バルトが苦々しげにつぶやいた。
「俺の信用値が落ちた時期と重なるな……」
レンは入口の受付へ向かった。
「日本から来た商人、佐伯蓮と申します。保存食品と日用品の取引について、代表のローデンさんとお話ししたいのですが」
受付係は、レンの登録証を確認した。
その瞬間、表情が変わった。
「佐伯蓮……?」
「はい」
受付係は奥の職員に目配せをした。
職員は小走りで建物の奥へ消えていく。
そして、ほんの数分後。
「お待たせいたしました。代表がお会いになるそうです」
あまりにも早い。
レンはガルドと視線を交わした。
(俺たちが来ることを、知っていた?)
通された応接室には、豪華な絨毯と大きな机が置かれていた。
窓際には、一人の男が立っていた。
年齢は五十歳前後。
整えられた髪に、隙のない服装。
そして、相手を安心させるような柔らかな笑顔。
「ようこそ、ヴァルド商会へ。私が代表のローデンです」
「佐伯蓮です。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
二人は握手を交わした。
その瞬間、レンのスマートフォンが震えた。
【取引対象を検出】
【ローデン】
【信用値:9999】
【特別補正:継続中】
レンは顔に出さないよう、そっと画面を伏せた。
「あなたのことは、存じていますよ」
ローデンが椅子を勧めながら言った。
「異世界の商品を扱い、信用値ゼロから短期間で評価を得た商人。さらに、信用を失ったバルト氏の再起にも協力しているとか」
「耳が早いですね」
「商売では情報が命ですから」
ローデンは優雅に微笑んだ。
「ところで、今日はどのような商品をお持ちですか?」
レンは持参した見本を机に並べた。
保存食品。
丈夫な布。
小型の照明器具。
そして、試供品として用意した菓子。
「いずれも品質には自信があります。まずは少量から取引を始め、問題がなければ継続的に納品したいと考えています」
ローデンは商品をひとつずつ確認した。
「品質は確かに良さそうですね。ですが、私が知りたいのは別のことです」
「何でしょう?」
「あなたは、信用値をどのように考えていますか?」
予想していなかった質問だった。
レンは少し考えてから答えた。
「信用値は、取引の判断材料のひとつだと思います。でも、数字だけで相手を決めるつもりはありません」
ローデンの笑みが、ほんのわずかに深くなった。
「興味深い考え方です」
「信用値が高くても、約束を守るとは限りません。反対に、信用値が低くても、誠実にやり直そうとしている人はいます」
隣でバルトが静かにうなずいた。
「ですから、実際の取引を通じて判断したいんです」
ローデンはしばらくレンを見つめていた。
やがて、机の上の書類を一枚取り出した。
「では、ひとつ提案があります」
そこには、大量の保存食品を納入する契約が記されていた。
「この契約を引き受けていただけませんか?」
レンは数量を確認した。
通常の商人なら、すぐには用意できないほどの量だ。
しかも、納期は短い。
「かなり大きな取引ですね」
「ええ。あなたの実力を見せていただきたいのです」
ローデンは笑顔を崩さなかった。
「もちろん、納品できれば信用値の評価にも反映されるでしょう」
レンは書類を閉じた。
「申し訳ありません。この条件のままでは、契約できません」
ローデンの眉がわずかに上がった。
「理由を伺っても?」
「納期に対して数量が多すぎます。無理に引き受ければ、品質管理が難しくなります。それに、納品先や受領確認の方法も明確ではありません」
レンは書類の該当箇所を指さした。
「条件を調整できるなら、前向きに検討します」
部屋の空気が変わった。
受付係が、驚いたようにレンを見た。
信用値9999の商人からの大口契約。
普通なら、信用を得るために飛びつく話だ。
しかし、レンは断った。
ローデンは数秒黙ったあと、静かに笑った。
「なるほど。あなたは数字に目がくらまないのですね」
「商売は、続けられなければ意味がありませんから」
「……面白い」
ローデンは契約書を引き寄せた。
「では、数量を三分の一に減らしましょう。納品先も明記します。受領確認については、双方の署名を必要とする形に変更しましょう」
「それなら検討できます」
「よろしい。契約書は修正して、後日お渡しします」
商談は、意外なほど穏やかに終わった。
だが、レンは部屋を出る直前、ローデンが机の下で小さな魔道具を操作するのを見た。
その瞬間、スマートフォンが震えた。
【未知の通信を検出】
【接続先:未登録】
【送信内容:取引対象の評価情報】
レンは足を止めた。
ローデンは、何事もなかったように微笑んでいる。
「またお会いしましょう、佐伯さん」
「……はい。また」
レンは応接室を出た。
そして廊下の角を曲がったところで、ガルドに小声で告げた。
「今、通信がありました」
「何?」
「俺たちの評価情報を、どこかへ送っていたようです」
ガルドの顔が険しくなる。
「やはり、この商会は取引網とつながっているのか」
「まだ確証はありません。でも、調べる必要があります」
そのとき、バルトが立ち止まった。
「……あの男を、俺は見たことがある」
「ローデンさんを?」
「ああ。三年前、俺の信用値が落ちた直後だ。取引先の商人たちが離れていく中で、俺の店の権利を買い取ろうとした商会があった」
バルトは悔しそうに拳を握った。
「その代理人が、ヴァルド商会だった」
レンは、ゆっくりとうなずいた。
疑いは、確信に近づきつつあった。
だが、まだ証拠が足りない。
そして何より、ローデン本人が黒幕だと決まったわけではない。
「焦らず、取引記録を集めましょう」
レンは言った。
「相手が商人なら、商売の中に必ず痕跡が残ります」
◇
バルトの再出発
商業組合へ戻ると、監督官から新たな知らせが届いていた。
三年前の記録を再調査した結果、バルトの信用値には不正な減点が加えられていた可能性が高い。
ただし、契約違反そのものは事実として残るため、信用値の全面回復はまだ決まっていないという。
「そうか……」
バルトは、報告書を見つめた。
以前なら、ここで怒りを爆発させていたかもしれない。
だが、今は違った。
「俺がやるべきことは、まだあるな」
「ありますね」
レンはうなずいた。
「被害を受けた取引先への説明と、返済計画の実行。それを続けていけば、少しずつ信用を取り戻せるはずです」
「簡単じゃないだろうな」
「簡単なら、信用を取り戻す意味もないでしょう」
バルトは顔を上げた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……あんた、商人らしいことを言うようになったな」
「最初から商人ですよ!」
「いや、最初は異世界から妙な菓子を持ってくる変な奴だと思っていた」
「妙な菓子って何ですか!」
モモがすかさず口を挟む。
「ポテトチップスは妙じゃないよ! おいしいよ!」
「モモは黙っていてください」
「なんでー!」
笑い声が広がる。
その中で、バルトは深く頭を下げた。
「レン。俺はもう一度、自分の店を持ちたい。今度は、誰かの信用を奪うんじゃなく、自分の仕事で信用を積み上げたいんだ」
「そのときは、俺も取引相手になります」
「本当か?」
「もちろんです。ただし、契約条件は厳しく確認しますよ」
「ははっ! それでいい!」
バルトの目には、久しぶりに前を向く力が戻っていた。
事件はまだ終わっていない。
けれど、失われたものを取り戻すための一歩は、確かに始まっていた。
◇
月影の羽が示すもの
その夜。
宿に戻ったレンたちは、回収した記録とスマートフォンの表示を照らし合わせていた。
ミリアは、月影の羽を小さな布の上に置いた。
「やっぱり、この羽が通信の痕跡に反応している」
「つまり、異世界をつなぐ力があるってこと?」
レンが尋ねる。
「そう。ただ、月影の羽だけで取引網を作れるわけではないと思う。別の魔力や装置も必要なはずよ」
ガルドは帳簿を閉じた。
「誰かが、複数の世界にある商業制度を利用している。信用値を操作し、商人を追い詰め、利益を特定の組織へ集める。そのための仕組みを作ったのだろう」
「でも、どうしてそんなことを?」
バルトが尋ねる。
「金だけが目的なら、ここまで大がかりにする必要はない」
セレナが静かに言った。
「取引網そのものを支配したいのかもしれませんわね。どの商人が成功し、どの商人が失敗するのか。それを決められる立場になれば、世界の商売を思いどおりに動かせます」
レンは、スマートフォンの画面を見つめた。
【未知の取引網】
【接続先:複数の異世界】
【新規情報を検出】
画面に、新しい地名が浮かび上がった。
黒曜港。
そして、その下には短い文章が表示されていた。
【次の取引網中継地点】
「黒曜港……」
ガルドが地図を広げた。
「この街から西へ向かった先にある港町だ。複数の世界から商品が集まると聞いたことがある」
「なら、次はそこですね」
レンが立ち上がった。
そのとき、モモが月影の羽に近づいた。
「ねえ、レン。これ、さっきから少し変だよ」
「どうしたんです?」
「羽がね、黒曜港のほうを向いてるの」
確かめるように、モモが羽をそっと持ち上げる。
羽の先端から、淡い光が伸びた。
その光は、スマートフォンに表示された黒曜港の文字と重なる。
ミリアが息をのんだ。
「偶然じゃない。月影の羽が、何かに反応している……」
レンは仲間たちを見渡した。
「明日、黒曜港について調べましょう。いきなり乗り込むのではなく、まずは港の取引記録と、ヴァルド商会とのつながりを確認します」
「賛成だ」
ガルドがうなずいた。
バルトも立ち上がる。
「俺も同行させてくれ。三年前の取引が関係しているなら、知っていることがあるかもしれない」
「もちろんです」
セレナは、当然のようにレンの隣に立った。
「私も一緒に行くわ」
「セレナさんは竜王国との調整もありますし……」
「レン」
「はい?」
「私は、あなたと一緒に行きたいの」
いつもの冗談めいた口調ではなかった。
レンは一瞬、言葉に詰まった。
そして、少し照れながら答えた。
「……分かりました。一緒に行きましょう」
セレナは、ぱっと笑顔になった。
「約束ですわね」
「はい、約束です」
その横で、モモが元気よく手を上げた。
「じゃあ、黒曜港にもおいしいお菓子があるかな?」
レンは苦笑した。
「調査が先ですよ」
「調査しながら食べればいいんだよ!」
「そういう問題じゃありません!」
笑い声が宿の部屋に響いた。
しかし、窓の外では、夜の闇の中に一羽の黒い鳥が舞い降りていた。
その足には、小さな紙片が結ばれている。
紙片には、短くこう書かれていた。
『境界商人、黒曜港へ向かう。計画を次の段階へ移せ』
鳥は再び夜空へ飛び立った。
そして、遠く離れた港の倉庫で、一人の男がその知らせを受け取る。
男は紙片を読み、静かに笑った。
「ようやく来るか、境界商人……」
その背後には、異なる世界の貨幣と商品が、山のように積み上げられていた。
「信用など、数字ひとつで変えられる」
男は窓の外を見つめた。
「ならば次は、お前の信用を試してやろう」




