第26話 封印された記録保管室
「三年前の信用値改ざんは、まだ終わっていない……」
紙に書かれた一文を、蓮はもう一度読み直した。
地下二階へ続く扉の前。
そこには蓮、ミリア、セレナ、ガルド、バルト、そして妖精の姿になったモモが集まっていた。
「つまり、三年前にバルトさんの信用値を落とした事件は、今も続いているってこと?」
ミリアが慎重に尋ねる。
「そう考えるのが自然だな」
ガルドは腕を組み、扉に刻まれた文字を見つめた。
「だが、気になるのは『改ざん』という言葉だ。単に帳簿を消しただけなら、こんな書き方はしない」
「改ざんって……誰かが数字を変えたってこと?」
蓮の問いに、ガルドはうなずいた。
「信用値を決める記録そのものを操作した可能性がある。もしそうなら、バルトだけでなく、ほかの商人も被害に遭っているかもしれない」
「待ってください!」
バルトが思わず声を上げた。
「俺の信用値が落ちたのは、俺が契約を破ったからです。そこまで他人のせいにするつもりはありません」
「分かっている」
蓮はまっすぐにバルトを見た。
「君が契約を破った事実は消えない。でも、君がしていないことまで君の責任にする必要もない。俺たちが調べるのは、その両方だ」
バルトは唇をかみ、ゆっくりとうなずいた。
「……ありがとうございます」
そのとき、扉の横でミリアがしゃがみ込んだ。
「みんな、ちょっと静かにして」
彼女は指先に小さな魔力を集め、扉の縁をなぞった。
青白い光が浮かび上がる。
「やっぱり。鍵だけじゃない。扉全体に、記録を守るための魔法がかかっている」
「破れるか?」
蓮が尋ねると、ミリアは首を横に振った。
「無理に破れば、中の記録まで壊れるかもしれない。それに、この魔法……誰かを閉じ込めるためのものじゃない」
「では、何のためですの?」
セレナが尋ねる。
ミリアは刻まれた文字を指さした。
「『己の利益だけを求めてはならない』。たぶん、記録を持ち出して自分だけが得をすることを防ぐ仕組みなんだと思う」
「なるほどな」
ガルドが扉の下に落ちていた紙片を拾い上げた。
そこには、小さな記号が並んでいた。
「これは古い商取引の記録記号だ。金額ではなく、品物を誰に、何のために渡したかを示すものだな」
「何のために……?」
蓮は、その言葉に引っかかった。
この世界では、信用値がすべてを決める。
だが、その数字の向こう側には、人間がいる。
食べ物を必要とした村人。薬を待っていた人。契約を破られて損害を受けた商人。
数字だけでは測れない事情が、確かに存在するのだ。
「ねえ、レン!」
突然、モモが声を上げた。
「この蝶々、さっきより光ってる!」
月影の羽に反応して、モモの背中の羽が淡く輝いていた。
扉に刻まれた蝶の印も、呼応するように光を放つ。
「モモ、何か分かるか?」
「うーん……蝶々がね、こっちじゃなくて、こっち! って言ってる!」
「蝶々はしゃべらないだろ」
「しゃべってるもん!」
モモは頬を膨らませた。
「あと、お腹もすいた!」
「そこは今、関係ないだろ!」
蓮が思わず突っ込むと、緊張していた一同から小さな笑いが漏れた。
だが、モモの指は正確に扉の下部を指していた。
そこには、ほとんど見えないほど小さな蝶の模様があった。
ガルドが目を細める。
「待て……これは、古い記録保管室の管理印だ」
「管理印?」
「昔は、取引記録を保管するとき、内容が正しく保存されたことを示す印をつけていた。だが、この蝶の印は普通の帳簿には使われない」
「どういうことだ?」
「原本と、その写しを結びつけるための印だ」
蓮の目が大きくなった。
「じゃあ、ここには……」
「原本だけでなく、写しも保管されている可能性がある」
バルトが息をのんだ。
三年前、彼の店から消えた帳簿。
受領した記録のない薬草。
そして、誰かが操作したかもしれない信用値。
もし写しが残っているなら、真実に近づける。
「開ける方法は分かったのか?」
蓮が尋ねると、旧記録保管室の元管理人が、静かにうなずいた。
「扉は、鍵と管理印、そして記録を守る者の立ち会いがそろわなければ開きません」
彼は古い鍵を差し込み、蓮たちを見回した。
「ただし、一つだけ約束してください。ここにある記録は、誰かを陥れるために使ってはならない。正しい取引を取り戻すために使うのです」
「約束します」
蓮は迷わず答えた。
「バルトを無理に無実にするためでも、誰かを悪者にするためでもありません。何が起きたのかを確かめたいんです」
「……よろしい」
元管理人が鍵を回した。
カチリ。
扉の蝶の印が、強い光を放つ。
ミリアが魔力の流れを確かめ、モモが小さな手を印に添えた。
「いくよー!」
光が扉全体に広がった。
ゴゴゴゴ……。
長い年月、閉ざされていた扉が、ゆっくりと開いていく。
その向こうには、埃をかぶった棚がどこまでも続いていた。
壁一面に並ぶ古い帳簿。
木箱に収められた取引記録。
そして、部屋の中央に置かれた大きな机。
「すごい……」
ミリアが思わずつぶやいた。
しかし、蓮はすぐに異変に気づいた。
棚の一角だけ、妙に空いている。
そこには、本来なら帳簿が並んでいたはずの跡が、埃の上にはっきりと残っていた。
「ここだけ、抜き取られている……?」
ガルドが棚を調べる。
「しかも最近だ。周りの埃のつき方と違う」
「誰かが、俺たちより先に来ていたのか」
バルトの声が震えた。
そのとき、元管理人が中央の机に近づいた。
「ここには、通常の帳簿とは別に、信用値の変更履歴を記録した台帳が置かれていました」
「変更履歴?」
「誰が、いつ、どの商人の信用値を変更したのか。その理由と、承認者の名前です」
蓮は息を止めた。
それさえ残っていれば、バルトの信用値が落ちた経緯も分かるかもしれない。
ガルドが机の引き出しを開ける。
中には、何もなかった。
「空だ……」
バルトの顔から血の気が引いた。
「また、消されたのか……」
その瞬間だった。
「いいえ。全部は消されていません」
セレナの声が響いた。
彼女は机の裏側を指さしていた。
そこには、小さな金属製の箱が取り付けられている。
蝶の模様が刻まれた箱だった。
モモの羽が、再び光り始める。
「これ、さっきの蝶々と同じ!」
ミリアが箱を調べた。
「鍵穴はない。でも、魔法で閉じられているわけでもない……」
ガルドが箱の側面を確認し、目を見開いた。
「これは、商人同士の取引番号を組み合わせて開く仕組みだ」
「取引番号?」
蓮はバルトを見た。
「三年前の取引で、何か覚えている番号はないか?」
バルトは目を閉じ、必死に記憶を探った。
そして、かすれた声で答えた。
「……ある」
「本当か?」
「村へ薬草を届けたときの番号だ。俺が契約を破った取引として、何度も記録に出てきた番号だから、忘れるはずがない」
彼は震える指で、番号を告げた。
ガルドがその番号を金属箱の小さな刻印に合わせる。
カチッ。
箱が開いた。
中には、薄い帳簿が一冊。
そして、短い紙片が入っていた。
蓮が帳簿を開く。
最初のページには、三年前の日付と、複数の商人の名前が記されていた。
その中に、バルトの名前もある。
だが、蓮が本当に驚いたのは、その隣だった。
信用値変更の承認者――ハーゲン。
そして、その下に記されていた別の名前。
最終確認者――エドガー。
「……エドガー?」
バルトがつぶやいた。
そのとき、地下室の入り口から、誰かの足音が響いた。
コツ。
コツ。
コツ。
「その帳簿を、こちらへ渡していただけますか」
聞き覚えのある声。
振り返った蓮たちの前に立っていたのは、商業組合の監査補佐官、エドガーだった。
彼は笑っていた。
しかし、その目はまったく笑っていなかった。
「それは、正式な手続きを経ずに閲覧できる記録ではありません」
蓮は帳簿を閉じ、胸元に抱えた。
「なら、正式な手続きを確認しましょう。これは三年前の信用値変更を調べるための重要な記録です」
「あなたは、この世界の商業制度を理解していない」
「だからこそ、記録を確認しているんです」
蓮は一歩も引かなかった。
エドガーの笑みが消える。
「……その帳簿には、あなた方が知らない事情がある」
「だったら、説明してください」
沈黙。
やがてエドガーは、低い声で言った。
「その記録を公表すれば、バルト一人の問題では済まなくなりますよ」
蓮は、帳簿を抱える腕に力を込めた。
「それでも、隠したままにはできません」
その言葉を聞いたエドガーの表情が、初めて大きく揺れた。
ほんの一瞬。
だが、蓮は見逃さなかった。
この帳簿には、バルトの信用値を落とした記録だけではない。
もっと大きな秘密が隠されている。
そして、その秘密を知る人物が、今、目の前にいる。




