第22話 信用を取り戻す最初の商売
「……本当に、俺の商品を売るつもりなのか?」
翌朝。
市場へ向かう道で、バルトは何度目かわからない質問を口にした。
「売るつもりですよ。ただし、何でもかんでも売れるとは思っていません」
「だったら、やめておけ。俺の商品を見ただけで、みんな顔をしかめるぞ」
「それなら、顔をしかめる理由を聞きましょう」
「簡単だ。俺が信用できないからだ」
バルトは自嘲するように笑った。
その信用値は、マイナス999。
この街で、彼ほど嫌われた商人はいない。
「レン、質問!」
モモがレンの肩に止まり、元気よく羽を広げた。
「信用って、おいしいの?」
「食べられないよ」
「じゃあ、いらない!」
「いや、商売には必要なんだって」
「むずかしい世界だねえ……」
小さな妖精姿のモモは、腕を組んでうなった。
その直後、彼女のお腹が鳴った。
「でも、お菓子は必要!」
「それは信用より優先なのか……」
バルトが思わず吹き出した。
昨日まで、彼の顔にはそんな表情などなかった。
ほんの少しだけ、空気が変わった気がした。
◇
市場に到着すると、案の定、周囲の視線が集まった。
「あいつはバルトじゃないか?」
「何をしに来たんだ」
「また契約を破るつもりか?」
「買うなよ。あいつの商品は信用できない」
次々と厳しい言葉が飛んでくる。
バルトは黙ってうつむいた。
「……帰ろう、レン。やっぱり無理だ」
「まだ商品を並べていませんよ」
「見ただけで、誰も買わない」
「だったら、今日は買ってもらうことより、知ってもらうことを目標にしましょう」
レンは荷車から商品を取り出した。
保存食、布、乾燥させた薬草。
どれも特別珍しいものではない。
だが、保存食の包装は丁寧で、布の織り目もそろっていた。
レンは一つずつ商品を並べた。
「本日の販売は、商品の品質確認から始めます」
「品質確認?」
近くにいた女性が眉をひそめた。
「はい。中身を見て、品質を確かめてください。保存食は試食もできます。気になるところがあれば、遠慮なく聞いてください」
「……バルトの商品を、私たちが調べろって?」
「いいえ。買うかどうかを決めるのは、お客さんです。納得できなければ買わなくて構いません」
レンは笑顔で答えた。
「ただ、商品そのものまで見ずに判断するのは、少しもったいないと思いまして」
女性は警戒しながらも、保存食を手に取った。
包装を開け、匂いを確かめる。
それから、ほんの少しだけ口にした。
「……普通に、おいしいわね」
「ありがとうございます」
バルトが驚いた顔を上げた。
女性はすぐに表情を引き締めた。
「でも、私は買わないわ。あなたがまた約束を破るかもしれないもの」
「はい……」
バルトは反論しなかった。
「商品が良いことと、あなたを信用できることは別よ」
その言葉に、レンは静かにうなずいた。
「おっしゃるとおりです」
バルトも頭を下げた。
「そのとおりだ。俺は、商品が良ければ許されると思っていたのかもしれない」
女性は少しだけ驚いた顔をした。
言い返されると思っていたのだろう。
「……今日は買わない。でも、試食させてもらったことには感謝するわ」
そう言って、女性は立ち去った。
売上はゼロ。
それでもレンは、失敗だとは思わなかった。
◇
昼を過ぎても、商品はほとんど売れなかった。
「レン、ぜんぜん売れないね」
モモが小声で言った。
「そうだね」
「じゃあ、値段を半分にする?」
「それだけじゃ解決しないよ」
「じゃあ、タダにする?」
「商売にならないだろ」
「うーん……。難しい!」
モモは頭を抱えた。
そのとき、一人の男性が荷車の前で足を止めた。
「おい、バルト」
険しい顔をした年配の商人だった。
「お前に聞きたいことがある」
「……何でしょうか」
「三年前、お前が俺に納めるはずだった薬草。覚えているな?」
バルトの顔色が変わった。
「忘れるわけがありません」
「約束の日に届かなかった。俺はそれを使う予定だった客との契約を失い、大きな損失を出した」
「……申し訳ありませんでした」
「謝罪なら何度も聞いた。俺が知りたいのは、なぜ連絡ひとつよこさなかったのかということだ」
バルトは口を閉ざした。
市場のざわめきが、遠くに聞こえる。
やがて彼は、ゆっくりと話し始めた。
「村へ向かう途中、橋が崩れていました。迂回路も土砂でふさがれ、荷車を進められなかったんです」
「それで?」
「その先の村で、子どもたちが病気になっていました。食料も薬も足りなかった。俺は、積んでいた薬草と保存食を村へ渡しました」
「それは聞いている」
年配の商人は厳しい声で続けた。
「だが、連絡する方法はあったはずだ」
「……はい」
「なぜ、しなかった?」
バルトは唇をかんだ。
「連絡すれば、村へ行くのを止められると思ったんです。俺は、自分で決めてしまった。あの村を助けるためなら、ほかの約束を後回しにしてもいいと……」
「つまり、自分の判断だけで俺との契約を破ったわけだ」
「……そのとおりです」
バルトは深く頭を下げた。
「言い訳はしません」
年配の商人は、しばらく黙っていた。
「俺はな、お前が村を助けたことを責めているんじゃない」
「え……?」
「俺にも、あの村に親戚がいる。助けが必要だったことはわかっている」
男性の目が鋭くなる。
「だが、俺にも取引先がいた。薬草が届かず、困った人間がいたんだ。お前が村を助けた一方で、別の誰かが困った。その事実は消えない」
「……はい」
「善意を理由に、ほかの人間への責任をなくすな」
その言葉が、バルトの胸に突き刺さった。
レンも、すぐには口を開けなかった。
どちらか一方だけが正しい話ではない。
だからこそ、簡単に答えを出してはいけないのだ。
◇
「ひとつ、提案してもいいですか?」
レンが口を開いた。
年配の商人が振り返る。
「あなたが受けた損失を、確認させてください。バルトさんにも、支払える範囲を正直に出してもらいます」
「損失を確認して、どうする?」
「すぐに全部返せるとは限りません。でも、返済計画を作ることはできます」
レンはバルトを見た。
「売上の一部を返済に回す。納期を守れる小さな契約から始める。遅れそうなときは、期限前に必ず連絡する」
「そんなことをして、俺の信用が戻るのか?」
「一度の商売で戻るとは思いません」
レンははっきり答えた。
「でも、約束を守った実績は残ります。十回、二十回と積み重ねれば、少なくとも『何をしても信用できない』という状態からは変わっていけるはずです」
「……」
「もちろん、あなたが被害を受けた方に、許してもらえるとは限りません。それでも、責任を取ることはできます」
年配の商人は腕を組んだ。
「口だけなら何とでも言える」
「はい。ですから、最初の返済日と金額を決めましょう。守れなければ、その事実も記録に残します」
バルトは驚いたようにレンを見た。
「お前……俺をかばっているんじゃないのか?」
「かばっているつもりはありません」
レンは首を横に振った。
「あなたが間違えたことは、なかったことにはできない。でも、これから何をするかまで、過去だけで決める必要もないと思うんです」
しばらくして、年配の商人は小さく息を吐いた。
「……返済計画を作るなら、話くらいは聞いてやる」
「ありがとうございます!」
バルトが深く頭を下げる。
「礼を言うのは、返済してからにしろ」
「はい!」
厳しい言葉だった。
だが、バルトの声には、昨日までになかった力が戻っていた。
◇
その日の夕方。
レンたちは売れ残った商品を荷車に積んでいた。
結局、まともに売れたのは保存食が二つだけ。
それでも、レンは満足していた。
「今日は、何も売れなかったな……」
バルトがつぶやく。
「二つ売れましたよ」
「たった二つだ」
「でも、ゼロではありません」
レンはスマートフォンを取り出した。
画面には、見慣れない表示が浮かんでいた。
【特別依頼:信用回復】
【対象商人:バルト】
【信用値:-999】
【変化:なし】
【評価項目:契約履行・責任対応・継続実績】
「……信用値は変わらないか」
レンがつぶやくと、バルトは苦笑した。
「当たり前だ。たった一日で、何年もかけて失った信用が戻るわけがない」
「そうですね」
レンはスマートフォンをしまった。
「だから、明日もやりましょう」
「明日も?」
「ええ。明日は、今日より一つでも多く約束を守る。それだけです」
モモが両手を上げた。
「じゃあ、明日はお菓子も売ろう!」
「話を聞いていたか?」
「聞いてたよ! 約束を守るんでしょ? じゃあ、モモはお菓子を食べる約束を守る!」
「そんな約束はしていない!」
市場の片隅で、三人の笑い声が響いた。
そのときだった。
レンのスマートフォンが、突然震えた。
【警告】
【対象商人:バルト】
【未確認情報を検出】
【契約不履行に関する記録に、複数の不整合があります】
「……不整合?」
レンは画面を見つめた。
続けて、もう一つの表示が浮かぶ。
【注意:第三者による取引記録への干渉の可能性】
レンの表情が変わった。
バルトが契約を破ったことは事実だ。
だが、その記録のすべてが正しいとは限らない。
「バルトさん」
「何だ?」
「あなたが失敗した取引について、契約書や納品記録は残っていますか?」
「残っているものもある。だが、いくつかは……」
バルトはそこで言葉を切った。
「……失くなったんだ」
「失くなった?」
「俺が信用を失い始めた頃、帳簿の一部が消えた。誰かに盗まれたのか、俺が混乱している間に処分されたのか……わからない」
レンはスマートフォンを握りしめた。
商売の失敗だけでは説明できない何かがある。
しかし、誰かの陰謀だと決めつけるには、まだ証拠が足りない。
「明日は、残っている記録を全部確認しましょう」
レンは言った。
「本当にあなたが悪かった部分も、そうではない部分も、分けて考えます」
バルトは、しばらくレンを見つめていた。
やがて、静かにうなずく。
「……頼む」
その瞬間、スマートフォンの画面が一度だけ光った。
【特別依頼:進行中】
【次の調査対象:消失した取引記録】
【重要度:高】
レンは空を見上げた。
信用を取り戻すための商売は、まだ始まったばかりだ。
そして、この街には――。
金貨よりも重い、何かが隠されているのかもしれなかった。




