第21話 街で最も嫌われた商人
翌朝。
蓮は取引所から届いた依頼書を、テーブルの上に広げていた。
『信用を失った商人を救ってほしい』
「……救うって、どういう意味だ?」
依頼書には、商人の名前と住所だけが記されていた。
商人名:バルト
信用値:マイナス999
「マイナス999!?」
蓮は思わず声を上げた。
「信用値って、マイナスになるの?」
ミリアが覗き込む。
「どうやら、なるらしいな……」
セレナは腕を組んだ。
「そこまで信用を失うなんて、何をした人なのかしら」
「会ってみないと分からない」
蓮は依頼書をしまった。
「まずは本人の話を聞こう」
「蓮、甘いもの持った?」
モモが肩の上から尋ねる。
「持ってない」
「ええっ!」
「商人を助けに行くんだよ。お菓子を買いに行くんじゃない」
「でも、話し合いにはお菓子が必要だと思う!」
「……それは一理あるかもしれない」
「でしょう!」
モモは得意げに胸を張った。
結局、蓮はポテトチップスを一袋だけ持っていくことにした。
*
バルトの店は、街の中心から離れた路地にあった。
看板は傾き、窓は汚れている。
入口には、誰も近づかないようにするためなのか、警告の札まで貼られていた。
『この店との取引は推奨しない』
「……すごい言われようだな」
蓮が呟く。
扉をノックしても、返事はなかった。
もう一度叩く。
「すみません。バルトさんはいらっしゃいますか?」
しばらくして、扉が少しだけ開いた。
隙間から現れたのは、疲れた顔をした中年の男性だった。
「……何の用だ」
「取引所から依頼を受けて来ました。佐伯蓮といいます」
その名前を聞いた瞬間、男の顔が曇った。
「帰ってくれ」
「え?」
「俺にはもう、商売なんてできない」
男は扉を閉めようとした。
蓮は慌てて声をかける。
「待ってください! 事情を聞くだけでも――」
「聞いてどうする!」
男の声が路地に響いた。
「俺を助けたところで、あんたまで信用を失うだけだ!」
蓮は黙った。
男の目には怒りがあった。
だが、それ以上に深い諦めが見えた。
「……分かりました」
蓮は一歩下がった。
「今日は帰ります」
男が驚いた顔をする。
「ただ、また来ます」
「なぜだ!」
「まだ、あなたが何をしたのか知らないからです」
蓮は静かに答えた。
「話を聞かずに、あなたを悪い商人だと決めつけたくありません」
男は何も言わなかった。
蓮たちは、その場を離れた。
*
街の市場へ戻ると、蓮は商人たちに話を聞いて回った。
しかし、返ってくるのは厳しい言葉ばかりだった。
「バルト? あいつとは関わらないほうがいい」
「信用を失ったのには理由がある」
「約束した商品を届けなかったんだ。おかげで、何人もの商人が損をした」
「もう二度と、あいつとは取引しない」
蓮は話を聞きながら、手帳に記録していった。
商品の未納。
契約違反。
取引相手への損害。
どれも、商人として重大な問題だった。
「……これは、簡単じゃないな」
ミリアが心配そうに言う。
「うん。相手が怒るのも無理はない」
蓮は頷いた。
「でも、気になることがある」
「何?」
「誰に聞いても、バルトがどうして商品を届けられなかったのかは、誰も知らないんだ」
セレナが首を傾げる。
「商品を届けなかったのなら、理由があっても責任はあるでしょう?」
「そうだな。だけど、理由を知らずに助けることも、責めることもできない」
蓮は市場を見渡した。
そのとき、露店の老人が小さく呟いた。
「……あの男も、昔は悪い商人じゃなかったんだがな」
蓮はすぐに振り返った。
「昔は?」
老人は周囲を気にしながら頷いた。
「バルトは、困っている人間を放っておけない奴だった。儲けの少ない仕事でも、必要とされれば引き受けていたよ」
「それで、どうして……?」
老人は首を横に振った。
「ある年、大きな災害があったんだ。遠くの村が被害を受けて、食料も薬も足りなくなった」
蓮の表情が変わる。
「まさか、そこへ商品を?」
「そうだ。バルトは村を助けるために、たくさんの商品を集めたらしい」
老人はため息をついた。
「だが、約束した相手に商品を届けられなくなった。それで信用を失ったんだ」
「……」
蓮は考え込んだ。
人を助けるために、別の約束を破ってしまった。
それは正しいことだったのか。
それとも、商人として許されないことだったのか。
簡単には答えが出なかった。
「ありがとうございます」
蓮は老人に礼を言った。
そして、もう一度バルトの店へ向かった。
*
「……また来たのか」
扉を開けたバルトは、うんざりした顔をした。
「はい」
蓮は逃げずに答えた。
「あなたが、災害に遭った村を助けたと聞きました」
バルトの顔が強張った。
「誰から聞いた」
「市場の方です」
「……昔の話だ」
「そのとき、商品を届けられなかったんですね」
バルトは唇を噛んだ。
「俺は、村を見捨てられなかった」
低い声だった。
「食料がなければ、子どもたちが飢える。薬がなければ、病人が死ぬ。だから、集めた商品を全部そちらへ回した」
「……それで、ほかの取引相手への商品が足りなくなった」
「そうだ」
バルトは拳を握った。
「どんな事情があろうと、約束を破ったのは俺だ。損をさせた相手に謝った。だが、許してはもらえなかった」
彼は自嘲するように笑った。
「当然だ。俺だって、同じことをされたら怒る」
蓮は黙って聞いていた。
「それから信用値は落ち続けた。取引相手はいなくなり、商品を仕入れることもできなくなった。今じゃ、何を売ろうとしても誰も相手にしない」
バルトは蓮を見た。
「だから、もう放っておいてくれ」
しばらく、沈黙が続いた。
やがて蓮は、静かに口を開いた。
「……あなたは、今もその村を助けたいと思いますか?」
バルトは驚いた顔をした。
「何?」
「もし、同じようなことが起きたら、もう一度助けに行きますか?」
「……当たり前だ」
迷いのない返事だった。
「俺は、商人である前に、人間だからな」
蓮は小さく笑った。
「そうですか」
「何がおかしい」
「いえ。少し、安心しました」
蓮は手帳を取り出した。
「あなたが約束を破ったことは、なかったことにはできません。損をした人たちへの責任も残っています」
「……分かっている」
「でも、これから先の取引まで、永遠にできないと決まったわけじゃない」
バルトは蓮を見つめた。
「……あんた、俺を助けるつもりか?」
「はい。ただし、すぐに信用値を戻す方法なんて、俺にも分かりません」
蓮は正直に答えた。
「まずは、今のあなたにできることを探しましょう」
バルトは長い間、何も言わなかった。
やがて、ほんの少しだけ扉を開いた。
「……入れ」
その声は、先ほどよりもわずかに柔らかかった。
*
店の中には、売れ残った商品が少しだけ残されていた。
乾燥した薬草。
古い布。
小さな保存食の袋。
どれも大量にはない。
蓮は一つずつ確認した。
「この薬草、どこで仕入れたんですか?」
「北の村だ。品質は悪くない」
「布は?」
「隣町の織物職人からだ」
蓮は商品を手に取り、考え込んだ。
売れないのは、品質が悪いからではない。
バルトの信用値が低すぎて、誰も買おうとしないのだ。
「……商品そのものを見てくれる人が必要だな」
蓮は呟いた。
そのとき、モモがポテトチップスの袋を抱えて飛んできた。
「蓮! これ、バルトさんにもあげていい?」
「……ああ。もちろん」
モモはバルトの前へ行き、小さな手で袋を差し出した。
「はい!」
「……何だ、これは」
「ポテトチップス!」
バルトは戸惑いながら一枚食べた。
パリッ。
しばらく噛んでから、彼は小さく目を見開いた。
「……変わった食感だな」
「おいしいでしょう!」
モモが得意げに言う。
「……ああ。うまい」
その一言に、モモは満足そうに笑った。
蓮はその様子を見て、ふと思いついた。
信用値がないなら、最初から大きな契約を結ぶ必要はない。
まずは小さな商品を一つ、納得して買ってもらう。
その相手が、商品を正しく評価してくれれば――。
「バルトさん」
「何だ」
「明日、俺と一緒に市場へ行きませんか?」
「市場?」
「あなたの商品を、もう一度見てもらいましょう」
バルトは困惑した顔をした。
「誰も買わないぞ」
「それなら、買わない理由を聞けばいい」
蓮は笑った。
「商売は、そこから始められます」
バルトはしばらく蓮を見つめていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
その夜。
蓮は宿へ戻る途中、スマートフォンの画面を確認した。
そこには、新しい表示が浮かんでいた。
【特別依頼:進行中】
【対象商人:バルト】
【信用回復の可能性:未確定】
そして、その下に小さな文字。
【注意:過去の契約に関する未確認情報あり】
「……未確認情報?」
蓮は足を止めた。
バルトが商品を届けられなかったのは、本当に災害だけが理由だったのだろうか。
それとも――。
誰かが、彼の商売を妨害したのだろうか。
蓮はスマートフォンをしまった。
「明日、確かめよう」
信用を取り戻す商売は、まだ始まったばかりだった。




