第20話 信用値ゼロの商人
「……測定不能?」
取引所の奥で、管理人の男は画面を何度も確認していた。
表示されている名前は、間違いなく佐伯蓮。
しかし、その信用値は数字ではなかった。
【信用値:測定不能】
【境界商人認証:反応あり】
【取引履歴:複数世界に存在】
「こんな記録、見たことがない……」
男は小さく呟いた。
一方、そのことを知らない蓮は、受付の前で待っていた。
「ねえ、蓮」
モモが肩の上から声をかける。
「ん?」
「信用値って、おいしいの?」
「食べ物じゃないぞ」
「じゃあ、いらない!」
「いや、商売するには必要なんだって」
「えー。ポテトチップスのほうが大事だよ」
「お前は本当にぶれないな……」
ミリアがくすくす笑う。
「でも、信用がなければ売れないんでしょう?」
「ああ。だから、まずは信用を作るところからだな」
蓮は受付の壁にある説明書きを読んだ。
この街では、商品を売るにも買うにも、信用値が必要らしい。
取引をして、約束を守る。
相手が満足すれば信用が積み重なる。
逆に、契約を破れば信用を失う。
仕組み自体は理解できる。
だが、問題は――。
「最初の取引相手をどうやって見つけるか、だな」
蓮が呟いた、そのとき。
「お待たせしました」
先ほどの女性職員が戻ってきた。
「取引試験の準備ができました。こちらへどうぞ」
案内されたのは、取引所の小さな部屋だった。
机の上には、三つの箱が並んでいる。
「試験内容は簡単です」
女性が説明を始めた。
「こちらの箱に入っている商品を、必要としている相手に届けてください」
「商品を届ける?」
「はい。ただし、報酬はありません」
「……報酬なし?」
蓮は思わず聞き返した。
女性は頷いた。
「この試験では、利益ではなく、取引相手の評価によって信用値が決まります」
「なるほど……」
蓮は箱を開けた。
中に入っていたのは、小さな水筒、布、そして保存食だった。
どれも珍しい商品ではない。
「この三つを必要としている人を探せばいいんですね?」
「その通りです」
女性が微笑む。
「制限時間は今日の日没までです」
蓮は箱を閉じた。
「分かりました」
*
取引所を出ると、蓮たちは街を歩き始めた。
「さて、どうするか」
「困っている人を探せばいいんじゃない?」
ミリアの提案に、蓮は頷いた。
「そうだな。必要な人に届ける。それが一番確実だ」
セレナが街を見回す。
「この街の人たちは、みんなカードを持っているわね」
「信用値を記録するカードらしい」
蓮は通りの向こうを見た。
そこでは、荷物を抱えた老人が困った顔をしていた。
足元には、たくさんの小箱が積み重なっている。
「すみません、大丈夫ですか?」
蓮が声をかける。
老人はため息をついた。
「配達の途中で荷車が壊れてしまってね。今日中に届けなければならない品物があるんだが……」
「どこまで運ぶんですか?」
「この先の市場までだよ。でも、私は足が悪くてね」
蓮はすぐに答えた。
「手伝います」
「えっ?」
「荷物を運ぶだけなら、できますから」
老人は戸惑った。
「しかし、報酬は払えないよ」
「大丈夫です。困っているんでしょう?」
蓮は箱を持ち上げた。
ミリアも手伝い、セレナも荷物を抱える。
モモは小さなフェアリーの姿で飛び回り、軽い包みを運んだ。
「モモもお手伝い!」
「落とすなよ」
「落とさないもん!」
……数秒後。
「あっ!」
包みがくるくる回りながら落ちてきた。
蓮が慌てて受け止める。
「モモ!」
「ご、ごめんなさい!」
「次はゆっくり運ぼうな」
「はーい……」
そんなやり取りをしながら、彼らは市場へ向かった。
到着すると、老人は何度も頭を下げた。
「本当にありがとう。これで約束に間に合うよ」
その瞬間。
ピピッ。
蓮のスマートフォンが鳴った。
【取引評価を確認】
【約束履行:確認】
【信用値:1】
「……おお!」
蓮は思わず画面を見つめた。
たった一つ。
それでも、ゼロではなくなった。
「やったね、蓮!」
ミリアが笑う。
「これで最初の一歩だな」
蓮も笑顔になった。
ところが――。
ピピピッ!
今度は、取引所から緊急通知が届いた。
【警告】
【信用値の異常変動を検出】
【対象:佐伯蓮】
「……え?」
蓮が画面を確認する。
信用値が、1から急に変化していた。
【信用値:測定不能】
「いや、戻るの早すぎない!?」
モモが首を傾げる。
「信用値って、忙しいんだね」
「そういう問題じゃないだろ!」
*
その頃、取引所の奥では、管理人が責任者を呼び出していた。
「間違いありません。彼が登録されました」
責任者は画面を見つめ、険しい顔をした。
「境界商人……。しかも、複数世界で取引履歴がある」
「この街の信用制度では、彼を通常の数値で評価できません」
責任者はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「ならば、特別な取引を用意しろ」
「特別な取引、ですか?」
「そうだ。彼が本当に信用に値する商人なのか、確かめる」
責任者は画面を閉じた。
「明日、彼に依頼を出す」
その依頼は、この街の商人たちでさえ引き受けたがらないものだった。
*
夕暮れ。
蓮たちは、街の小さな宿に戻っていた。
「今日は疲れたな……」
蓮が椅子に座る。
セレナが飲み物を差し出した。
「お疲れさま」
「ありがとう」
「それにしても、蓮って不思議ね」
「何が?」
「報酬もないのに、迷わず人を助けるんだもの」
蓮は少し考えてから答えた。
「商売って、商品を渡してお金をもらうだけじゃないと思うんだ」
「うん」
「相手が困っているなら、まず何ができるか考えたい。そういう積み重ねが、いつか商売にもつながるんじゃないかな」
セレナは優しく微笑んだ。
「……やっぱり、私の未来の夫にふさわしいわ」
「そこに戻るの!?」
ミリアが吹き出す。
モモも元気よく手を挙げた。
「モモも未来の何かになる!」
「何の?」
「お菓子担当!」
「それはもう決定してるだろ……」
笑い声が宿に響いた。
そのとき、扉がノックされた。
コン、コン。
蓮が扉を開けると、取引所の女性職員が立っていた。
「佐伯蓮さん。明日、あなたに特別な取引依頼が届きます」
「特別な取引?」
「はい」
女性の表情は、いつになく真剣だった。
「この街の信用制度そのものに関わる、大切な依頼です」
蓮は目を見開いた。
「……分かりました。引き受けるかどうかは、内容を聞いてから決めます」
女性は少し驚いたあと、微笑んだ。
「それでこそ、商人ですね」
扉が閉まる。
蓮は窓の外に広がる街を見つめた。
この世界では、金貨よりも信用が大切。
ならば、明日の取引で試されるのは――。
自分が、何を守れる商人なのかということだ。
そして翌朝。
蓮のもとに届いた依頼書には、こう書かれていた。
『信用を失った商人を救ってほしい』
その商人は、この街で最も嫌われている人物だった。




