第19話 金貨が使えない世界
「金貨が使えないって、どういうことだ?」
湖底から戻った蓮は、部屋のテーブルに帳簿を広げていた。
その隣には、二つのアイテムが並んでいる。
月影の羽。
大地の印。
そして、二つのアイテムと共鳴する星実。
これで、新しい世界へ進む条件は揃った。
……はずだった。
「金貨が使えないなら、銀貨を使えばいいんじゃない?」
ミリアが言った。
「いや、そういう問題じゃない気がする」
蓮は帳簿の最後のページを指さした。
『次の世界では、金貨は価値を持たない』
「わざわざ書いてあるんだ。何か理由があるんだろうな」
セレナは腕を組んだ。
「竜王国でも、ヴェルナでも、金貨は価値のあるものよ。それが通用しない世界なんて、想像できないわ」
「俺もだよ」
蓮はスマートフォンを取り出した。
画面には、新しい接続先の情報が表示されている。
【接続条件:達成】
【接続先:未登録世界】
【商業規則:未確認】
【通貨情報:未確認】
「やっぱり、まだ何も分からないか」
「だったら、行ってみるしかないね!」
モモが元気よく飛び上がった。
「新しい世界! 新しいお菓子!」
「お前、目的がお菓子になってるぞ」
「大事なことだよ!」
モモは小さな手を腰に当てた。
「お菓子がない世界だったら、モモは悲しいもん」
「……その世界にも食べ物くらいあるだろ」
「プリンがあるとは限らない!」
「そこが一番重要なのか……」
蓮は笑いながら、出発の準備を始めた。
今回ばかりは、いつものように商品を大量に持っていくわけにはいかない。
まずは現地の通貨と商業規則を調べる。
それから仕入れと販売を考える。
商人として、基本を忘れてはいけない。
「持っていくのは、水、保存食、少量のお菓子。それと交換用の商品を少し」
「ロールケーキは?」
セレナが尋ねた。
「今回は持っていかない。あれは日本のケーキ屋さんから仕入れる数量限定品だからな。まずは新しい世界の様子を確認したい」
「賢明ね」
「ポテトチップスは?」
モモが聞いた。
「少しだけ」
「やったー!」
モモの喜びように、蓮は思わず苦笑した。
こうして、一行は出発した。
*
カーテンを開ける。
いつもの部屋の窓の向こうに、見慣れない光が揺れていた。
蓮は深呼吸する。
「よし。未知の世界へ出発だ」
一歩、踏み出した。
次の瞬間――。
「……うわっ!」
蓮の足元が消えた。
「蓮!?」
ミリアが叫ぶ。
全員が、光の中へ吸い込まれていった。
*
気がつくと、蓮たちは白い石畳の上に立っていた。
目の前には、巨大な都市が広がっている。
高い塔。
空中を走る乗り物。
壁面に浮かぶ、色鮮やかな文字。
そして、街中を行き交う人々。
「……すごいな」
蓮は思わず呟いた。
中世風の町並みとはまったく違う。
魔法と機械が融合したような、不思議な都市だった。
「ここ、本当に異世界?」
ミリアが目を丸くする。
「間違いない。スマートフォンを見てみよう」
蓮が画面を確認した。
【接続先:未登録世界】
【都市名:セントラル】
【商業規則:確認中】
【通貨:未登録】
「セントラル……」
そのとき、街の入口にある大きな看板が目に入った。
『すべての取引は、信用によって成立する』
蓮は足を止めた。
「信用……?」
さらに、その下には小さな文字があった。
『貨幣による支払いは受け付けておりません』
「本当に金貨が使えないんだ……」
セレナが驚いた。
「では、どうやって商品を買うの?」
「それを調べるのが、今回の仕事だな」
蓮は周囲を見回した。
街には店がたくさんある。
しかし、どの店にも値札が見当たらない。
代わりに、店先の壁には数字と名前が表示されていた。
「何だ、あれ?」
蓮が近づこうとした瞬間。
「そこの旅人さん」
後ろから声がした。
振り返ると、青い制服を着た女性が立っていた。
胸元には、銀色のカードがついている。
「この街は初めてですか?」
「はい。今日、来たばかりです」
「でしたら、まず商業登録をしてください」
「商業登録?」
女性は頷いた。
「この街では、信用値がなければ商品を購入することも、販売することもできません」
蓮は眉を寄せた。
「信用値って、何ですか?」
「その人が、どれだけ信頼できる取引相手なのかを示す数値です」
女性は壁の表示を指さした。
「取引をすれば信用値が変化します。約束を守れば上がり、契約違反をすれば下がります」
「なるほど……」
蓮は考え込んだ。
金貨ではなく、信用で取引する世界。
つまり、どれだけお金を持っていても、信用がなければ商売ができない。
「面白い仕組みだな」
蓮が呟くと、女性は不思議そうに首を傾げた。
「面白い?」
「はい。商売をするなら、信用は大切ですから」
女性は少しだけ表情を和らげた。
「そう言ってくださる方は、珍しいですね」
そのとき。
ピピッ!
蓮のスマートフォンが鳴った。
【新規商業規則を確認】
【信用値による取引制度】
【初期信用値:0】
「ゼロ!?」
蓮は思わず声を上げた。
「ちょっと待ってくれ。信用が大切なのは分かるけど、ゼロからじゃ商品を売れないんじゃないか?」
女性は申し訳なさそうに頷いた。
「その通りです。初めて登録した方は、まず簡単な取引試験を受けていただきます」
「取引試験……」
蓮の目が輝いた。
試されるのは、商人としての腕。
ならば、逃げる理由はない。
「受けます」
蓮は迷わず答えた。
女性は小さく笑った。
「では、こちらへ。あなたにぴったりの課題があるかもしれません」
彼女が案内したのは、街の中央にある小さな取引所だった。
入口には、一枚の紙が貼られている。
『信用値ゼロの新人商人、歓迎』
蓮はその文字を見て、思わず笑った。
「よし。ここから始めよう」
しかし、取引所の奥。
蓮の名前を見た管理人が、突然顔色を変えたことには、誰も気づかなかった。
「……そんな馬鹿な」
管理人の手元には、古い記録が表示されていた。
そこに記されていたのは――。
『境界商人・佐伯蓮。信用値:測定不能』
新しい世界での商売は、まだ始まったばかりだった。




