第18話 湖底に眠る商人の記録
「……この先に、何があるんだろう」
蓮は、湖底に続く暗い階段を見つめていた。
見つけた古い紙には、こう書かれていた。
『この先にあるものを、欲しいと思った商人は失格』
そして、巨大な石門を越えた先には、青い光を宿した水晶の柱があった。
しかし、柱に触れようとした瞬間、謎の声が響いたのだ。
『まだ早い』
『大地の湖の最深部へ来い。そこに、最後の答えがある』
「……行くしかないな」
蓮が一歩踏み出す。
「待って」
ミリアが腕をつかんだ。
「何があるか分からないよ。慎重に進もう」
「そうだな。何かあったら、すぐ引き返す」
「本当に?」
セレナがじっと蓮を見る。
「本当に」
「前にも同じことを言って、珍しい商品を見つけた途端に突っ走った気がするけれど?」
「……気のせいだろ」
「そういうことにしておくわ」
セレナは微笑んだ。
そのとき、蓮の頭の上から声がした。
「蓮!」
「今度は何だ、モモ?」
「お腹すいた!」
「この状況で!?」
「だって、さっきからずっと歩いてるんだよ!」
モモはフェアリーの小さな身体で、蓮の目の前をふわふわ飛んだ。
「フェアリーって、もっと神秘的な存在じゃないのか……」
「モモはモモだもん!」
「それはそうだけど」
蓮は苦笑しながら、リュックから小さな菓子袋を取り出した。
「これで最後だからな」
「ポテトチップス!」
モモの目が輝いた。
「一枚だけだぞ」
「三枚!」
「交渉するな!」
結局、二枚渡すことになった。
モモは満足そうにポテトチップスをかじる。
パリッ。
静かな湖底に、場違いな音が響いた。
すると――。
ゴォォォン……。
階段の奥から、低い音が返ってきた。
全員が動きを止めた。
「……今の、何?」
ミリアが杖を構える。
蓮はスマートフォンを確認した。
【未登録区域を確認】
【過去の境界商人の痕跡:検出】
「境界商人……」
蓮は画面を見つめた。
自分と同じように、世界と世界を行き来していた商人。
いったい、どんな人だったのだろう。
そして、なぜこの湖の底に記録を残したのか。
「行こう」
今度は誰も反対しなかった。
階段を下りていくと、やがて広い空間に出た。
そこには、古びた木の机が一つ置かれていた。
机の上には、分厚い帳簿。
その隣には、錆びた小さな秤があった。
「……これ、本当に湖の底なの?」
セレナが不思議そうに周囲を見回す。
壁には棚が並び、壊れた箱や空の瓶が残されている。
まるで、誰かが長い間ここで商売をしていたかのようだった。
蓮は机へ近づいた。
帳簿の表紙には、かすれた文字が書かれている。
『境界商人の取引記録』
「これだ……!」
蓮はそっと帳簿を開いた。
最初のページには、古い取引が記録されていた。
『第一世界より薬草を仕入れ、第二世界の村へ届けた』
『代金の代わりに、村人から保存食を受け取った』
『利益は少なかったが、村は救われた』
蓮は思わずページをめくる手を止めた。
「……俺と同じだ」
ミリアが隣から覗き込む。
「商品を売るだけじゃなくて、必要なものを交換していたんだね」
「ああ」
蓮は静かに頷いた。
さらにページをめくる。
そこには、取引の記録だけでなく、商人の思いも書かれていた。
『金貨を積み上げるだけでは、商売は続かない』
『相手が何を必要としているのかを知ること。それが商人の始まりだ』
蓮はその文章を何度も読み返した。
「……いい言葉だな」
セレナが蓮を見つめる。
「蓮も、同じことを考えているの?」
「まだまだ勉強中だけどな」
蓮は照れくさそうに笑った。
そのとき。
「蓮、これ!」
モモが机の下から何かを見つけた。
小さな木箱だった。
蓮が箱を開けると、中には青い石が一つ入っていた。
ただの石に見える。
しかし、近づけた星実が淡く光り始めた。
ピッ。
スマートフォンが反応する。
【特殊アイテム反応】
【大地属性との共鳴:強】
【名称:大地の印】
【星実との接続率:未確定】
「大地の印……!」
蓮は息をのんだ。
これが、二つ目の必須アイテムなのだろうか。
しかし、画面には続きがあった。
【取得条件:未達成】
「えっ、手に入れたんじゃないのか?」
蓮が石を持ち上げる。
すると、石の表面に文字が浮かび上がった。
『記録を読み、商人の問いに答えよ』
「……なるほど。まだ試験があるわけか」
蓮は帳簿を見下ろした。
最後のページだけ、ほかのページと違って真っ白だった。
その中央に、一行だけ文字が現れる。
『お前が売れないものは、何だ?』
蓮は黙り込んだ。
商品なら売れる。
お菓子も、日用品も、異世界の珍しい品も。
相手が必要としていて、互いに納得できるなら、商売は成立する。
けれど――。
「……何でも売れるわけじゃない」
蓮はゆっくりと答えた。
「信頼は、売れない」
その瞬間、帳簿が青く輝いた。
「蓮……!」
ミリアが声を上げる。
木箱の中の青い石が浮かび上がり、蓮の手のひらへと移動した。
ピッ。
【大地の印を確認】
【取得条件:達成】
【星実との接続率:100%】
蓮は石を見つめた。
「……やった」
二つ目の必須アイテム。
ようやく手に入れたのだ。
モモが嬉しそうに飛び回る。
「やったー! これで新しい世界に行けるの?」
「いや、まだ確認が必要だ」
蓮はスマートフォンを操作した。
【座標A:月影の森】
【必須アイテム:月影の羽】
【取得済み】
【座標B:大地の湖】
【必須アイテム:大地の印】
【取得済み】
【異世界接続条件:達成】
「……本当に、揃った」
セレナが蓮の手を握った。
「おめでとう、蓮」
「ありがとう」
蓮は二つのアイテムを大切にしまった。
ようやく、新しい世界への道が開ける。
どんな商品があるのか。
どんな人たちが暮らしているのか。
そして、そこでどんな商売ができるのか。
考えるだけで胸が躍った。
しかし、帳簿を閉じようとしたとき、最後のページの隅に小さな文字が見えた。
蓮は目を凝らす。
『次の世界では、金貨は価値を持たない』
「……え?」
蓮の顔から笑みが消えた。
金貨が使えない?
それなら、何を使って商品を買うのだろう。
モモが首を傾げた。
「蓮、どうしたの?」
蓮は帳簿を見せた。
「次の世界、普通の商売じゃ通用しないかもしれない」
クロウでさえ知らない、未知の世界。
そこでは、これまでの常識が通用しない可能性がある。
蓮は二つのアイテムを確認し、帳簿をリュックにしまった。
「……面白くなってきたな」
不安はある。
それでも、新しい世界で商売をするという夢は変わらない。
蓮たちは湖底の部屋を後にした。
その背後で、古い帳簿がひとりでに開く。
最後のページに、もう一つの文字が浮かんでいた。
『次の境界商人を確認』
そして、その下に――。
『接続先の商業規則を更新します』
誰も気づかないまま、世界の境界が静かに動き始めていた。




