第58話 母さんを連れ戻す最後の商売
「必要なものを届けるって……」
ミリアが黒い亀裂を見つめる。
「境界喰らいに、何を売るの?」
「それが問題なんだよな」
蓮も考え込む。
父親が静かに言った。
「境界喰らいは、ただ世界を壊しているわけじゃない」
「え?」
「ずっと何かを求めている」
蓮は黒い亀裂を見る。
「欲しいものがあるってこと?」
「ああ」
そのとき――
黒い亀裂から声が響いた。
『……足りない』
『……足りない』
『もっと……』
リナが怖そうに蓮の服をつかむ。
「何が足りないの?」
蓮はスマートフォンを確認した。
【境界喰らい】
【行動目的:不足した接続エネルギーの補充】
【主な原因:過去の強制接続による損失】
蓮は画面を見つめた。
「……エネルギーが足りない?」
ガルドが腕を組む。
「だったら、何かを食わせればいいのか?」
「たぶん」
蓮はリュックを開いた。
「でも、普通の商品じゃない」
「じゃあ何を?」
蓮は少し考える。
そして――
「これだ」
取り出したのは、一袋の米だった。
「米?」
セレナが首をかしげる。
「日本のお米?」
「うん」
蓮は笑った。
「一郎さんが最初に売ったものも、米だったんだ」
父親が驚く。
「そうか……」
「一郎さんは、米を渡してパンを受け取った」
「最初の商売……」
ガルドがつぶやく。
蓮は米袋を両手で持った。
「だったら俺も、最初に戻ってみる」
黒い亀裂の前に立つ。
「おい」
『……』
「お前が何かを求めているなら――」
蓮は米を差し出した。
「これをやる」
黒い霧がゆっくり近づいてくる。
『……食べ物?』
「そう」
『……なぜ?』
「商売だから」
『……商売?』
「欲しいものを渡す」
蓮は続けた。
「その代わり、世界を壊すのをやめてほしい」
しばらく沈黙が続いた。
すると――
黒い霧の動きが止まった。
『……対価は?』
蓮は笑った。
「お前からもらうのは――」
「これ以上、世界を壊さないこと」
ガルドが目を見開く。
「なるほどな」
ミリアも笑う。
「蓮らしい」
セレナは感動している。
「なんて素晴らしい商談……!」
狼王は腕を組んだ。
「我なら肉を要求する」
「狼王は黙ってて」
「なぜだ」
蓮は米袋を差し出す。
すると――
黒い霧が米を包み込んだ。
そして。
パァァァ……!
黒かった霧の一部が、白い光へ変わっていく。
スマートフォンが鳴る。
【境界喰らいの活動低下】
【境界安定度:87%→93%】
「上がった!」
リナが叫ぶ。
だが――
まだ終わらない。
【境界固定:解除まで残り1段階】
【必要条件:最初の商売を再現してください】
「最初の商売……?」
蓮が考える。
そのとき、父親が笑った。
「蓮」
「何?」
「俺たちは忘れていた」
「何を?」
「米を渡したら――」
父親が自分の荷物から何かを取り出した。
それは――
一枚のパンだった。
蓮は目を見開いた。
「パン……?」
「昔、俺が一郎の記録から作ったものだ」
ガルドが驚く。
「米とパン……」
蓮は笑った。
「最初の商売を、もう一度やるんだ」
父親がうなずく。
「そうだ」
蓮は米を黒い霧へ差し出した。
父親はパンを差し出す。
「俺たちは、世界を奪わない」
「必要なものを渡す」
「必要なものを受け取る」
ミリアたちも続く。
「そして――」
蓮が言う。
「それ以上は求めない」
その瞬間。
黒い亀裂が大きく揺れた。
バキィィィン!
亀裂に光が走る。
【最初の商売:再現】
【境界固定:解除】
そして――
光の中にいた母親の姿が、はっきり見えるようになった。
「……蓮」
「母さん!」
蓮が走る。
今度は誰も止めない。
母親が両手を広げる。
「おかえり」
「違うよ」
蓮は母親を抱きしめた。
「迎えに来たんだよ」
母親は涙を流しながら笑った。
「……そうね」
父親も二人のそばに立つ。
「帰ろう」
家族三人が、ようやく同じ場所にそろった。
しかし。
その瞬間――
スマートフォンが鳴った。
【境界安定度:98%】
【最終段階へ移行】
【残り時間:6時間】
蓮は画面を見る。
「……まだ終わってない」
父親がうなずく。
「最後の仕上げだ」
母親が笑う。
「家族三人でやりましょう」
蓮は笑った。
「うん」
そして三人は――
同じ方向を向いた。




