第55話 最深部で聞こえた父の声
重い扉が、ゆっくりと開いていく。
ゴゴゴゴゴ……。
蓮たちは黙って、その先を見つめていた。
「……暗いね」
リナが小さな声で言う。
「うん」
蓮はスマートフォンを確認した。
【現在地:境界最深部】
【境界安定度:87%】
【佐伯蓮の父:近距離】
「近距離……」
蓮の胸が高鳴る。
「本当に、父さんがいる」
ミリアが蓮の隣に立った。
「会えるよ」
「……うん」
一歩。
また一歩。
長い通路を進む。
すると――
「待って」
ガルドが立ち止まった。
「何かある」
床に、小さな木箱が置かれていた。
蓮が近づく。
箱の上には紙が一枚。
『腹が減ったら開けろ』
「……」
蓮はしばらく黙った。
「父さん……」
「何?」
ミリアが聞く。
「こういうところ、昔から変わってない」
「どういう意味?」
「父さん、旅に出ると必ず食べ物を隠しておくんだ」
蓮は箱を開けた。
中には――
乾パン。
小さな水筒。
そして、一枚のメモ。
『蓮へ。ちゃんと食べているか?』
蓮は思わず笑った。
「……父さんらしい」
セレナが感動したように胸に手を当てる。
「素敵な親子愛です……」
狼王が乾パンを見つめる。
「食べてもいいか?」
「ダメ」
「なぜだ」
「父さんからのだから」
「……」
狼王が少し残念そうに座った。
リナが笑う。
「狼王、子どもみたい」
「我は狼王だ」
「でも、お腹すいたんでしょ?」
「……少しだけだ」
「少しだけなんだ」
一行に笑いが起きる。
蓮はメモをポケットにしまった。
そして――
再び歩き始めた。
しばらく進むと、通路の壁に文字が浮かび上がった。
『境界を閉じるには、誰か一人が残らなければならない』
蓮の足が止まる。
「……何だ、これ」
ガルドが読む。
「誰か一人が残る?」
ミリアの表情が曇る。
「まさか……」
蓮は首を振った。
「違う」
「蓮?」
「父さんは、そんな方法を選ばない」
その瞬間。
通路の奥から――
声が聞こえた。
「……その通りだ」
蓮が振り返る。
「!」
聞き間違えるはずがない。
少し低くて、懐かしい声。
子どもの頃、何度も聞いた声。
「父さん……?」
もう一度。
声が響く。
「蓮」
蓮の目が大きく開く。
「……来たのか」
「父さん!」
蓮は走り出そうとした。
しかし――
ドンッ!
目の前に透明な壁が現れた。
「蓮!」
ミリアが叫ぶ。
蓮は手を伸ばす。
触れられない。
その向こうに、人影が見えた。
「……父さん?」
人影がゆっくり近づいてくる。
古いコート。
少し白くなった髪。
そして――
蓮と同じ目。
「久しぶりだな」
蓮の目から、涙が落ちた。
「……父さん」
父親は笑った。
「大きくなったな」
「……何年ぶりだと思ってるんだよ」
「そうだな」
「俺、ずっと……」
言葉が続かない。
父親は静かに言った。
「よくここまで来た」
「母さんもいる」
「……ああ」
「母さんを連れて帰る」
父親の表情が少しだけ変わった。
「それは――」
「絶対に連れて帰る」
蓮は透明な壁に手を当てた。
「家族だから」
父親も向こう側から手を重ねた。
透明な壁越しに、二人の手が重なる。
「……そうか」
父親は小さく笑った。
「なら、最後に一つだけ教えてやる」
「何?」
「母さんがここにいる本当の理由だ」
その瞬間。
最深部全体が大きく揺れた。
ゴゴゴゴゴ――!
スマートフォンが警告音を鳴らす。
【境界崩壊まで――】
【残り18時間】
蓮は父親を見つめた。
「……18時間?」
父親は静かにうなずく。
「時間がない」
「じゃあ、早く――」
「蓮」
父親は首を横に振った。
「焦るな」
そして、昔と同じ言葉を口にした。
「商人は、急いで売ればいいってものじゃない」
蓮は息をのんだ。
父親は続ける。
「まず、相手が何を必要としているのかを考えろ」
「……」
「それが、お前ならできる」
透明な壁の向こうで、父親が笑った。
「俺の息子だからな」




