第48話 母を返してもらう――境界の管理者との商談
「母さんを返してもらう」
蓮は、境界の管理者をまっすぐ見た。
黒いローブを着たその人物は、店の奥に立っている。
顔は見えない。
「ならば、何を支払う?」
低い声が響いた。
蓮は少し考えた。
「お金は?」
「必要ない」
「食べ物は?」
「必要ない」
「薬や道具は?」
「必要ない」
「……じゃあ、何が欲しいんだ?」
管理者は答えた。
「お前自身だ」
「俺?」
「そうだ」
ミリアがすぐに前へ出る。
「蓮を渡すなんて、絶対に駄目!」
セレナも腕を組んだ。
「私の夫を渡すわけにはいきません!」
「誰が夫だよ!」
「今はそこじゃない!」
ガルドがため息をつく。
「セレナ、お前は本当に緊張感がないな」
「蓮様のためなら私はいつでも真剣です」
「はいはい」
そんなやり取りを見ていた蓮は、ふっと笑った。
そして管理者に向き直る。
「俺は自分を売るつもりはない」
「ならば、母親は帰れない」
「……でも」
蓮は店内の商品棚を見回した。
「商売って、欲しいものをそのまま渡すことだけじゃないだろ?」
管理者が黙る。
蓮は商品を一つ手に取った。
「例えば、これ」
それは――
一本のボールペンだった。
「書く道具?」
「そう」
蓮は紙に文字を書いた。
『佐伯蓮』
「これなら、情報を残せる」
次にスマートフォンを見せる。
「こっちは情報を伝えられる」
そして――
店の商品棚を指差した。
「食べ物なら命をつなげる」
「薬なら病気を治せる」
「道具なら仕事ができる」
「種なら、未来の食べ物を作れる」
蓮は管理者を見る。
「商品って、物そのものに価値があるんじゃない」
「使う人の生活を変えるから価値があるんだ」
管理者はしばらく黙っていた。
そして――
「……続きを聞こう」
■蓮の提案
蓮は店の中央に商品を並べた。
米。
種。
薬。
布。
工具。
ランタン。
石けん。
保存食。
「俺は、この世界に必要なものを定期的に届ける」
管理者が問う。
「それと母親の帰還に何の関係がある?」
「ある」
蓮は答えた。
「母さんを閉じ込める必要がなくなる」
「……」
「この世界が外の世界とちゃんとつながれば、母さんがここに残って境界を守る必要がなくなるんじゃないか?」
ミリアが目を見開く。
「蓮……」
ガルドも笑った。
「そういうことか」
「うん」
蓮は続ける。
「俺が欲しいのは、無理やり境界を開くことじゃない」
「商売をすることだ」
「必要なものを届けて、必要なものを受け取る」
「それなら、この世界と外の世界は安全につながれる」
管理者が静かに言う。
「それが……お前の答えか」
「そう」
■意外な要求
管理者はしばらく考えた。
そして言った。
「では、一つだけ試そう」
「何を?」
「この世界で商売をしてみろ」
蓮は目を丸くする。
「え?」
「三日間」
管理者は指を三本立てた。
「三日間、この世界の住人に必要なものを売れ」
「利益を出せ」
「そして――」
「一人も困らせるな」
蓮は笑った。
「それなら得意分野だ」
セレナがすぐに手を挙げた。
「私も手伝います!」
ミリアも頷く。
「私も!」
ガルドは腕を組む。
「三日間の商売勝負か」
「面白そうだな」
リナも地図を広げる。
「この世界、かなり大きいよ」
狼王が鼻を鳴らした。
「ならば客を探すぞ」
海斗も笑った。
「船も使える」
蓮は全員を見た。
「よし」
「やろう」
■最初のお客さん
店の外へ出ると、城壁の向こうから人々が集まってきた。
最初は警戒していた。
「異世界の商人?」
「何を売るんだ?」
「食べ物はあるのか?」
蓮は笑顔で答える。
「あります!」
最初に売れたのは――
米だった。
「これ、どうやって食べる?」
蓮が簡単に説明する。
次に売れたのは石けん。
「こんなに泡が出るのか!」
さらに歯ブラシ。
「歯を磨く道具?」
そしてLEDライト。
「夜なのに明るい!」
人々の表情が変わっていく。
「便利だ!」
「これがあれば夜でも仕事ができる!」
「薬もあるのか?」
「はい!」
「布は?」
「あります!」
「種は?」
「もちろん!」
あっという間に店の前に行列ができた。
セレナが叫ぶ。
「蓮様! 大繁盛です!」
ガルドが売上を計算する。
「まだ開始から二時間だぞ」
「売上は?」
蓮が聞く。
ガルドが笑った。
「――180金貨」
「えっ?」
ミリアが驚く。
「そんなに?」
「まだまだ伸びる」
■母のいる場所
その頃。
店の奥で、母はその光景を見ていた。
「……蓮」
小さく笑う。
「本当に商人になったのね」
その隣に管理者が立つ。
「お前の息子は、変わったな」
「ええ」
母は答えた。
「昔から、人に何かを届けるのが好きな子でした」
「……そうか」
管理者は店の外を見る。
人々が笑っている。
商品を受け取り、喜んでいる。
そのとき――
管理者の手元に、黒い霧が集まった。
母の表情が変わる。
「……まだ残っている」
「何が?」
管理者は答えない。
黒い霧の奥から――
小さな声が聞こえた。
『……境界をつなぐな』
母が立ち上がる。
「あなた……」
管理者が初めて動揺した。
「これは……」
黒い霧が広がる。
そしてスマートフォンが警告を発した。
【緊急警告】
【境界喰らい――残滓を確認】
【発生源:境界の最深部】
蓮が振り返る。
「……まだ、終わってない?」
管理者が低い声で言った。
「商人よ」
「はい」
「三日間の商談を続けろ」
「なぜ?」
管理者は黒い霧を見つめた。
「この世界を救うためではない」
「……」
「お前自身が、何を選ぶ商人なのかを見るためだ」
蓮は拳を握る。
「分かった」
そして――
店の外では、さらに大勢の客が待っていた。
三日間の商売勝負。
その裏で、
境界喰らいの最後の残滓が動き始めていた。




