第35話 海から来た商人――最初の守護者
港に、一隻の古い船が近づいてきていた。
帆はボロボロ。
船体も傷だらけ。
なのに――
なぜか沈まない。
「……あれ、本当に船か?」
俺が呟く。
ガルドが目を細めた。
「普通の船じゃないな」
ミリアも身構える。
「魔力を感じます」
リナが地図を広げた。
すると――
地図の一部分が、青白く光り始めた。
「港が……光ってる」
「境界反応か?」
俺がスマートフォンを見る。
【第七接続先】
【接続地点:港】
【生存反応――1】
「一人……生きてる」
船はゆっくりと港へ入ってきた。
そして。
ギィィ……
古びた扉が開く。
「誰かいるか!」
船から、男の声がした。
年齢は六十代くらい。
長い白髪。
古びた外套。
手には一本の杖。
そして――
胸元には、見覚えのある紋章がついていた。
佐伯家の紋章。
「……!」
俺は息をのんだ。
「佐伯家……?」
男はこちらを見る。
そして、驚いたように目を見開いた。
「その顔……」
「え?」
「一郎にそっくりだ」
俺は固まった。
「一郎って……」
昨日、記録で見た。
佐伯家の初代当主。
最初に境界を守った男。
男はゆっくりと港へ降りた。
「お前……一郎の子孫か?」
「はい」
俺は答えた。
「佐伯蓮です」
男はしばらく黙っていた。
そして――
深く頭を下げた。
「ようやく……会えたか」
「あなたは誰なんです?」
男は顔を上げた。
「私の名は、佐伯海斗」
「佐伯……」
「一郎の弟の子孫だ」
「え?」
ガルドが驚く。
「つまり……」
「そうだ」
海斗は答えた。
「佐伯家には、二つの役目があった」
「二つ?」
海斗は海を見た。
「一つは、陸から境界を守る者」
「もう一つは――」
海を指差した。
「海から境界を監視する者だ」
俺は言葉を失った。
◇
店の中へ海斗を案内した。
「まずは、これを」
俺は温かいカップスープを渡した。
「……これは?」
「食べ物です」
海斗は少し驚いた顔をしてから、一口飲む。
「……温かい」
「寒かったでしょう」
「ああ」
海斗はゆっくり飲み続ける。
するとミリアが小声で言った。
「蓮さん……」
「ん?」
「商売になってます」
見ると海斗の後ろに、船員たちが並んでいた。
「その温かい食べ物……私たちにも売ってくれないか?」
「もちろん!」
俺は即答した。
「一個、二百円……じゃなくて」
異世界では日本円が使えない。
「銅貨二枚でどうです?」
「安い!」
「じゃあ十個」
「俺は二十個!」
「待て! 俺にも!」
一瞬で売れていく。
「……」
ガルドが呆れている。
「お前、どんな状況でも商売するな」
「需要があるなら売るだろ」
「それはそうだが……」
海斗が笑った。
「一郎も同じだった」
「え?」
「困っている人間がいたら、まず物を渡した」
「その代わりに、何かを受け取った」
「金じゃない」
海斗は続けた。
「信頼をな」
俺は少し黙った。
佐伯家の商売。
それは、ただ金を稼ぐためのものじゃなかった。
人と人をつなぐためだった。
◇
海斗は古い箱を開けた。
中から一冊の本を取り出す。
「これは、佐伯家最初の記録だ」
表紙には――
『第一境界記録』
と書かれている。
俺はページをめくった。
そこには、一郎が初めて境界を見つけた日のことが書かれていた。
『扉の向こうに、人がいた』
『彼らは飢えていた』
『私は米を渡した』
『彼らは宝石を渡そうとした』
『私は受け取らなかった』
『代わりに、彼らの作ったパンを一つもらった』
俺は思わず笑った。
「物々交換か」
海斗も笑う。
「そうだ」
さらに読み進める。
『その日から、私は毎日扉を開いた』
『しかし、人が増えるにつれて問題も増えた』
『欲に目がくらむ者が現れた』
『向こうの世界の鉱石を大量に持ち帰ろうとする者もいた』
そして――
『境界が壊れ始めた』
俺は表情を変えた。
黒い霧。
世界の亀裂。
人々の争い。
それらが一つずつ記録されている。
最後のページには――
『世界をつなぐことが悪いのではない』
『欲だけでつなぐことが悪いのだ』
『必要なものを届ける』
『必要なものを受け取る』
『それ以上を求めない』
『それが境界を守る商売だ』
俺は静かに本を閉じた。
「……父さんが言ってた言葉と同じだ」
海斗が頷く。
「代々、受け継いできた」
◇
その時。
店の外が騒がしくなった。
「何だ?」
俺たちは外へ出る。
港に、黒い霧が出ていた。
「境界反応です!」
ミリアが叫ぶ。
スマートフォンを見る。
【境界変動】
【原因:過剰接続】
俺は港を見る。
船。
人。
商品。
大量の物資。
そして――
港町の商人たちが、俺たちの商品を求めて集まり始めている。
「……これか」
海斗が言った。
「人が集まりすぎると、境界が不安定になる」
「でも、商売をやめたら……」
俺が迷う。
海斗は首を振った。
「やめる必要はない」
「え?」
「商売の方法を変えればいい」
海斗は港を指差した。
「一人の店に、全部集めるな」
「人と店を分けるんだ」
ガルドがすぐに理解した。
「……複数の販売所を作る」
「そうだ」
俺はスマートフォンを見る。
【店舗間転送】
【支店を開設できます】
「なるほど」
俺は笑った。
「じゃあ――」
港町を見渡す。
「この町全体を、店にする」
ガルドも笑った。
「面白くなってきたな」
◇
その夜。
港には小さな販売所が三つできた。
食品。
生活用品。
船用品。
商品を分散させる。
必要な場所へ必要な物を届ける。
すると――
黒い霧が少しずつ薄くなっていった。
スマートフォンが鳴る。
【商業活動を再構築】
【境界安定率】
【71%→75%】
「成功した……」
ミリアが笑う。
「商売で境界を守ったんですね」
「ああ」
俺は海を見る。
すると海斗が、静かに言った。
「蓮」
「はい」
「まだ話していないことがある」
「何です?」
海斗は海の向こうを指差した。
「一郎は、最初の境界を閉じた」
「でも――」
「一つだけ、閉じられなかった扉がある」
俺は息を止める。
「どこに?」
海斗は答えた。
「この海の向こうだ」
その瞬間。
スマートフォンに新しい地図が表示された。
海の上。
今まで何もなかった場所に――
一本の赤い線が伸びている。
【第八接続候補】
【目的地――境界の始まり】
俺は海を見つめた。
商売の先にあるもの。
佐伯家が守り続けてきたもの。
そして――
最初に開かれた境界。
「……行くしかないな」
海斗が頷いた。
「そうだ」
その横でガルドが帳簿を閉じる。
「その前に」
「ん?」
「港町の今日の売上を確認しろ」
「……」
「商人だろ?」
俺は思わず笑った。
「そうだった」
海の向こうに謎の扉。
そして手元には――
今日の売上、三百二十金貨。
境界の謎を追う前に。
俺たちはまず、明日の仕入れを考えることにした。




