第33話 佐伯家が守る理由――最初の扉
王都の店を再開して、三日目。
「いらっしゃいませー!」
ミリアの元気な声が店内に響いていた。
「石けん、もうありません!」
「えっ、また!?」
「はい! 昨日買ったお客さんが、家族や近所の人にも勧めたみたいです!」
「……すごいな」
俺――佐伯蓮は、空になった棚を見つめた。
石けん。 タオル。 歯ブラシ。 洗濯用品。 文房具。 電池。 小さなライト。
日本では百円ショップで買えるような商品が、こちらでは飛ぶように売れている。
「蓮、これも追加した方がいいぞ」
隣でガルドが帳簿をめくっている。
「何?」
「保存容器だ。昨日、まとめ買いした客がいた」
「保存容器?」
「食料を入れておけば虫が入らないと言っていた」
「ああ……なるほど」
日本では当たり前のものでも、この世界では便利な商品になる。
俺は思わず笑った。
「やっぱり、商売って面白いな」
「ようやく商人らしい顔になったな」
ガルドがニヤリと笑う。
その時だった。
ピッ。
スマートフォンが鳴った。
「ん?」
画面を見る。
そこには、見慣れない表示が出ていた。
【原初接続キー】
【第七接続先――反応】
【佐伯家・過去記録を確認してください】
「……過去記録?」
ミリアが心配そうに覗き込む。
「何かあったんですか?」
「たぶん……俺の家に関係することだ」
すると、店の奥に置いていたカーテンが、ふわりと揺れた。
誰も触っていない。
そして――
カーテンの向こうに、見覚えのある日本の部屋が映った。
「帰るぞ」
俺はそう言った。
「佐伯家のことを、ちゃんと知らないといけない」
◇
日本の実家。
以前、父の記録を見つけた部屋に戻る。
古い棚。
古い机。
そして、その奥にあった一冊の分厚いノート。
俺はそれを取り出した。
表紙には、父の字でこう書かれていた。
『佐伯家・境界記録 第一巻』
「第一巻……」
ページを開く。
そこには、今まで見たことのない古い記録が残されていた。
――約百年前。
いや。
もっと前。
正確な年代すら分からない。
佐伯家の祖先が、まだ普通の農家だった頃。
その村に、不思議な家が一軒あった。
誰も住んでいない古い家。
しかし――
その家の窓には、毎晩違う景色が映っていた。
海。
森。
雪山。
そして、見たことのない街。
村人たちは怖がって近づかなかった。
だが、一人だけ違った。
佐伯家の初代当主。
佐伯一郎。
彼は、その窓を開けた。
『この向こうには、誰かがいる』
それが、佐伯家と境界の始まりだった。
「……最初から商売目的じゃなかったんだ」
俺はページをめくる。
最初の記録には、こう書かれていた。
『向こう側には、こちらと違う人々が暮らしている』
そして、その次のページ。
『彼らは困っていた』
食料がない。
薬がない。
寒さをしのぐ服もない。
一郎は日本から布や食料を持っていった。
すると――
向こうの人々は、代わりに金や宝石を渡そうとした。
「これ……」
俺は思わず笑った。
「最初から商売みたいになってるじゃないか」
ミリアが横から覗き込む。
「蓮さんのご先祖様も商人だったんですね」
「いや……たぶん、本人はそんなつもりじゃなかったんだろうけど」
記録には続きがあった。
『物を渡すことで、二つの世界は近づいた』
最初は、それだけだった。
ところが。
ある日。
一郎がいつものように窓を開けると――
黒い霧がこちら側へ流れ込んできた。
『向こう側の世界で、境界が壊れ始めた』
人々が次々とこちら側へ逃げてきた。
そして、その後ろから――
黒いものが追ってきた。
それは人でも獣でもなかった。
世界そのものを食べるような存在だった。
「境界喰らい……」
俺は呟いた。
記録には、こう残されている。
『最初から怪物だったわけではない』
『人々が世界と世界を無理につなぎ、奪い、利用し、壊した結果、生まれた』
俺は息を止めた。
「……」
今まで聞いてきた話と繋がる。
境界喰らいは、最初から存在していたわけじゃない。
人間が境界を利用した。
そして、その代償として生まれた。
一郎は、そこで初めて気づいた。
『世界をつなぐことは、簡単だ』
『しかし、つないだ世界を守ることの方が、はるかに難しい』
その後、一郎は決断した。
『佐伯家は、境界を利用する者ではなく、境界を守る者になる』
その一文の下に、赤い線が引かれている。
そして――
『人をつなぐ』
『物をつなぐ』
『助けをつなぐ』
『しかし、世界そのものを無理につなげてはいけない』
俺は静かにページを閉じた。
「……父さんは、この続きを知ってたんだ」
その時。
背後から声がした。
「そうよ」
「!」
振り返る。
そこには――
あの謎の少女が立っていた。
いや。
今はもう、少女とは呼べない気がした。
彼女は昔から、この場所にいた。
そして、佐伯家の歴史を知っている。
「あなたは……一郎さんを知ってるの?」
俺が聞くと、彼女は小さく頷いた。
「ええ」
「じゃあ、あなたは何者なんだ?」
少女は少しだけ悲しそうに笑った。
「それは、まだ話せない」
「またそれかよ……」
思わずため息が出る。
すると彼女は、一枚の古い写真を差し出した。
そこには――
若い頃の俺の父。
そして、今の俺とよく似た少女。
その二人が写っていた。
だが。
写真の裏には、さらに一文があった。
『境界を守る者は、最後には必ず選択を迫られる』
俺はその文字を見つめる。
「選択って……何を?」
少女は答えなかった。
代わりに、スマートフォンが鳴った。
ピッ。
【原初接続キー】
【過去の記録を取得】
【境界守護者・第一世代】
【現在の接続状態――安定】
そして最後に、新しい表示が現れた。
【商業活動による境界安定率】
【68%】
「……68%?」
俺は目を丸くした。
「前より上がってる」
ガルドの言葉が蘇る。
商売が、境界を安定させる。
物を売る。
人と人が話す。
必要なものが必要な場所へ届く。
それだけでも、世界は安定していく。
俺は笑った。
「だったら……」
少女を見る。
「俺は、俺のやり方で佐伯家を継ぐ」
「どうするの?」
「商売だよ」
俺は立ち上がった。
「世界を無理やりつなぐんじゃない」
「必要な人に、必要なものを届ける」
「それなら――」
その瞬間。
スマートフォンに、新しい地図が表示された。
王都。
港町。
竜人族の国。
そして――
そのさらに奥。
今まで表示されていなかった場所に、赤い印が一つ。
【新規商業接続候補】
【推奨商品:保存用品・食品・生活用品】
俺は思わず笑った。
「……境界の話をした直後に、商売の話かよ」
ミリアも笑う。
「蓮さんらしいです」
ガルドが腕を組んだ。
「なら決まりだな」
「何が?」
「次の店だ」
俺は地図を見る。
港町。
まだ行ったことのない場所。
そこには、どんな人々がいて――
どんな商品を必要としているのだろう。
「よし」
俺はカーテンに手をかけた。
「次は港町で、大儲けだ!」
その瞬間。
地図の赤い印が、もう一つ増えた。
【第七接続先――微弱反応】
【佐伯家・第一世代の人物を確認】
そして――
画面の端に、小さな文字が浮かんだ。
【あなたの祖先は、まだ一人残っています】
「……え?」
俺は画面を見つめた。
佐伯家の始まり。
境界を守ることになった理由。
そして――
まだ生きている、最初の守護者。
物語は、過去から現在へと繋がり始めていた。




