第28話 父が残した最初の記録
ギィィィ……。
重い扉が、ゆっくりと開いていく。
俺は息を止めた。
その先にあったのは――
見覚えのある部屋だった。
「……俺の部屋?」
机。
本棚。
古い時計。
そして窓。
ただ、今の俺の部屋より少しだけ古い。
まるで、時間だけが昔に戻ったようだった。
「ここ……誰もいないの?」
ミリアが俺の後ろから覗き込む。
狼王は床の匂いを嗅いだ。
「人の気配はない」
ガルドは部屋を見回す。
「妙だな」
「何が?」
「部屋なのに、商品が一つもない」
「そこを気にするのかよ!」
思わず突っ込んだ。
すると――
カチッ。
部屋の奥で音がした。
机の上にあった古いランプが、ひとりでに点灯する。
そして壁に文字が浮かび上がった。
『蓮へ』
「……!」
俺は動けなくなった。
この字。
間違いない。
父さんの字だった。
『もし、この部屋を見ているなら』
『お前は、境界を開いた』
「父さん……」
俺は壁に近づいた。
文字は次々と浮かんでいく。
『まず、謝っておく』
『お前には何も伝えなかった』
『伝えれば、お前も境界に関わることになるからだ』
俺は拳を握った。
ずっと疑問だった。
なぜ父さんは、夜になるとカーテンを閉めたのか。
なぜ俺が子供の頃、
「夜にカーテンを開けるな」
と何度も言ったのか。
全部、理由があったんだ。
『佐伯家は、境界を作った家ではない』
『境界を閉じる役目をしてきた家だ』
「……閉じる?」
リナが小さく呟く。
『昔、人は異なる世界を繋ごうとした』
『最初は成功した』
壁に古い映像が浮かぶ。
いくつもの世界。
その間を走る光の道。
人々が行き来している。
商品を交換している。
笑っている。
「……異世界との貿易」
ガルドが目を輝かせた。
「昔から商売はあったのか!」
「そこに食いつくな!」
俺が叫ぶ。
だが、次の文字を見て笑えなくなった。
『人は、繋ぐだけでは満足しなかった』
『もっと土地を』
『もっと資源を』
『もっと力を』
映像の世界が、次々と黒く染まっていく。
『そして、人は奪い始めた』
『境界を越え』
『他の世界を侵食した』
『その結果――』
巨大な黒い影が生まれた。
「境界喰らい……」
リナが呟く。
父の記録が続く。
『境界喰らいは、最初から怪物だったわけではない』
俺は息を呑んだ。
「……じゃあ、元は何だったんだ?」
少女を見る。
少女は黙っている。
そのときだった。
ガチャッ。
机の引き出しがひとりでに開いた。
中には、一枚の写真が入っていた。
俺は写真を取り出す。
そこに写っていたのは――
若い頃の父さん。
そして、その隣に。
「……この子」
俺は少女を見る。
写真に写っているのは――
今、目の前にいる少女だった。
「どういうことだ?」
少女は写真を見つめる。
「私は、昔からここにいた」
「父さんと知り合いだったのか?」
「うん」
「いつ?」
「蓮が生まれる前」
俺は言葉を失った。
写真の裏を見る。
そこには父さんの字で、短く書かれていた。
『この子を守ってください』
そして――
その下に。
『この子は、蓮ではない』
「……え?」
俺は少女を見る。
「じゃあ、お前は誰なんだ?」
少女は答えなかった。
ただ、悲しそうに俺を見る。
その瞬間――
ドォォン!!
部屋全体が揺れた。
「きゃっ!」
ミリアが壁に手をつく。
狼王がすぐに身構えた。
「来るぞ」
俺はスマートフォンを見る。
【接続率:50%】
「……50%」
ついに到達した。
画面が赤く染まる。
【境界固定開始】
【境界喰らいの侵入を確認】
【侵入まで――】
数字が減っていく。
10。
9。
8。
「まずい!」
カーテンの隙間から黒い霧が流れ込んでくる。
巨大な目が開く。
『佐伯蓮』
『原初接続キーを渡せ』
俺は一歩前に出た。
「断る」
『なぜだ』
「お前たちは世界を食べる」
『違う』
黒い声が響く。
『我々は――帰りたいだけだ』
俺は黙った。
「……帰りたい?」
『元の世界へ』
『元の名前へ』
『元の身体へ』
『我々は、すべてを失った』
その声を聞いた瞬間。
俺は気づいた。
こいつらは、ただの怪物じゃない。
境界の外に取り残された者たち。
世界と世界を繋ごうとして。
帰れなくなった存在。
俺はボールペンを取り出した。
「なら――」
ミリアが俺を見る。
「蓮?」
俺はカーテンの向こうへ向かって言った。
「帰れる場所を作る」
『……何?』
「俺は、お前たちを倒さない」
「繋ぐ」
スマートフォンが強く光った。
【原初接続キー】
【新機能を解放】
【名称――帰還路】
「帰還路……」
画面に一本の光の線が表示される。
境界外縁。
そこから無数の影を通り――
一つの場所へ繋がっている。
「ここは……」
俺は息を呑んだ。
表示された場所。
それは――
『佐伯家』
少女が静かに言った。
「だから、この家はずっと境界を守ってきた」
「じゃあ父さんは……」
「最後まで閉じようとしていた」
その瞬間。
黒い霧の中に、人影が浮かんだ。
『蓮』
俺は固まった。
「……父さん?」
間違いない。
父さんの声だった。
『すまなかった』
『だが――』
俺はカーテンへ駆け寄る。
「父さん!」
『お前が開いた扉の先に――』
声が途切れる。
俺は必死に手を伸ばした。
「何があるんだ!」
そして最後に。
父さんの声が聞こえた。
『母さんを探せ』
「……え?」
俺は動けなくなった。
父さんが最後に残した言葉。
それは――
母さんを探せ。
だった。
スマートフォンが鳴る。
ピコン。
【新たな接続対象を検出】
【第六接続先】
【名称:???】
【接続者:佐伯家】
そして――
【生存反応:1】
「……生存反応?」
俺は画面を見つめる。
「まさか……」
少女の顔から、初めて笑顔が消えた。
「……まだ、生きてる」
「誰が?」
少女は俺を見る。
「蓮のお母さん」
「……!」
その瞬間。
カーテンの向こうから――
女の声が聞こえた。
『やっと気づいたね』
俺たちは一斉に振り返った。
そしてカーテンの奥で――
一人の女性の影が、ゆっくりと笑った。




