第27話 第五接続先――もう一つの世界
『帰ってこい』
無数の声が響いていた。
俺はカーテンの前で動けなくなっていた。
「……帰ってこいって」
少女を見る。
「俺、ここにいるんだけど?」
少女は答えなかった。
ただ、カーテンの向こうをじっと見ている。
その表情は――
怯えていた。
「おい」
俺が声をかけると、少女がようやく口を開いた。
「第五接続先は……世界じゃない」
「じゃあ何なんだ?」
「場所」
「場所?」
「正確には――」
少女が言葉を止める。
その瞬間。
スマートフォンが震えた。
【第五接続先】
【名称:境界外縁】
【状態:侵入中】
【侵入数:確認不能】
「境界外縁……?」
聞いたことのない言葉だった。
そのとき――
ガチャッ。
部屋のドアが開いた。
「蓮!」
ミリアだった。
「ミリア!?」
「戻ってきた!」
続いてリナ。
そして――
「狭いな」
巨大な黒狼が、無理やり部屋へ入ろうとしていた。
「狼王!?」
「……この場所が、お前の世界か」
狼王は部屋を見回す。
そしてテレビを見つけた。
「これは何だ?」
「テレビ」
「魔法道具か?」
「まあ……似たようなもの」
「なるほど」
狼王が真剣な顔でテレビを見つめる。
「では、これを武器にすれば――」
「武器じゃない!」
思わず叫んだ。
その横からガルドまで入ってくる。
「狭い!」
「お前まで来たのか!」
「来るしかないだろ!」
ガルドは俺のスマートフォンを覗き込む。
「第五接続先……境界外縁?」
「ああ」
「ふむ」
ガルドは腕を組んだ。
「つまり、新しい市場だな」
「……今その発想になる?」
「商人だからな」
ガルドは真顔だった。
ミリアが呆れる。
「こんなときまで商売?」
「こんなときだからこそ商売だ」
ガルドは俺を見る。
「お前、忘れてないだろうな?」
「何を?」
「俺との勝負だ」
「……」
そういえば。
異世界商人としての勝負。
まだ終わっていない。
ガルドはニヤッと笑った。
「世界を救うのもいい。だが、商売の勝負は別だ」
「分かったよ」
俺も笑う。
「じゃあ、勝負しながら世界も救おう」
「それでこそ商人だ」
その瞬間。
ドンッ!!
窓が激しく揺れた。
「来た!」
リナが叫ぶ。
カーテンの向こうから、黒い影がこちらへ伸びてくる。
しかし――
バチッ!
光の壁にぶつかって弾き飛ばされた。
【原初接続キーによる防御を確認】
【侵入を阻止】
「効いてる……」
俺は少し安心した。
だが。
スマートフォンの表示が変わった。
【防御限界まで――】
【残り10分】
「10分!?」
ミリアが叫ぶ。
「どうするの?」
俺は考えた。
普通に戦っても無理だ。
境界喰らいは世界そのものに干渉している。
だったら――
「ガルド」
「なんだ?」
「商売しよう」
「……ほう」
俺は部屋を見回した。
100円ショップの商品。
電池。
LEDライト。
鏡。
ロープ。
収納袋。
文房具。
そして――
大量のボールペン。
「これを全部使う」
「何に?」
「第五接続先に売る」
「……誰に?」
俺はカーテンを見る。
無数の目がこちらを見ている。
「向こうにいる連中に」
ガルドが一瞬黙った。
そして――
「面白い」
ニヤリと笑った。
「やってみろ」
俺はカーテンを開いた。
その瞬間。
黒い霧が部屋へ流れ込む。
しかし俺は逃げなかった。
「いらっしゃいませ!」
声を張る。
「日本の商品、あります!」
沈黙。
ミリアが目を丸くする。
「蓮……何してるの?」
「商売」
「今!?」
「今!」
俺はボールペンを一本持ち上げた。
「これは書ける!」
黒い影が動く。
一本の腕が伸びてきた。
しかし――
その腕はボールペンの前で止まった。
『……書ける?』
声が響く。
「そう」
俺は笑う。
「文字を書くための道具だ」
『文字……』
別の声が響いた。
『記録……』
『記憶……』
『約束……』
黒い影がざわめく。
俺は気づいた。
こいつらは――
物を知らない。
世界を食べるだけじゃない。
何かを失っている。
「お前たちは何を求めてる?」
沈黙。
そして――
『帰りたい』
一つの声が答えた。
『元の場所へ』
「……」
俺は少女を見る。
少女は静かに頷いた。
「彼らは、境界の外に取り残された人たち」
「人……?」
『世界を繋ごうとして』
『失敗した』
『帰れなくなった』
『名前も』
『記憶も』
『世界も』
無数の声が重なる。
俺は息を呑んだ。
境界喰らい。
それは単なる怪物ではなかった。
世界と世界を繋ごうとして失敗した人たち。
その残骸。
そして――
「じゃあ」
俺はボールペンを握る。
「俺が名前を書いてやる」
「蓮?」
俺は紙を一枚取り出した。
そこに名前を書く。
『佐伯蓮』
「俺は俺だ」
次にミリア。
『ミリア』
「私はミリア」
リナ。
『リナ』
「私は……リナ」
狼王。
『狼王』
「我は狼王」
ガルド。
『ガルド』
「俺はガルドだ」
名前を書き終える。
そして俺はカーテンの向こうへ紙を差し出した。
「お前たちも名前を書け」
無数の影が止まった。
『……名前』
「そう」
俺は言った。
「世界を食う前に、自分が誰なのか思い出せ」
すると――
一本の黒い手が伸びてきた。
その手には――
古びたペンが握られていた。
そして紙に、一文字が書かれる。
『佐伯』
俺は固まった。
「……え?」
少女の顔色が変わる。
『佐伯』
『佐伯』
『佐伯』
無数の声が同じ名前を繰り返す。
俺の家。
佐伯家。
そして少女。
「……お前たち」
俺は少女を見る。
「俺の家を知ってるのか?」
少女はゆっくり答えた。
「知ってる」
「どうして?」
少女はカーテンを見つめた。
「だって――」
その瞬間。
第五接続先の奥から、巨大な人影が現れた。
黒い身体。
無数の目。
そして胸元には――
佐伯家の紋様と同じ模様。
『最初に扉を開けたのは――』
低い声が響く。
『佐伯家の人間だ』
「……!」
俺は言葉を失った。
少女が小さく呟く。
「やっぱり……」
「何が?」
少女は俺を見る。
「お父さんは、全部を知ってた」
「……父さん?」
俺の記憶に、幼い頃の父の姿が浮かんだ。
いつも俺の部屋のカーテンを閉めていた。
「絶対に夜は開けるな」
そう言っていた。
俺はずっと――
ただの子供への注意だと思っていた。
でも。
違った。
カーテンの向こうから、声が響く。
『蓮』
『お前の父親は――』
そこで声が途切れる。
スマートフォンが警告音を鳴らした。
【接続率】
【50%】
「……!」
ついに。
50%。
画面が真っ赤になる。
【第五接続先との接続が確定】
【原初接続キー――第二段階へ】
そして最後に。
【佐伯家の記録を開示します】
俺の足元に――
見たことのない巨大な扉が現れた。
その扉には。
俺の家のカーテンと同じ模様が刻まれていた。
少女が俺の手を握る。
「蓮」
「……何?」
「開けて」
「この扉を?」
少女は頷く。
「ここに――」
一瞬だけ悲しそうな顔をして。
「あなたのお父さんが残した、本当の答えがある」
俺は扉に手を置いた。
そして――
ゆっくりと開いた。




