第26話 佐伯家に眠る境界
「……やっと来たね」
少女は、俺の部屋の中に立っていた。
白い髪。
黒い瞳。
小さな身体。
そして――
何よりも気になるのは、その顔だった。
「……俺?」
思わず声が出る。
少女は首をかしげた。
「うん。似てるね」
「似てるっていうか……」
俺はスマートフォンを取り出した。
画面には、見たことのない表示が出ている。
【原初接続キーを確認】
【所有者:佐伯蓮】
【原初接続先を検出】
【場所:佐伯家】
そして、その下にもう一つ。
【警告】
【接続率:49%】
「……49%」
背筋が凍る。
あと1%。
あの存在が言っていた。
50%になれば、俺は「あちら側」のものになる。
「時間がない」
少女が言った。
「え?」
「あと少しで、あれがこちら側へ来る」
「境界喰らいが?」
少女は黙ってうなずいた。
その瞬間――
ドンッ!
部屋全体が揺れた。
窓ガラスが震える。
カーテンが大きく膨らんだ。
「うわっ!」
俺は反射的にカーテンを押さえた。
だが――
カーテンの向こう側に、巨大な黒い目が浮かんでいた。
『――見つけた』
低い声が響く。
『原初の場所』
「……!」
少女が俺の前に立つ。
小さな身体なのに、妙な威圧感があった。
「ここには入らせない」
『お前は何者だ』
少女は答えなかった。
代わりに俺を見る。
「蓮」
「……何?」
「原初接続キーを使って」
「使い方が分からない!」
「知ってるよ」
「え?」
少女は、俺のスマートフォンを指さした。
「蓮がもう一度、選ぶだけ」
「選ぶ?」
「何と何を繋ぐのか」
俺は画面を見る。
これまでの俺は、ずっと考えていた。
日本と異世界を繋ぐ。
日本の商品を異世界へ送る。
人を助ける。
世界を守る。
でも――
それだけじゃない。
もう一人の俺が言っていた。
俺の力は、世界を繋ぐ力じゃない。
人を繋ぐ力だ。
「……じゃあ」
俺はスマートフォンを握りしめる。
「俺が選ぶのは――」
そのときだった。
画面が勝手に切り替わった。
【原初接続キー】
【接続対象を選択してください】
表示されたのは四つ。
【日本】
【リナの世界】
【狼王の森】
【???】
そして最後に――
【人】
「……人?」
少女が微笑んだ。
「それが、最初の答え」
「最初の答え?」
「昔の人たちは、世界と世界を直接繋ごうとした」
少女の声が少し寂しくなる。
「でも、世界を繋ぐだけでは駄目だった」
「だから境界喰らいが生まれた?」
「うん」
少女は頷いた。
「繋がった世界から、何かを奪うようになった」
「……」
「でもね」
少女は俺を見上げる。
「人と人が繋がることで、世界は安定する」
俺は思い出した。
狼王。
ミリア。
リナ。
ガルド。
最初は誰も知らない人だった。
それでも俺は、商品を渡した。
話をした。
助けた。
一緒に戦った。
そして――
世界そのものが安定した。
「……商売も同じなのか」
「そう」
少女が笑った。
「だから、蓮は商人になった」
「いや、それは偶然……」
「偶然じゃないよ」
少女はさらりと言った。
「佐伯家はずっと、境界を見てきたから」
「……佐伯家が?」
俺は固まった。
「じゃあ、うちの家族は……」
「全部を知っていたわけじゃない」
少女は首を振る。
「ただ、忘れないようにしていた」
「何を?」
少女は、部屋の古い押し入れを指さした。
「そこ」
「押し入れ?」
「その奥に、最初の記録がある」
俺は急いで押し入れを開けた。
布団。
古い段ボール。
使っていない扇風機。
そして――
一番奥に、小さな木箱があった。
「こんなの……あったっけ?」
俺は箱を引っ張り出す。
蓋には、見覚えのある模様が刻まれていた。
カーテンに描かれていたものと同じ模様。
「まさか……」
蓋を開ける。
中に入っていたのは、一冊の古いノートだった。
表紙には一文字だけ。
『境』
俺はページをめくる。
最初のページ。
そこには――
『この扉を開ける者へ』
と書かれていた。
そして、その下に。
『世界を繋ぐな』
俺は息を止めた。
次のページ。
『人を繋げ』
「……」
さらにページをめくる。
『境界は、欲望によって壊れる』
『しかし、誰かを想う気持ちによって強くなる』
俺はノートを握りしめた。
その瞬間。
スマートフォンが鳴った。
ピコン。
【原初接続キー】
【条件を確認】
【接続対象:人】
【条件達成率――72%】
「72%……?」
少女が笑った。
「もう少し」
「何が?」
「蓮が、本当に守りたいものを決めるだけ」
ドンッ!!
再び部屋が揺れた。
今度はさっきより強い。
カーテンの向こうから、黒い腕が伸びてくる。
「来た!」
少女が叫ぶ。
俺はノートを閉じた。
「だったら――」
スマートフォンを握る。
「俺は世界を選ばない」
画面に手を置く。
「俺は――みんなを選ぶ」
その瞬間。
スマートフォンから、まばゆい光が溢れた。
【原初接続キーを起動します】
【接続開始】
【対象――】
一瞬、画面が真っ白になる。
そして――
【ミリア】
【リナ】
【狼王】
【ガルド】
【佐伯蓮】
名前が次々と浮かび上がった。
「……みんな」
俺が呟いた瞬間。
遠く離れた場所から、声が聞こえた。
『蓮!』
ミリアの声。
『聞こえてるよ!』
リナの声。
『境界の子――』
狼王の声。
そして――
『おい、勝手に俺を巻き込むな!』
ガルドの声。
俺は思わず笑った。
「ガルド……」
『笑ってる場合か!』
「悪い」
『だったらさっさと戻ってこい!』
「……ああ」
俺はカーテンを見る。
黒い腕が、こちらへ伸びている。
でも――
もう怖くなかった。
なぜなら。
一人じゃないからだ。
そして少女が、小さく呟いた。
「これが……最初の一歩」
その瞬間。
世界中の空に――
巨大な光の線が走った。
日本。
狼王の森。
リナの世界。
そして、まだ見ぬ場所へ。
一本の線が繋がっていく。
スマートフォンに、新しい文字が表示された。
【原初接続――成功】
【ただし】
【未確認の接続先が一つ存在します】
俺は画面を見つめる。
【第5接続先】
【名称:???】
【接続要求――受信】
「……第五の世界?」
少女の顔から、初めて笑みが消えた。
「違う」
「え?」
少女はカーテンの向こうを見つめた。
「それは……」
黒い目が、ゆっくりと開く。
『――俺たちの世界だ』
そして――
カーテンの向こうから、無数の声が響いた。
『帰ってこい』
俺は息を呑んだ。
「……俺たち?」
その言葉の意味を理解するより先に――
画面が赤く染まった。
【緊急警告】
【第五接続先より侵入反応】
【対象――複数】
「……複数?」
俺はカーテンを見た。
黒い目の奥から。
一つ。
二つ。
三つ。
無数の目が、こちらを見ていた。
――そして少女が、静かに言った。
「蓮」
「何?」
「ここからが、本当の戦いだよ」




