第20話 狙われた商人――境界の力
蓮の腕に、黒い紋様が浮かんでいた。
「レン……」
リナが震える。
「その傷……」
「大丈夫だ」
そう言ったものの、蓮自身にも分かっていた。
大丈夫ではない。
黒い紋様は、少しずつ腕を這い上がっている。
スマートフォンには、冷たい文字が表示されていた。
【境界干渉を検知】
【対象:佐伯蓮】
【危険度:上昇中】
「くそ……」
蓮は腕を押さえた。
その時。
「蓮!」
ミリアが走ってきた。
「これを使って!」
手にしていたのは、さっきの水と洗剤。
「また洗剤かよ!」
「効くんでしょ!?」
「そうだけど!」
蓮は苦笑しながら腕を洗った。
シュウウウ……。
黒い紋様が一瞬薄くなる。
「やっぱり効く」
しかし、完全には消えない。
「……時間稼ぎにしかならないか」
狼王が低く唸った。
「境界喰らいは、貴様そのものを食おうとしている」
「俺を?」
「違う」
狼王は蓮の胸を見る。
「貴様の中にある『繋ぐ力』をだ」
「繋ぐ力……?」
リナが口を開いた。
「昔の伝承にあります」
「伝承?」
「世界と世界の間には、普通なら何もありません」
リナは空を見上げる。
「でも、ごく稀に――」
「世界を繋げられる人間が生まれる」
「……俺が?」
「はい」
蓮は黙った。
自分はただの会社員だった。
異世界に来たのも偶然。
百円ショップの商品を売ったのも、最初は金儲けのつもりだった。
なのに。
「俺が……境界?」
その瞬間。
『ピコン』
スマートフォンが鳴った。
【境界取引システム】
【商人登録を更新します】
【称号:異世界商人】
【追加権限を解放】
画面に新しい項目が現れた。
【①商品転送】
【②接続先選択】
【③境界保護】
「境界保護……?」
蓮が押してみる。
すると――。
森全体を囲むように、薄い光の線が現れた。
「おお……」
ミリアが驚く。
黒い霧が、その光に触れた瞬間――。
バチッ!
弾き飛ばされた。
「これなら……!」
蓮の顔が明るくなる。
だが。
【境界保護:残量98%】
数字が減っていく。
「……永久じゃないな」
狼王が笑う。
「ならば、なくなる前に決着をつければよい」
「簡単に言うなよ」
蓮はため息をついた。
その時だった。
『ピコン』
別の通知が入った。
【商業取引期限】
【残り:2日】
「……あ」
蓮が固まった。
「どうしたの?」
ミリアが聞く。
「ガルドとの勝負……」
「ガルド?」
「完全に忘れてた!」
異世界を滅ぼそうとしている怪物と戦っていたせいで、商売勝負のことをすっかり忘れていた。
「あと二日……」
蓮は頭を抱えた。
「俺、売上どうなってるんだ?」
スマートフォンに表示される。
【現在売上】
【佐伯商会:――】
【集計不能】
「集計不能ってなんだよ!」
蓮が叫ぶ。
ミリアが首をかしげる。
「売れてないってこと?」
「違う!」
蓮は思い出した。
自分は商品を売っていた。
だが、森の人たちを助けるために大量の商品を使ってしまった。
さらに、街にはまだ商品を届けられていない。
「これ……」
蓮は頭を抱えた。
「商売勝負、負けるんじゃないか?」
すると。
「それなら――」
狼王が口を開いた。
「売ればよい」
「え?」
「貴様は商人なのだろう?」
「まあ……そうだけど」
「ならば戦いながら商売をすればよい」
「無茶言うな!」
その瞬間。
森の奥から声が響いた。
「――その考え、嫌いじゃないぜ」
「!」
全員が振り返る。
木々の間から、一人の男が歩いてくる。
豪華な服。
金の装飾。
そして鋭い目。
「ガルド……!」
蓮が目を見開いた。
「なんでここに!?」
ガルドは笑った。
「お前の商品を追ってきた」
「俺の商品?」
「正確には――」
ガルドは黒い空を見上げた。
「お前が商品を運んでいる先をな」
蓮の表情が変わる。
「……どういう意味だ?」
ガルドは真剣な顔になった。
「俺の商人たちが調べた」
「お前の商品が売れた場所では、妙な現象が起きている」
「そして、お前が消えた直後から――」
ガルドは黒い空を指差した。
「王都の上空にも、黒い亀裂が出始めた」
「……!」
蓮は息をのんだ。
境界喰らいは、この森だけではない。
日本だけでもない。
すでに人の住む場所へ、広がり始めている。
ガルドが続ける。
「蓮」
「お前が何者なのかは知らん」
「だが――」
ガルドは腰に手を当てた。
「このままじゃ商売する場所そのものがなくなる」
蓮は黙った。
そして――。
「ガルド」
「あ?」
「一週間勝負は……まだ有効だよな?」
ガルドはニヤリと笑った。
「当然だ」
「じゃあ――」
蓮はリュックから商品を取り出した。
LEDライト。
電池。
ロープ。
洗剤。
救急用品。
そして大量の百円ショップ商品。
「俺が勝つ」
ガルドの目が細くなる。
「この状況で商売をする気か?」
「ああ」
蓮は笑った。
「俺は商人だからな」
その瞬間。
黒い空に、巨大な目が再び開いた。
『境界――発見』
『接続を開始』
スマートフォンが激しく震える。
【境界喰らい】
【接続先を変更】
【第三接続先――】
表示が切り替わる。
【日本】
【リナの世界】
【???】
そして最後に――。
【佐伯蓮】
蓮は画面を見つめた。
「……俺自身が、第三の接続先になってる」
黒い目が笑ったように細くなる。
そして。
『接続を開始します』
世界中の境界が、一斉に震え始めた。




