第19話境界喰らい
黒い空に、巨大な腕が伸びていた。
その腕には、見たことのない黒い紋様が刻まれている。
「グルルル……!」
狼王が唸る。
森の狼たちも一斉に牙をむいた。
だが――。
「待って!」
蓮が叫んだ。
「突っ込んじゃ駄目だ!」
狼王が蓮を見る。
「境界の子。あれは敵だ」
「分かってる!」
蓮はスマートフォンを見る。
画面には、
【名称:境界喰らい】
【目的:接続】
【第一接続先への干渉を確認】
そして、その下に新しい表示が出ていた。
【接続先選択】
【第一:日本】
【第二:リナの世界】
【第三:未登録】
蓮は息をのんだ。
「これ……俺が選べるのか?」
「レン?」
ミリアが不安そうに聞く。
「選択を間違えたら……どうなる?」
「分からない」
「えっ」
「分からないけど――」
蓮は黒い空を見上げた。
「選ばなかったら、あいつが勝手に選ぶかもしれない」
その瞬間だった。
黒い腕が動いた。
「来るぞ!」
狼王が吠える。
ズドォォォン!!
巨大な腕が森へ叩きつけられた。
木々が吹き飛ぶ。
「きゃあ!」
「リナ!」
蓮がリナを抱えて転がる。
すぐ横を黒い霧が通り過ぎた。
「触れるな!」
狼王が巨大な牙で黒い霧を噛み砕く。
だが――。
「……!」
黒い霧が狼王の身体にまとわりついた。
「狼王!」
ミリアが叫ぶ。
「問題ない!」
狼王は踏ん張った。
しかし、毛の一部が黒く染まっていく。
「まずい……」
蓮は周囲を見る。
そして――。
「あれだ!」
蓮はリュックを開けた。
「ミリア! 水!」
「水?」
「大量に!」
「分かった!」
ミリアが魔法で水を作り出す。
蓮はそこへ――。
「食器用洗剤!」
ドバッ。
「……これ、何?」
「汚れを落とすやつ!」
「今それ使うの!?」
「使う!」
蓮は洗剤を混ぜた水を狼王にかける。
シュウウウ……。
黒い霧が薄くなった。
「……効いている?」
リナが目を丸くする。
「やっぱり!」
蓮は叫んだ。
「あいつは普通の魔物じゃない。でも、黒い霧そのものは汚れみたいに剥がせる!」
蓮はさらに百円ショップで買った雑巾を取り出した。
「よし!」
「レン……」
ミリアが呆れた顔をする。
「それで世界を救うつもり?」
「商人だからな!」
「意味が分からないよ!」
だが、狼王は笑ったように牙を見せた。
「面白い」
狼王が立ち上がる。
「境界の子よ。貴様は本当に奇妙な男だ」
「褒め言葉として受け取っとく!」
その時――。
スマートフォンが震えた。
『ピコン』
【第三接続先から通信】
【接続要求】
【応答しますか?】
蓮は画面を見つめる。
「第三接続……」
リナの顔が青ざめた。
「まさか……」
「知ってるのか?」
「分からない。でも……」
リナは震えながら言った。
「あの黒い穴と同じ気配がする」
「……」
蓮は一瞬迷った。
第三接続を開けば、助けになるかもしれない。
だが――。
敵をこちら側へ招く可能性もある。
「レン!」
ミリアが叫ぶ。
「上!」
蓮が空を見る。
黒い腕の先に――。
巨大な目が開いていた。
赤い瞳。
その瞳が、蓮を見ている。
『接続対象を確認』
頭の中に声が響いた。
『境界を発見』
『接続を開始します』
「させるか!」
蓮はスマートフォンを握りしめた。
そして――。
【第一接続先:日本】
をタップした。
「日本につなげ!」
スマートフォンが激しく光る。
次の瞬間。
黒い空間に、一瞬だけ別の景色が映った。
日本。
蓮の部屋。
カーテン。
そして――。
そのカーテンに走る、黒い亀裂。
「……!」
蓮の顔から血の気が引いた。
「俺の部屋が……!」
黒い亀裂は少しずつ広がっていた。
境界喰らいは、異世界だけを狙っているわけではない。
日本にも手を伸ばしている。
「……ふざけるな」
蓮は拳を握った。
「日本は俺の世界だ」
そしてミリアを見る。
「この世界も、リナの世界も――」
蓮はスマートフォンを掲げた。
「全部、俺が守る!」
その瞬間。
スマートフォンに新しい文字が浮かんだ。
【商人権限を確認】
【特殊機能を解放します】
【――境界取引を開始します】
「……商人権限?」
蓮が目を見開く。
画面に、新しい項目が表示された。
【商品を選択してください】
【使用方法:未登録】
蓮は笑った。
「……なるほど」
リュックの中を見る。
LEDライト。
電池。
ロープ。
粘着テープ。
洗剤。
水。
救急用品。
そして――。
大量の百円ショップ商品。
「商売ってのは……」
蓮はLEDライトを手に取った。
「売るだけじゃないんだな」
狼王が蓮を見る。
「何をする?」
蓮は笑った。
「――仕入れる」
その直後。
森中に白い光が走った。
黒い霧が一斉に後退する。
境界喰らいの巨大な目が、初めて揺らいだ。
『異常』
『境界側からの干渉を確認』
『未知の商品情報を取得――』
「いまだ!」
蓮が叫ぶ。
「みんな、押し返すぞ!」
「おおおおおっ!」
狼王と狼の群れが一斉に走り出す。
ミリアは魔法を放つ。
リナも翼を広げる。
そして蓮は――。
百円ショップのLEDライトを、一本ずつ地面に突き刺していった。
光の道ができる。
森の奥から、黒い霧が逃げていく。
だが――。
境界喰らいの目が、ゆっくりと細くなった。
『接続対象を変更』
蓮のスマートフォンが震える。
【警告】
【境界喰らいが第二接続先へ接続を試みています】
「第二……?」
蓮が振り返る。
リナの世界へ続く、あの黒い穴。
そこから――。
一本の黒い糸が伸びていた。
リナの背中へ向かって。
「リナ!」
「え?」
蓮は走った。
「逃げろ!」
黒い糸がリナへ迫る。
そして――。
蓮がリナを抱き寄せた瞬間。
黒い糸が蓮の腕に触れた。
ジュッ。
「ぐっ……!」
腕に黒い紋様が浮かぶ。
「レン!」
「大丈夫……!」
だがスマートフォンには、さらに恐ろしい文字が表示されていた。
【境界喰らい】
【新しい接続対象を確認】
【第三接続候補――】
【佐伯蓮】
蓮は目を見開いた。
「……俺?」
境界喰らいが欲しがっていたのは――。
世界ではなかった。
世界と世界をつなぐ――。
境界そのものだった。
そして、その中心にいるのは。
蓮だった。




