第29話 崩壊する市場! 三つの交易標をつなげ!
北方交易都市・中央市場。
「きゃあああっ!」
悲鳴が響いた。
市場の中央に、黒い霧が渦巻いていた。
屋台が宙に浮く。
商品が次々と消え、見知らぬ場所から大量の荷物が降ってくる。
ドサッ!
「うわっ! 何だこれ!」
「荷物が空から降ってきたぞ!」
「逃げろ! 市場が壊れる!」
俺たちが駆けつけた時、そこはすでに大混乱だった。
「これは……!」
ミリアが顔を青くする。
「境界が暴走しています!」
スマートフォンが激しく振動した。
ピコン! ピコン! ピコン!
【緊急警告】
【第一境界・崩壊進行中】
【接続過剰率:91%】
【残り時間――不明】
「不明って、そこはちゃんと表示してくれよ!」
思わず叫ぶ。
「今は冗談を言っている場合ではないぞ!」
狼王が飛んできた荷車を片手で受け止めた。
「お前たち! 子供を先に避難させろ!」
「はい!」
リナが近くにいた人々を誘導する。
セレナは倒れた露店の柱を持ち上げ、下敷きになりかけた商人を救い出した。
「こちらへ! 急いでください!」
「セレナさん、無理はしないで!」
「蓮様を置いて死ぬわけにはいきません!」
「そういう意味じゃない!」
こんな時まで妻気取りか!
いや、今は助けてもらっている場合だ。
俺は市場全体を見渡した。
商品が集まりすぎている。
しかも、消えた荷物が別の場所から現れ、別の荷物を押し出している。
まるで世界そのものが、巨大な倉庫になろうとしているみたいだった。
「……景真!」
俺は黒い霧の向こうを睨んだ。
その時。
パチ、パチ、パチ。
拍手が聞こえた。
「さすがだな、蓮」
霧の中から、あの男が現れた。
佐伯景真。
佐伯家の元交易監査人。
「人々を助けるために、ずいぶんと忙しそうだ」
「お前がやったのか!」
「そうだ」
景真は平然と答えた。
「第一境界の封印が解ければ、世界中の物資を自由に行き来させられる。食料も、薬も、鉱石も、技術もな」
「そのために、この市場を壊すのか!」
「多少の犠牲は仕方がない」
景真の言葉に、俺は拳を握った。
「物が届いても、人が死んだら意味がないだろ!」
「では聞こう、蓮。物が足りずに苦しむ人間を、お前はどう救う?」
景真が一歩近づく。
「お前の言う、必要なものだけを届ける商売で、すべての人間を救えるのか?」
「……!」
言葉に詰まった。
確かに、俺一人で世界中の人間を救うことなんてできない。
欲しい物を、欲しい人に、必要なだけ届ける。
それが俺の商売だった。
でも、目の前で市場が壊れている。
このままでは、助けられるはずの人まで巻き込まれる。
「答えられないか」
景真が笑う。
「ならば、私が証明してやろう。制限のない交易こそ、世界を変える力だと!」
黒い霧が膨れ上がった。
市場の地面に亀裂が走る。
「蓮さん!」
ミリアが叫ぶ。
俺はスマートフォンを確認した。
【第一境界・制御情報】
【必要な交易標:三か所】
【北方交易路】
【旧交易所】
【竜王国・王都】
「三つの交易標……!」
山で見た表示を思い出した。
第一境界を制御するには、三つの場所をつなぐ必要がある。
だが、今いるのは北方交易都市だ。
残り二か所は、ここにはない。
「どうすればいいんだ……!」
その瞬間。
スマートフォンに、新しい通知が表示された。
【交易標の遠隔連動が可能】
【条件:各地点で正規交易を成立させること】
「正規交易……?」
俺は画面を見つめた。
その時、背後から声が響いた。
「蓮さん! 市場の商人たちが集まっています!」
リナが叫んだ。
振り返ると、先ほどまで逃げていた商人たちが戻ってきていた。
「俺たちにも何かできるはずだ!」
「市場を壊されてたまるか!」
「助けてもらった恩を返させてくれ!」
俺は目を見開いた。
「みんな……」
その中から、最初に俺へ佐伯家の話をした老人が進み出た。
腰には、古びた鍵。
「蓮よ。昔、この街に来た佐伯家の男も、同じことを言っていた」
「佐伯家の……?」
「一人ですべてを抱えるな、と」
老人は鍵を握りしめた。
「商売は、一人で世界を支配するためにあるのではない。人と人をつなぐためにあるのだ」
胸の奥が熱くなった。
そうだ。
俺の店だって、一人で成り立っているわけじゃない。
商品を届ける人がいる。
売る人がいる。
買う人がいる。
信頼してくれる人がいる。
それが商売だ。
「みんな!」
俺は声を張り上げた。
「市場を三つの区画に分けてください! 食品、生活用品、道具類! 必要なものを必要な場所へ運ぶんです!」
「分かった!」
「荷車を出せ!」
「倉庫を開けろ!」
商人たちが一斉に動き始めた。
セレナが目を輝かせる。
「蓮様、さすがです!」
「感心してないで手伝ってください!」
「はい、未来の妻として!」
「そこは普通に商人としてでいい!」
ミリアは苦笑しながら魔法で倒れた棚を支え、リナは商品を運ぶ人々を誘導する。
狼王は荷車を何台もまとめて引っ張っていた。
「この程度、朝飯前だ!」
「狼王! 荷車ごと店に突っ込まないで!」
「止まらぬ!」
「止まってくれ!」
大混乱の中でも、少しずつ市場の流れが整っていく。
すると――
ピコン!
スマートフォンが光った。
【北方交易路・交易標を確認】
【正規交易を検出】
【交易標1:起動】
「よし!」
黒い霧が、わずかに薄くなった。
だが、まだ足りない。
【交易標2:未起動】
【交易標3:未起動】
「くそっ……残り二つか!」
景真が苛立ったように顔を歪めた。
「なぜだ……! 物資を流し込めば、境界は開くはずだ!」
「違う!」
俺は景真を見据えた。
「物を動かすだけじゃ駄目なんだ。誰かが必要として、誰かが届けて、そこに信頼が生まれて初めて交易になる!」
「戯言を!」
景真が手を掲げた。
黒い霧が槍のように集まり、俺へ向かって放たれた。
「蓮様!」
セレナが駆け出そうとする。
だが、その前に狼王が立ちはだかった。
ガキィィン!
鋭い爪が黒い槍を弾き飛ばす。
「商売の邪魔をするな」
狼王が低く唸った。
「我はまだ、今日の昼飯を食っていない!」
「そこは蓮を守るためって言ってくれ!」
「それもある!」
「あるんだ……!」
俺は思わず笑った。
こんな状況でも、仲間がいる。
助けてくれる商人たちがいる。
一人では無理でも、みんななら――。
その時だった。
スマートフォンが、今までにない大きな音を鳴らした。
ピィィィィン!
【遠隔交易標との接続を開始】
【旧交易所――応答あり】
【竜王国・王都――応答あり】
「つながった……!」
画面の向こうに、二つの光が灯る。
旧交易所では、俺たちを知る商人たちが荷物を運び始めていた。
そして竜王国の王都では――。
「蓮のためなら、余も協力しよう!」
竜王の声が、通信越しに響いた。
「王都の交易所を開放せよ! 必要な物資を、必要な場所へ届けるのだ!」
「竜王様……!」
さらに別の声が割り込む。
『蓮様ー! こちらの準備も整いました!』
セレナの部下だった。
『妻として支えるセレナ様のためにも、必ず成功させてください!』
「誰が妻だあああ!」
思わず叫んだ。
セレナは頬を染めている。
「まあ……みんなに認められてしまいましたね♡」
「認められてません!」
しかし、笑っている場合ではなかった。
三つの光が、スマートフォンの画面でつながり始めている。
【交易標2:起動準備】
【交易標3:起動準備】
【正規交易の成立を待機中】
俺は市場の人々を見渡した。
「みんな! あと少しだ!」
商人たちが声を上げる。
「届けろ!」
「必要なものを、必要な人へ!」
「この市場を守るんだ!」
次々と商品が運ばれ、取引が成立していく。
そして――。
ピコン!
【交易標2:起動】
ピコン!
【交易標3:起動】
三つの光が、一本の線になった。
黒い霧が大きく揺れる。
地面の亀裂が止まり、空中に浮かんでいた荷物がゆっくりと降りてきた。
【第一境界・崩壊進行】
【91%→74%】
「止まった……!」
ミリアが息をつく。
だが、景真は笑っていた。
「なるほど……三つの交易標を、信頼でつないだか」
その顔から笑みが消える。
「だが、まだ終わりではない」
「何だと?」
景真は懐から黒い石を取り出した。
石には、佐伯家の紋章が刻まれている。
「第一境界の封印は、まだ完全には解けていない。お前たちが止めたのは、表面だけだ」
「なら、完全に止めればいい!」
「できるものならな」
景真の身体が黒い霧に包まれた。
「蓮。お前は次の選択を迫られる」
「次の選択……?」
「境界を閉じれば、今まで自由に行き来していた物資も、人も、再び失われる。境界を開けば、世界は際限なくつながり、いずれすべてが混ざり合う」
景真の声が市場に響く。
「お前は、どちらを選ぶ?」
黒い霧が晴れた時、景真の姿は消えていた。
残されたのは、静まり返った市場と、スマートフォンに表示された新しい文字だけだった。
【第一境界・最終制御】
【選択者:佐伯蓮】
【最終判断を実行してください】
俺は画面を見つめた。
市場は守れた。
みんなも無事だ。
だが、景真の言葉が頭から離れない。
境界を閉じるのか。
それとも、開くのか。
俺は仲間たちを見た。
ミリアも、リナも、セレナも、狼王も。
みんな疲れ切っている。
それでも、誰一人として逃げようとはしなかった。
「蓮さん」
ミリアが静かに言った。
「私たちは、あなたの選択を信じます」
「私もです」
リナが頷く。
セレナも、いつもの笑顔を浮かべた。
「どんな選択でも、私は蓮様の隣にいます。妻として♡」
「だから妻じゃ……いや、今はありがとう」
狼王が腕を組んだ。
「決めろ、蓮。腹が減った」
「最後だけ台無しだよ!」
俺は笑った。
そして、スマートフォンを握りしめる。
必要なものを届ける。
必要なものを受け取る。
それ以上を求めない。
一郎が残した言葉。
父が教えてくれた商売の意味。
そして、今日この市場で出会った人々が見せてくれた信頼。
答えは、もう決まっていた。
「景真……俺は、あんたとは違う道を選ぶ」
スマートフォンの画面に指を伸ばす。
だが、最終制御のボタンを押す直前――。
新たな警告が表示された。
【注意】
【最終制御には、佐伯家の血統記録が必要です】
【記録保管場所――第一境界の内部】
「……境界の中に、記録がある?」
俺は顔を上げた。
山の奥にある、あの巨大な扉。
その向こうに、佐伯家が隠してきた最後の秘密がある。
「行こう」
俺は仲間たちに告げた。
「今度こそ、全部終わらせる」
夜空の向こう。
北の山頂で、巨大な扉が青白く光り始めていた。
そして、その扉の向こうから――。
誰かの声が聞こえた。
『待っていたぞ、蓮』
第一境界の最深部。
そこに眠るのは、佐伯家が守り続けてきた本当の宝だった。




