第30話 第一境界の奇跡! 佐伯家が守った本当の宝
北方の山。
巨大な扉の前に、俺たちは立っていた。
青白い光が、扉の表面をゆっくりと流れている。
スマートフォンには、最後の警告が表示されていた。
【第一境界・最終制御】
【必要条件:佐伯家の血統記録】
【記録保管場所:境界内部】
「……いよいよだな」
俺は古い鍵を握りしめた。
北方交易都市の老人から預かったものだ。
鍵の表面には、佐伯家の紋章が刻まれている。
セレナが隣に立った。
「蓮様。危険なら、私が先に入ります」
「いや、俺が行く」
「では、妻として一緒に――」
「だから妻じゃないって!」
「今はそんなことを言っている場合ではありませんよ?」
「それはそうだけど!」
ミリアが小さく笑った。
「二人とも、緊張感がありませんね」
「ミリアまで……」
狼王が扉を見上げる。
「開かぬなら、壊せばよい」
「駄目だ!」
俺とミリアとリナの声が重なった。
狼王は不満そうに鼻を鳴らした。
「冗談だ」
「絶対、半分くらい本気だっただろ!」
俺は鍵を扉の中央にある穴へ差し込んだ。
カチリ。
その瞬間。
扉全体が震えた。
ゴゴゴゴゴ……!
青白い光が広がり、扉がゆっくりと左右に開いていく。
そして――。
【佐伯家の血統記録を確認】
【最終制御者:佐伯蓮】
【入室を許可します】
「……入ろう」
俺たちは、第一境界の内部へ足を踏み入れた。
◇
そこは、巨大な図書館のような場所だった。
天井は見えないほど高い。
壁一面に、無数の扉が並んでいる。
扉の向こうからは、海の音、鳥の声、人々の話し声が聞こえてきた。
「これ、全部……異世界につながっているの?」
リナが息をのむ。
ミリアが頷いた。
「おそらく。今まで私たちが見つけてきた境界は、その一部だったんです」
俺は中央へ進んだ。
そこには古い机が一つ。
机の上には、一冊の本が置かれていた。
表紙には、こう書かれている。
『佐伯家・第一境界記録』
「これが……」
俺は本を開いた。
最初のページには、見覚えのある名前があった。
佐伯一郎。
佐伯家の初代当主。
そして、その隣には――。
『境界監査人 佐伯景真』
「景真……?」
俺はページをめくった。
そこには、今まで知らなかった佐伯家の歴史が記されていた。
◇
『境界が開いた当初、人々は互いに必要なものを交換し、豊かになった』
『しかし、やがて一部の商人は利益を求め、必要以上の物資を持ち出すようになった』
『鉱山は荒らされ、森は失われ、境界の向こうの世界では争いが起きた』
『それでも、景真は交易を止めようとはしなかった』
俺は息を止めた。
景真は、最初から悪人だったわけではないのか。
さらにページをめくる。
『景真には、飢饉で家族を失った過去があった』
『必要な食料が届かなかったことで、多くの命が失われた』
『彼は誓った。二度と、物資が足りないことで人が死ぬ世界にはしないと』
「……そうだったのか」
景真が、なぜあれほど交易に執着していたのか。
ようやく分かった。
彼は、もう二度と誰かを飢えさせたくなかったのだ。
その願い自体は、間違っていなかった。
だが――。
「だからって、他の人を犠牲にしていいわけじゃない」
俺は呟いた。
ミリアが静かに頷く。
「願いが正しくても、方法を間違えれば誰かを傷つけてしまうんですね」
本の最後には、一郎の言葉が記されていた。
『境界を閉じれば、人々は再び孤立する』
『境界を無制限に開けば、世界は互いを食い尽くす』
『だからこそ、境界を守る者が必要なのだ』
『必要なものを届ける』
『必要なものを受け取る』
『相手の世界を壊さない』
『それが、佐伯家の商いである』
俺は本を閉じた。
「……これが、佐伯家が守ってきたものか」
宝石でもない。
金貨でもない。
どんな世界の商品でも自由に取り出せる、魔法の力でもない。
人と人が、世界と世界が、互いを壊さずに支え合うための約束。
それこそが、佐伯家の本当の宝だった。
その時。
パチ、パチ、パチ。
拍手が響いた。
「見つけたようだな」
振り返る。
そこには景真が立っていた。
「景真……!」
「その記録を読んだか」
景真は、俺の手元の本を見つめた。
「ならば分かるだろう。なぜ私が境界を開こうとしているのか」
「分かったよ」
俺は正直に答えた。
「景真が、もう誰にも飢えてほしくないと思っていることは」
景真の目がわずかに揺れた。
「だったら――」
「でも、あんたのやり方じゃ駄目なんだ」
俺は一歩前へ出た。
「物を大量に運べば、みんなが幸せになるわけじゃない。必要な人に届かなければ意味がないし、そのために誰かの世界を壊したら、もっと多くの人が苦しむ」
「……」
「俺だって、すべての人を救えるとは思っていない」
俺はスマートフォンを握った。
「でも、一人で全部を手に入れるんじゃなくて、みんなで必要なものを届け合うことはできる」
景真は黙っていた。
やがて、低い声で尋ねた。
「お前は、本当にそれで世界を変えられると思うのか?」
「思うよ」
俺は答えた。
「少なくとも、俺はその商売を続ける」
景真が目を伏せた。
その手には、黒い石が握られていた。
第一境界の封印を無理やり解くための石。
石に亀裂が走り、黒い光が漏れ出している。
「もう、止められない……」
景真が呟いた。
「境界は、私の命令を離れている」
次の瞬間。
ドォォォン!
壁が大きく揺れた。
無数の扉が一斉に開き、黒い霧が流れ込んでくる。
【緊急警告】
【第一境界・崩壊開始】
【制御可能時間:残りわずか】
「景真! どうすれば止められるんだ!」
「三つの交易標をつないだだけでは足りない!」
景真が叫んだ。
「最後に必要なのは、境界を守る者自身の選択だ!」
「選択……?」
スマートフォンに、二つの項目が表示された。
【第一境界を完全封鎖する】
【第一境界を無制限に開放する】
「どっちも極端すぎるだろ……!」
完全封鎖すれば、今までつながった世界が孤立する。
無制限に開放すれば、また同じ悲劇が起きる。
一郎が残した答えは、そのどちらでもなかった。
「……そうか」
俺はスマートフォンを見つめた。
「選ぶのは、この二つじゃない」
画面を操作する。
【第三の選択肢を検索】
【該当する制御方法はありません】
「ないなら、作る!」
「蓮様!?」
セレナが叫んだ。
俺は画面に向かって言った。
「境界を閉じない。だけど、無制限にも開かない。正規の交易を登録して、相手の世界と合意したものだけを行き来させる!」
【条件を確認中……】
「必要な物資、数量、送り先を記録する! そして、両方の世界が納得した取引だけを成立させる!」
【新たな制御方式を検出】
【方式名を入力してください】
「方式名……?」
こんな時に名前まで必要なのか!
俺は少し考えた。
そして、答えた。
「……信頼交易だ」
スマートフォンが強く輝いた。
【新方式:信頼交易】
【佐伯家の原則と一致】
【最終制御を開始します】
ゴオオオオオッ!
三つの交易標から光が伸び、第一境界の中央へ集まっていく。
北方交易路。
旧交易所。
竜王国の王都。
それぞれの場所で、商人たちが取引を続けていた。
一人が必要な品を届ける。
もう一人が、その対価を渡す。
その積み重ねが、光となって世界をつないでいく。
黒い霧が薄れていく。
暴走していた扉が、次々と静まっていった。
【第一境界・安定化】
【崩壊進行:停止】
【信頼交易ネットワーク:稼働】
「止まった……」
リナが呟いた。
ミリアは胸に手を当て、ほっと息をつく。
「成功です……!」
セレナが俺の手を握った。
「蓮様、やりましたね!」
「みんなのおかげだよ」
俺は笑った。
その時、景真が膝をついた。
手の中の黒い石が、砂のように崩れていく。
「……私の負けか」
「景真……」
「お前は、境界を閉じずに守る方法を作った」
景真は、苦しそうに笑った。
「一郎が目指したものを……お前が実現したのか」
「違うよ」
俺は首を振った。
「俺一人じゃできなかった。市場の商人たちも、仲間も、みんなが協力してくれたからだ」
景真は長い沈黙のあと、顔を上げた。
「……私も、やり直せるだろうか」
俺はすぐには答えなかった。
彼がやったことは、簡単に許せることじゃない。
市場を危険にさらし、たくさんの人を傷つけかけた。
だからこそ、責任は取ってもらう必要がある。
「まずは、壊しかけたものを直すところからだ」
俺は言った。
「それから、今度は正しい交易を手伝ってくれ」
景真は目を閉じ、深く頭を下げた。
「……分かった」
◇
第一境界の外へ出ると、山の空は明るくなっていた。
北方交易都市では、市場の復旧が始まっている。
壊れた屋台を直す商人。
散らばった商品を拾う子供たち。
互いに手を貸し合う人々。
そこには、もう黒い霧はなかった。
スマートフォンが鳴る。
【第一境界・安定率】
【100%】
【佐伯家の記録を更新しました】
【境界守護者:佐伯蓮】
「……100%」
俺は画面を見つめた。
長い間、佐伯家が守り続けてきた境界。
その秘密を、ようやく知ることができた。
ミリアが微笑む。
「これで終わりですね」
「そうだな」
リナも頷いた。
「でも、これからは私たちが守っていくんですね」
「ああ」
俺は海斗から受け継いだ古い記録を、そっと鞄にしまった。
佐伯家の役目は、境界を閉じることでも、自由に開くことでもない。
人々が安心して行き来できるように、交易を守ること。
それが、俺の新しい仕事になった。
その時。
狼王が腹を押さえた。
「……そろそろ飯にしよう」
「またそれか!」
「昨日からまともに食っておらぬ」
「いや、途中で保存食を三袋食べてたよな!?」
「それは食事ではない」
「どんな胃袋だよ!」
セレナが笑顔で手を挙げた。
「蓮様! 市場が落ち着いたら、みんなでお祝いの食事にしましょう!」
「賛成!」
リナが手を挙げる。
ミリアも笑った。
「今度は、ゆっくり食べたいですね」
「そうだな」
俺はスマートフォンを開いた。
日本の商品リスト。
カップ麺。
チョコレート。
ポテトチップス。
そして、みんなが大好きなプリン。
「よし。今日は特別に――」
狼王の目が光った。
「肉か!?」
「プリンだ」
「……肉は?」
「あとでな」
「必ずだぞ!」
俺たちは笑いながら、北方交易都市へ戻っていった。
◇
その夜。
市場の復旧祝いは、大盛況だった。
日本のお菓子を囲み、商人たちが笑っている。
セレナは当然のように俺の隣に座り、プリンのスプーンを差し出してきた。
「蓮様、あーん♡」
「自分で食べられます!」
「夫婦なら普通ですよ?」
「夫婦じゃない!」
そのやり取りに、周囲の商人たちが笑った。
俺は苦笑しながら、プリンを一口食べる。
甘い。
こんな何でもない時間が、今はとても大切に思えた。
世界を救うために必要だったのは、特別な力だけじゃない。
誰かを信じること。
誰かに頼ること。
そして、自分にできることを続けること。
俺は改めてそう思った。
その時、スマートフォンが小さく震えた。
ピコン。
【新たな交易候補を検出】
【接続先:未登録】
【距離:境界外】
「……ん?」
画面には、見たことのない地図が表示されていた。
まだ誰も交易したことのない世界。
その場所には、一つの小さな光が灯っている。
俺はスマートフォンを閉じた。
「まあ……明日考えるか」
今夜は、みんなと食事を楽しみたい。
新しい世界への商売は、それからでも遅くない。
◇
こうして、佐伯家と第一境界をめぐる騒動は、ひとまず幕を閉じた。
境界を守ること。
商売をすること。
人と人をつなぐこと。
そのすべてが、俺の仕事になった。
そして俺は、これからも異世界で商売を続けていく。
必要なものを、必要な人へ。
信頼を、次の世界へ。
――第3章・完――




