第18話 ブランデーボンボンの衝撃!
旧交易所・地下区画。
目の前に現れた男。
長い外套。
古びた鞄。
そして、俺とよく似た顔。
スマートフォンの画面には、はっきりと表示されていた。
【記録人物:佐伯一郎】
【佐伯家・初代当主】
「……本当に、俺のご先祖様なのか」
思わず呟く。
すると、光の中の男が笑った。
『そうだ。私は佐伯一郎。お前の家系が、最初に境界を守った頃の人間だ』
「境界を守った……?」
『そうだ。だが、守るという言葉だけでは足りない』
一郎は、地下に並ぶ古い棚を見渡した。
『私たちは、異なる世界の人々が必要なものを交換できるようにした。食料を届け、道具を渡し、向こうの世界の品を受け取った』
「商売ですね」
『ああ。だが、ある時、問題が起きた』
一郎の表情が曇った。
『人々は便利な品を求めるようになった。そして、必要以上に品を持ち出そうとする者が現れた』
ミリアが尋ねた。
「それで、境界が不安定になったんですか?」
『そうだ。世界をつなぐこと自体が悪いのではない。欲望のままにつなぎ続けることが、境界を傷つけたのだ』
俺は静かにうなずいた。
父さんが教えてくれた商売の考え方と同じだ。
必要なものを届ける。
必要なものを受け取る。
相手を困らせてまで、利益を求めない。
『お前が商人であるなら、その意味を忘れるな』
「……はい」
一郎は満足そうに笑った。
ところが、その直後。
スマートフォンが鳴った。
ピコン。
【記録の一部が破損しています】
【重要記録:境界の最初の事故】
【追加調査が必要です】
「えっ、ここまで来てそれだけ!?」
思わず声が出た。
『すまんな。記録がすべて残っているわけではない』
「ご先祖様、そこは何とかしてくださいよ!」
『それもまた、商売と同じだ。足りないものは、自分で探すのだ』
「うまいこと言って終わらせないでください!」
狼王が横で笑った。
「蓮よ、ご先祖もなかなかの商人らしいな」
「今は感心している場合じゃない!」
すると、一郎の姿が少しずつ薄くなり始めた。
『次に調べるべき場所は、北方の山だ』
「北方の山?」
『そこに、最初の境界を閉じるために使った鍵がある』
ヴェルティアが顔を上げた。
「最初の境界を閉じる鍵……?」
『そうだ。だが、気をつけろ。鍵を探しているのは、お前たちだけではない』
その言葉を最後に、一郎の姿は消えた。
地下区画に静けさが戻る。
スマートフォンには、新しい地図が表示されていた。
【次の調査候補:北方山岳地帯】
【境界反応:確認】
俺は地図を見つめた。
「……北方に戻る必要がありそうだな」
リナがうなずく。
「以前、老人が話していた山ですね」
「ああ。佐伯家の人間が帰ってこなかったという場所だ」
セレナが俺の隣に立った。
「では、私も同行いたします」
「セレナさん、まだ決定したわけじゃ……」
「もちろん、妻として――」
「だから妻じゃありません!」
いつものやり取りだった。
ただし、今日はもう一つ問題があった。
「蓮様」
ヴェルティアが、じっと俺を見つめていた。
「……何でしょう?」
「チョコレートは?」
「はい?」
「今日は、チョコレートをお持ちではないのですか?」
「今は地下遺跡の調査中ですよ!?」
ヴェルティアは、心底残念そうに肩を落とした。
「そう……ですわね」
その落ち込みように、俺は思わず苦笑した。
「分かりました。地上に戻ったら、特別なものをお渡ししますよ」
「特別なもの……?」
ヴェルティアの目が輝いた。
「はい。日本から持ってきたお菓子です」
「……!」
その瞬間、彼女の表情が一変した。
「すぐに戻りましょう!」
「切り替えが早い!」
◇
王都に戻った、その日の夕方。
俺は店の奥で、保冷バッグとは別の小さな箱を取り出した。
中に入っているのは――
ブランデーボンボン。
チョコレートの中に、ブランデー入りのシロップが入った大人向けのお菓子だ。
もちろん、酒精を含むので、お酒に弱い人や未成年には渡さない。
ヴェルティアは成人していて、酒も問題ないと聞いていた。
「ヴェルティアさん、これをどうぞ」
「……これは?」
「ブランデーボンボンです」
俺は箱を開けた。
丸いチョコレートが、きれいに並んでいる。
「中にブランデーが入っているんですよ」
「ブランデー……?」
「お酒の一種です。普通のチョコとは違う味がします」
ヴェルティアは、息をのんだ。
「チョコレートと……お酒……?」
「はい。ただ、少しずつ食べてくださいね」
「分かりましたわ……!」
彼女は、まるで宝物を受け取るように箱を受け取った。
そして、一粒を口に入れる。
かりっ。
チョコレートの殻が割れた瞬間、中からブランデー入りのシロップが広がった。
「………………」
ヴェルティアの動きが止まった。
「……ヴェルティアさん?」
彼女の頬が、みるみる赤くなった。
「な、何ですの……この香り……!」
「ブランデーですよ」
「チョコレートの甘さの中に……大人の香りが……!」
彼女は口元を押さえた。
「これは……これは……!」
一歩、後ずさる。
そして、両手で胸を押さえた。
「蓮様……!」
「はい!?」
「あなたは……いったい、どれだけのチョコレートを隠し持っていらっしゃるのですか!?」
「隠してません! 日本にはいろんなお菓子があるんです!」
ヴェルティアは箱を見つめた。
その目には、驚きと感動、そして強い決意が宿っていた。
「決めましたわ……」
「またですか!?」
彼女は立ち上がった。
「私、チョコレート専属商人になります!」
「……はい?」
店の中が静まり返った。
ミリアがゆっくり顔を上げる。
リナも目を丸くした。
セレナだけが、すぐに反応した。
「ちょっとお待ちください!」
「何でしょう、セレナ様?」
「蓮様は異世界の商品を扱う商人です! 専属になるということは、蓮様の商売を独占するという意味ですか!?」
「いいえ!」
ヴェルティアは力強く答えた。
「私はチョコレートを専門に扱いたいのです! チョコレートの魅力を、この世界の隅々まで広めたいのですわ!」
「それなら、販売協力という形でよいのでは?」
「専属がいいのです!」
「なぜです!?」
「蓮様のチョコレートを、一番近くで扱いたいからです!」
「それは商売の話ですか!?」
「商売の話ですわ!」
ヴェルティアは即答した。
俺は頭を抱えた。
「いや、ちょっと待ってください! そもそも、チョコ専属商人って何ですか!?」
「チョコレートの仕入れ、販売、宣伝を専門に担当する商人ですわ!」
「説明は分かりやすいけど、今ここで決めることじゃない!」
「では、いつ決めるのですか!?」
「ええっ!?」
ヴェルティアは、とうとう頬を膨らませた。
「蓮様は、私がこれほどチョコレートを愛しているのに、専属商人にしてくださらないのですか?」
「いや、愛しているのは分かりましたけど!」
「生チョコも、普通のチョコも、ブランデーボンボンも……!」
彼女は指を折りながら数え始めた。
「まだ、知らないチョコレートがあるのでしょう?」
「ありますけど……」
「それを、全部知りたいのです!」
ついにヴェルティアは、店の椅子に座り込んだ。
「専属商人にしてくださいませ!」
「ヴェルティアさん!?」
「お願いします!」
「駄々をこねないでください!」
「駄々ではありません! 真剣な商談ですわ!」
ミリアが吹き出した。
「蓮さん、これは商談らしいですよ」
「どこがだよ!」
狼王はポテトチップスを食べながら、うなずいた。
「欲しいものを求める。商人として間違ってはいないな」
「今は味方しないでくれ!」
◇
結局、俺はヴェルティアと話し合うことにした。
「いいですか、ヴェルティアさん」
「はい!」
「専属商人にするかどうかは、すぐには決められません」
「……どうしてですの?」
「商品の仕入れには費用がかかります。チョコレートは保存方法にも気をつけないといけない。ブランデーボンボンのようにお酒が入った商品は、販売する相手にも注意が必要です」
ヴェルティアは真剣に聞いていた。
「そして、何より大事なのは――」
俺は彼女を見た。
「チョコレートを独占しないことです」
「……独占?」
「はい。たくさんの人に楽しんでもらうための商品ですから。ヴェルティアさんだけが扱えるようにするのは、今は考えていません」
ヴェルティアはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりとうなずいた。
「……分かりましたわ」
「本当ですか?」
「はい。独占ではなく、まずはチョコレートの販売を手伝わせてください」
「それなら、ぜひお願いします」
俺が笑うと、ヴェルティアの顔もぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!」
そして、すぐに付け加えた。
「では、販売協力者として、次のチョコレートを予約してもよろしいですか?」
「……予約はいいですけど、まだ次の商品は決めてませんよ!」
「では、次の候補を教えてくださいませ!」
「ええっと……」
俺は思わず苦笑した。
チョコレートへの情熱だけは、本物らしい。
セレナが腕を組んだ。
「……私も、蓮様の販売協力者として負けていられませんね」
「セレナさんまで!?」
「私もチョコレートを広めます♡」
「お二人とも、商売の協力はありがたいですけど、競争しすぎないでくださいね!」
二人は顔を見合わせた。
「もちろんですわ」
「ええ、もちろんです♡」
……その笑顔が、逆に不安だった。
◇
その夜。
俺はスマートフォンで、旧交易所の記録を整理していた。
佐伯一郎が残した言葉。
境界を守る商売。
そして、北方の山にあるという鍵。
画面に、新しい通知が現れた。
【過去の境界交易記録を更新】
【佐伯家・初代当主の追加記録】
『商人は、品物だけを運ぶのではない』
『その品物を必要とする者のもとへ、喜びを運ぶ』
俺は静かに読み返した。
今日、ヴェルティアはチョコレートを食べて、あんなにも喜んでくれた。
それは、ただ甘いものを食べたからではない。
知らなかった世界の味に出会ったからだ。
商売とは、そういうものなのかもしれない。
しかし、次のページには不穏な記録が残されていた。
『だが、喜びを求める者が増えすぎたとき、境界は悲鳴を上げた』
『我らは、一度すべての扉を閉じなければならなかった』
「……一郎は、何を経験したんだ?」
俺は画面を見つめた。
そのとき、外から声が響いた。
「蓮様ー!」
ヴェルティアだった。
「明日のチョコレートの販売計画を考えてまいりましたわー!」
「……もう計画を!?」
扉を開けると、彼女は分厚い書類を抱えていた。
表紙には、大きな文字でこう書かれていた。
『チョコレート販売事業計画書』
「本気すぎるだろ……!」
ヴェルティアは胸を張った。
「私は本気ですわ!」
そして、にっこり笑った。
「いつか、チョコレートをこの世界の名物にしてみせます!」
俺は思わず笑った。
「……それは、面白いかもしれませんね」
けれど、俺はまだ知らなかった。
チョコレートを広めるというヴェルティアの夢が――
やがて、佐伯家の境界を揺るがす大きな事件につながっていくことを。




