第10話 異世界商人、初めての大商い
「……あと三十分か」
佐伯蓮は、スマートフォンの画面を見つめていた。
表示されているのは、あの奇妙なカウントダウン。
【次の接続まで――00:31:42】
この数字がゼロになれば、再びカーテンの向こう側へ行ける。
そして今回は――。
「日本に戻れる」
「本当に戻れるの?」
隣に座っていたミリアが、不安そうに聞いた。
「ああ。たぶん」
「たぶん……?」
「いや、まあ……今まで戻れなかったことはないから」
「それ、安心していいの?」
「俺も今それを考えてる」
ミリアは小さくため息をついた。
その後ろでは、グレンが大量の帳簿を整理している。
「佐伯さん」
「はい?」
「今回の商売についてですが」
グレンは机の上に並べられた商品を見た。
LEDライト。
缶詰。
石鹸。
包帯。
歯ブラシ。
電池。
そしてボールペン。
「あなたが持ち込んだ品々は、すでにこの街でかなりの評判になっています」
「……そんなに?」
「ええ」
グレンは苦笑した。
「特にLEDライトと缶詰は、商人たちが奪い合う勢いです」
「奪い合うって……」
「安心してください。ちゃんと価格を決めて販売しています」
「それならよかった」
「ただし」
グレンが指を一本立てた。
「問題があります」
「問題?」
「需要が大きすぎるんです」
蓮は固まった。
「……つまり?」
「商品が足りません」
「あ」
蓮は思わず頭を抱えた。
完全に盲点だった。
日本では百円ショップに行けばいくらでも買える。
だが、この世界では違う。
一本のボールペン。
一個のLEDライト。
一つの缶詰。
それだけで珍しい商品になる。
つまり――。
「仕入れれば仕入れるほど売れる……?」
「そういうことです」
グレンは笑った。
「佐伯さん。あなたは今、商人として最も危険な状態にいます」
「危険?」
「儲かり始めて、楽しくなってくる状態です」
「……」
蓮は黙った。
否定できなかった。
正直、楽しい。
日本で百円で買ったものが、異世界では何倍、何十倍もの価値になる。
しかも、それによって人の生活まで変わっていく。
「商人って……こんなに面白いのか」
蓮が呟く。
すると。
「蓮」
ミリアが呼んだ。
「どうした?」
「それなら、もっとたくさん持ってきて」
「もちろん」
蓮は笑った。
「次は本気で仕入れてくる」
その瞬間だった。
――カチッ。
時計の秒針が進む。
スマートフォンの画面が変わった。
【接続可能時間になりました】
そして。
カーテンが、ひとりでに揺れた。
「……来た」
蓮は立ち上がった。
ゆっくりとカーテンに手をかける。
「開けるぞ」
「うん」
ミリア。
グレン。
そして少し離れた場所にいた黒い狼。
狼王も、蓮を見つめていた。
蓮がカーテンを開く。
――そこには。
見慣れた自分の部屋があった。
「……日本だ」
蓮は思わず笑った。
「帰ってきた……!」
久しぶりの日本。
見慣れた机。
見慣れたベッド。
そして――。
「スマホ……圏外じゃない」
通知が一気に入ってくる。
仕事の連絡。
広告。
ニュース。
どうでもいい通知。
そのすべてが、なぜか懐かしい。
「蓮?」
ミリアが恐る恐る部屋を覗いた。
「これが……日本?」
「ああ」
ミリアは目を丸くした。
「狭い」
「うるさい」
「でも、不思議」
ミリアは部屋を見回した。
「魔法がないのに明るい」
「電気だからな」
「水が出る」
「水道だからな」
「お湯も出る」
「給湯器だからな」
「すごい」
「……そう言われると、俺の国ってすごいのかもな」
ミリアは真剣な顔で頷いた。
「うん。すごい」
その言葉を聞いて、蓮は少しだけ誇らしくなった。
だが。
「じゃあ、仕入れに行くか」
「今から?」
「今から」
蓮は財布を確認した。
異世界で稼いだ金貨。
日本では使えない。
だが――。
異世界から持ち帰った金貨を換金する方法も、いつか考えなければならない。
今はまだ、そこまで必要ない。
蓮はスマートフォンをポケットに入れた。
「とりあえず百円ショップだ」
「百円ショップ?」
「俺たちの秘密兵器だ」
「秘密兵器……!」
ミリアの目が輝く。
その後ろで狼王が低く唸った。
「……?」
蓮が振り返る。
「どうした?」
狼王はカーテンを見つめていた。
「何かいる」
「え?」
「この向こうではない」
狼王の視線が、スマートフォンへ向く。
「お前が持つ、その石板だ」
「スマホ?」
蓮は画面を見る。
何も表示されていない。
「何もないけど」
「……今はな」
狼王は静かに言った。
その瞬間。
――ピッ。
スマートフォンが震えた。
蓮の顔から笑みが消える。
画面には、新しい表示が出ていた。
【境界接続候補を検出】
【第一接続先:日本】
【第二接続先:探索中】
蓮は息を呑んだ。
「……またこれか」
そして、その下に。
昨日まではなかった一文が表示されていた。
【第二接続先との距離――接近中】
「接近中……?」
ミリアが画面を覗き込む。
狼王も耳を立てる。
次の瞬間。
画面が一瞬だけ暗くなった。
そして――。
【第三接続の可能性を確認】
「…………は?」
蓮は固まった。
「第三……?」
カーテンの向こうには日本。
そのさらに向こうには、まだ見ぬ第二の世界。
そして――。
第三。
蓮はゆっくりとカーテンを閉めた。
「……百円ショップ行ってる場合じゃないかも」
ミリアが首を傾げる。
「どうして?」
蓮は苦笑した。
「俺たち、どうやら……」
スマートフォンを握り直す。
「世界を一つ増やすどころか、三つくらい相手にすることになりそうだ」
狼王が低く唸った。
その声はまるで――。
「それが、境界の始まりだ」
そう告げているようだった。
――こうして。
普通の会社員だった佐伯蓮は、
異世界商人になった。
だが彼はまだ知らない。
自分が始めた小さな商売が、やがて世界と世界をつなぐ巨大な交易へと発展していくことを。
そして。
その中心にある「カーテン」が、なぜ蓮を選んだのか。
その答えを知る者は――。
まだ、誰もいなかった。




