第8話 ロデムの影デート♡ 授業中のイタズラはほどほどに!
結論から言うと、その日は最悪の意味で落ち着かなかった。
朝。ホームルーム中。
ダイチの机の下の影から、そっと手が伸びてくる。
「っ!?」
柔らかい指先が、ダイチの左手の薬指をつついた。
次いで、するりと指を絡めてくる。完全に恋人つなぎである。
「ロ、ロデム!?」
「静かに。授業中です」
「その原因おまえだろ!?」
小声で抗議しても、影の中から返ってくるのは平然とした声だけだ。
「主様の鼓動、少し速い」
「速くなるに決まってる」
「嬉しいです」
「嬉しいのかよ……」
前の席の男子が振り返り、怪訝そうな顔をする。ダイチは慌てて咳払いで誤魔化した。
窓の外には、案の定ロプロスの姿。校舎上空を旋回しながら、こちらを見ている。怖い。すごく怖い。
昼休み、屋上でダイチはロデムを問い詰めた。
「何であんなことした」
「主様が落ち着いていなかったので」
「落ち着かなくさせたの、おまえだろ」
「はい」
「認めるの速いな!?」
ロデムは黒髪を揺らし、少しだけ目を伏せる。
「……でも、本当は」
「ん?」
「昨日から、影がざわついているんです」
「影が?」
「私の中の、もっと古い部分が」
いつもの無表情とは違う、曇った声だった。
「見せたいものがあります」
「それが昨日のメッセージ?」
「はい。放課後、二人で」
その“二人で”に、ダイチは少しだけ言葉を失った。
ロデムは表情を変えないまま、しかし確かに少しだけ期待した目をしていた。
「……分かった」
「デートですか」
「違う」
「そういうことにしておきます」
「するな!」
だが、放課後の校門前で待っていたのはロデムだけではなかった。
「主、どこ行くの」
「別に」
「その“別に”はだいたい嘘よね」
「うっ」
ロプロスが腕組みして立っている。
さらにベンチにはポセイドンまで座っていた。
「主様、補給食」
「何で三人とも揃ってるの!?」
「監視」
「護衛」
「同行」
三者三様にひどい。
結局、説得の末に「入り口までは一緒、途中からロデムと二人」という条件で決着した。もはや普通の高校生の放課後ではない。
向かった先は、街外れの古い商店街だった。
夕焼けに染まるアーケード。閉まりかけの総菜屋。古本屋。駄菓子屋。妙に生活感があって、ロデムのイメージには合わない場所だ。
「ここでいいのか?」
「はい。主様の匂いがたくさんする場所なので」
「情報量が気持ち悪いな?」
「褒め言葉として受け取ります」
ロデムは平然としている。
たこ焼きを半分こし、古本屋で妙な怪談本を手に取り、ゲームコーナーでUFOキャッチャーのぬいぐるみに静かに殺意を向ける。そのすべてが少しだけズレていて、でも楽しい。
やがて日が落ち、商店街の照明が灯り始めた頃。
ロデムはふいにダイチの袖を引いた。
「主様。ここから先です」
連れて行かれたのは、シャッターの下りた古びた写真館の前。
足元の影が、ゆらりと広がる。
「ちょっと待て、まさか」
「はい。影の世界へ」
「毎回ノー説明で異世界に連れてこうとするのやめてくれない!?」
しかし抗議の途中で、ダイチの身体はもう影に沈んでいた。
影の世界は、音が薄かった。
街の輪郭だけが黒と灰で再構成され、空も地面も曖昧な薄闇。
その中でロデムだけが、はっきりした形を持って立っている。
「……ここが」
「私の故郷、みたいなものです」
「みたいって」
「正確には、私が“待たされていた場所”」
その言い方に、ダイチは息を呑む。
ロデムは歩き出した。
影の街の奥。そこにはひとつの碑のようなものが立っていた。古代文字が刻まれている。
「読めるか?」
「少しだけ」
ダイチの指輪が光る。文字列が頭の中へ流れ込んだ。
――第五の継承者へ。
――おまえだけは、しもべに命令するな。
――命令は再び、同じ滅びを呼ぶ。
「……命令するな」
「主様、驚きましたか?」
「正直、かなり」
ロデムは碑に触れたまま、ぽつりと言う。
「私はずっと、“命令されるため”にここで待っていました」
「……」
「何にでもなれる。誰にでもなれる。でも、それはつまり、私自身には何もないということです」
「ロデム」
「主様が“君はどうしたい”と聞いた時、嬉しかったです。でも、怖かった」
「怖い?」
「だって、私が私のまま選んでしまったら……主様に嫌われるかもしれないから」
初めて聞く、ひどく弱い声だった。
ダイチは少し迷って、それからロデムの隣に立つ。
「ロデム」
「はい」
「僕、君の全部を分かってるわけじゃない」
「はい」
「でも、何にでもなれるから好きなんじゃない」
「……」
「ロデムだから、助けられてる」
黒い瞳が大きく見開かれた。
「主様、それは」
「姿が変わっても、言葉が少なくても、距離感が壊れてても、君が君なのは分かる」
「……」
「だから、自分のことを空っぽみたいに言うな」
しばらく、ロデムは動かなかった。
やがて彼女はゆっくりと、いつもよりずっと人間らしい仕草で、ダイチの袖をつまんだ。
「……もう少しだけ、その言葉を覚えていてもいいですか」
「覚えるっていうか、消えないけど」
「嬉しい」
その瞬間。
碑の奥の闇が、ずるりと蠢いた。
「主様、下がって!」
ロデムがダイチを庇う。
闇の底から現れたのは、黒い結晶を核にした影獣だった。ロデムに似た輪郭、でも目だけが空虚だ。
「な、何だあれ!?」
「私の残滓です。切り捨てられた、命令だけの部分」
影獣が吼え、襲いかかる。
ロデムは迎え撃つが、同質の存在同士ゆえか相殺される。決め手がない。
「主様、見ないで」
「無理だろ!」
影獣の爪がロデムの肩を裂く。黒い粒子が散る。
ダイチは反射的にその手を掴んでいた。
「ロデム!」
「っ……主様?」
同調が走る。
ロデムの孤独、恐れ、主を失う怖さが流れ込んでくる。苦しい。けれど、その中心にあったのは、確かな願いだった。
主の隣にいたい。命令じゃなく。
「だったら、選べ!」
「え?」
「君が君でいたいなら、そのために戦え!」
ロデムの瞳が揺れ、次の瞬間、影が一気に広がった。
「――はい、主様」
彼女は自分そっくりの影獣へ踏み込み、その胸の結晶核だけを正確に貫いた。
結晶は砕け、闇は静かに沈む。
静寂。
ロデムは振り返り、かすかに微笑んだ。
「今のは命令ですか」
「……半分」
「では、半分は私の意思ということにします」
そう言った彼女の頬に、ほんのり色が差している。
その時、碑の足元から、細い記録媒体のような板が現れた。ロデムが拾い上げる。
「これ、たぶん遺言の続き」
「読める?」
「はい。でも――」
ロデムが顔を曇らせる。
「主様。ヨミの杖と、あなたの指輪。やっぱり対になっています」
「対って」
「片方だけでは開かない鍵です」
ダイチが息を呑んだ、その時。
ポケットのスマホが震えた。
画面には短い文。
『遅い。
図書館で待っている。
来ないなら、こっちから行く。
――ヨミ』
ロデムが静かに目を細めた。
「主様。敵の呼び出しです」
「だな」
「行きますか?」
「……行かないと、たぶんもっと面倒だ」
ロデムは少しだけ唇を尖らせ、それでも頷いた。
「では、私も影から同行します」
「それデートの余韻ゼロになる言い方だな」
影の世界から抜けた時には、もう夜の風が冷たくなっていた。




