第7話 プールサイドの戦慄! ポセイドンとバッカスの熱血勝負
翌日。
学校はなぜか平常運転だった。
いや、校舎のガラスは前日のロプロスが割ったので一部ベニヤ板だし、プールサイドには工事用コーンが並び、教頭は朝礼で「最近の若者は元気が良すぎる」と意味不明な訓示をしていたが、それでも授業はある。日本の教育現場、たくましすぎる。
「主様、三時間目の数学は退屈です」
「授業中に影から手を出してくるなロデム」
「主、昨日の女のこと考えてるでしょ」
「ロプロス、いきなり人の顔を覗き込むな近い!」
すでに日常の密度がおかしい。
そんな中、五時間目は体育、しかもプールだった。
「……嫌な予感しかしない」
「なぜ?」
「なぜって、君たち三人が水着で同じ空間にいる時点で何か起きるだろ」
「失礼ね。起こすのはだいたいそこの海女よ」
「誰が海女」
「ポセイドンだよ」
結果から言うと、起きた。
しかも想像以上に派手に。
女子更衣室の方向で、まず一回目の爆発音。
続いて男子からのざわめき。
最後にプールの水面が、あり得ない形で盛り上がった。
「来たわね……」
「何が!?」
水柱が上がる。
その頂点に立っていたのは、ポセイドンではない。
短髪、ボーイッシュな顔立ち、大型ガントレットを両腕に装着した少女だった。
褐色気味の肌に、競技用水着の上から雑に羽織ったジャージ。どう見ても戦いに来ている。
彼女はプール中央へ着水すると、大声で叫んだ。
「古神ダイチィィィ! 出てこい!」
「何で名指し!?」
「おまえがアニキ候補か!」
「候補の意味が分からない!」
プールサイドの生徒たちは当然大混乱だが、認識制御がかかっているのか、遠目には“なんか元気な転校生が来た”くらいにしか見えていないらしい。便利なんだか怖いんだか分からない。
ポセイドンが静かに前へ出る。
「主様に大声、だめ」
「おっ、いたな青いの! てめえがポセイドンか!」
「そう」
「私はバッカス! 新生ヨミ帝国戦闘主任! 今日こそ決着つけるぞ!」
「決着?」
「この前の借りを返す!」
ダイチは首を傾げた。
「この前っていつ」
「主様が知らなくていい」
「知らない間に因縁できてる!?」
バッカスは拳を鳴らし、やたら真っ直ぐな目でポセイドンを睨む。
「勝負だ! 力比べでも、泳ぎでも、何でもいい!」
「いいよ」
「軽っ!?」
ロプロスが額を押さえる。
「馬鹿と馬鹿が会話すると早いわね」
「ロデム、これ止めるべき?」
「主様。たぶん無理です」
「そうだろうな……!」
こうして、学校のプールでなぜかポセイドンVSバッカスの五番勝負が始まった。
第一戦、自由形二十五メートル。
結果――引き分け。
というか二人とも蹴り出した瞬間に水面が爆発し、プールの端から端まで一秒で着いた。
第二戦、水中綱引き。
結果――綱が千切れ、プールの排水設備が死ぬ。
第三戦、ビート板遠投。
結果――ビート板が校舎を越えて飛んでいき、どこかの民家の庭へ消える。
「体育の授業でやるスケールじゃないんだよ!」
ダイチが叫んだところで、第四戦が始まった。
今度は“主への忠誠アピール対決”らしい。意味が分からない。
「私は主様を守れる」
「私はアニキを背負って走れる!」
「主様は私が育てる」
「アニキは私の筋トレ仲間にする!」
「やめろ二人とも! 僕を勝手に将来設計に入れるな!」
周囲は爆笑、というか唖然としていた。
ただ、そのバカ騒ぎの裏で、ダイチは気づいていた。バッカスの右腕ガントレットが、微かに黒く脈打っていることに。
嫌な予感。
「ポセイドン、右腕気をつけろ!」
「え?」
次の瞬間だった。
バッカスのガントレットが暴走し、プールの水を丸ごと吸い上げる勢いで光を放つ。
「うおおおおっ!? 何だこれ、止まんねえ!」
「主様、下がって」
「バッカス、その腕――」
ポセイドンが前へ出た。
巨大な水壁が形成される。だがガントレットから放たれた衝撃波は、その水壁を真正面から叩き割った。
バッカス本人も目を見開く。
「ち、違っ、これ私じゃ――!」
ダイチは迷わず飛び出した。
暴走するバッカスは敵だ。けれど、今の声は戦いたい人間の声じゃなかった。
「ロプロス! 上から逃がせ!」
「分かってる!」
「ロデム、周りの生徒を!」
「了解」
「ポセイドン、真正面から受けるな! いなして!」
ポセイドンは一瞬だけ驚いた顔をして、それから頷いた。
「……うん」
彼女は壁ではなく、流れを作った。
真正面で受け止める代わりに、水の渦で衝撃を逸らす。さっきまでなら“守るために止める”を選んだだろう。だが今は、ダイチの言葉を受けて“受け流す”を選んだ。
暴走出力が空へ逃げる。
その隙にダイチはプールサイドを蹴り、バッカスの目の前まで走り込んだ。
「落ち着け!」
「来るなアニキ候補! 危ねえ!」
「候補じゃなくて古神ダイチだ!」
とっさに、近くの自販機で買っておいたスポーツドリンクをバッカスの胸元へ押しつける。
「え」
「水分足りてないと余計に暴走する!」
「そ、そんな理由で!?」
「あと腹減ってるだろ!」
「何で分かる!」
その間抜けなやり取りの一瞬が、ガントレットの制御を揺らした。
バッカスの出力が落ちる。
ポセイドンがすかさず背後に回り、肩を掴んで水中へ引き倒した。ざばあっ、と大きな水音。光が消える。
静寂。
バッカスは水面から顔を出し、ぜえぜえと息をつきながら、ダイチを見た。
「……何なんだよ、おまえ」
「それ、僕も最近ずっと思ってる」
「敵なのに、飲み物くれるのか」
「死にそうだったから」
「……変な奴だな」
バッカスはしばらく呆然としたあと、ぼそっと呟いた。
「……アニキ」
「ん?」
「いや、何でもねえ!」
そのまま彼女は顔を真っ赤にして、プールサイドから飛び退いた。
「き、今日はこのへんで勘弁してやる! 次はちゃんと勝負だからな!」
「何しに来たんだよ本当に!」
「借りを作りに来たんじゃねえし!」
そう叫んでバッカスは去っていった。
残されたのは、半壊したプール設備と、呆然とするダイチたちだけだ。
だが、去り際に彼女のガントレットから落ちた小さな欠片を、ロデムが影で拾っていた。
「主様」
「それ……」
「黒い結晶の微片です」
「やっぱりか」
ポセイドンが濡れた髪を払う。
「バッカス、たぶん自分で知らない。中に混ざってる」
「つまり敵側にも黒い結晶が入り込んでるってことか」
「うん」
ダイチはプールの水面を見つめた。
さっきの暴走は、ただの戦闘じゃない。誰かが、あるいは何かが、少しずつ人間と兵器の境界へ入り込んでいる。
そしてその夜。
ダイチのスマホに、一通の短いメッセージが届く。
『助けてもらった借り、今度返す。
でも次は正面から殴る。
――バッカス』
その文面に苦笑した直後、もう一通。
『主様。明日、影の世界へご案内します。
見せるべきものがあります。
――ロデム』
最後に、同時刻、知らない番号から一言だけ。
『図書館、来なさい。
話がある。
――ヨミ』
ダイチは天井を仰いだ。
「……休ませてくれないのか、この世界」




