第4話 悪の総帥、購買の焼きそばパンに敗北する
「……入る?」
ダイチがそう言ったのは、もはや反射だった。
玄関先で倒れそうになっている少女を見捨てられるほど、彼は合理的ではない。というか合理的だったら、そもそも影から出てくる美少女三人を家に上げたりしていない。
しかし、その一言は家の中にいた三人の逆鱗に触れた。
「主様」
「ダイチ」
「主」
三方向から圧が来る。ロデムは静かに黒いし、ポセイドンは無言で重いし、ロプロスは口角が笑っているのに目が笑っていない。怖い。
対する玄関先の少女は、ふらつきながらも胸を張った。
「ふ、ふん。施しなんて受けないわ。私は新生ヨミ帝国総帥、ヨミ! 世界を支配する女よ!」
「世界を支配する前に血糖値が心配なんだけど」
「うるさい! 貴様は少し黙りなさい!」
そう言った瞬間、彼女の腹がまた鳴った。しかも今度は長い。非常に長い。沈黙が痛い。
ダイチは言った。
「焼きそばパンならあるけど」
「…………」
「食べる?」
「…………」
「いらないなら僕が――」
「よこしなさい!」
即落ちだった。
五分後、ヨミはリビングの隅で焼きそばパンを両手持ちし、ものすごい勢いで食べていた。
「落ち着いて。喉詰まる」
「詰まらない! これはあくまで敵情視察の一環だから!」
「敵情視察でマヨネーズついてるぞ」
「っ!?」
慌てて口元を拭う仕草が妙に可愛くて、ダイチは危うく笑いそうになる。だが笑ったらたぶん殺される。三人にも、ヨミにも。
ロプロスが腕組みしながら鼻を鳴らした。
「情けない総帥ね」
「な、何ですって!?」
「だってそうでしょ。敵の家でパン食べてる時点で威厳ゼロよ」
「これは屈辱を呑んでいるのよ!」
「パンも呑んでるけど」
「うるさい!」
ポセイドンが首を傾げる。
「総帥なのに細い。もっと食べたほうがいい」
「余計なお世話よ!」
「育成不足」
「育成って何なのよ!」
ロデムだけは、じっとヨミを見ていた。
「……主様」
「ん?」
「彼女の杖、指輪と同系統反応があります」
「やっぱり?」
「聞こえてるんだけど!?」
ヨミがパンを持ったまま身を乗り出す。
「そうよ。これは古代ヨミの正統継承杖! 貴様のような半端者の指輪とは格が違うわ!」
「いやパン持ちながら言われても」
「そ、それとこれとは別問題!」
怒鳴った勢いでパン屑が飛ぶ。ロデムが即座に影で受け止めた。妙なところで有能だ。
ダイチは改めてヨミを観察した。黒髪、気の強い目、年は自分とそう変わらない。ゴスロリめいた装いは世界征服を名乗るにはだいぶ趣味が尖っているが、似合っているのが悔しい。だが一番気になるのは、その目の奥だった。
妙に疲れている。
気丈に振る舞っているけれど、張りつめた糸みたいな危うさがある。
「……何よ」
「いや」
「じろじろ見るな、変態」
「いきなり認定早いな!?」
するとヨミはふんと顔を背けた。
「貴様みたいなのが継承者だなんて、信じられないだけよ」
「僕だって信じてない」
「じゃあ指輪をよこしなさい」
「嫌だよ怖いから! 外れないし!」
その時、ヨミの通信端末らしきものがぴぴっと鳴った。彼女は嫌そうに取り出す。画面を見るなり、顔色が変わった。
「……は?」
「どうしたの」
「別にどうもしてないわ」
「声が絶望してるけど」
「してない!」
だが端末からは、容赦ない大音量の女声が漏れてきた。
『ヨミ様、ごめーん☆』
「ギャンブル……!」
その声には、軽さと面倒くささが同居していた。
『作戦資金なんだけどさ、ちょーっと増やそうと思って回したら、逆に全部なくなっちゃった♡』
「は?」
『あ、でも安心して。残金はあるの』
「本当!?」
『三百七十二円』
「安心できるかぁぁぁぁ!」
ヨミの絶叫がリビングに響く。ロプロスが吹き出し、ポセイドンは真顔で「三百円で何人育つ?」と呟き、ロデムは「帝国運営に必要な最低予算を下回っています」と淡々と報告した。
「笑うなあああっ!」
ヨミは顔を真っ赤にして端末へ怒鳴る。
「貴方またパチンコに突っ込んだの!?」
『だって激熱演出来てたしー? あれ外すとか店が悪くない?』
「店のせいにするな! というか今日は塔攻略のための資金だったでしょうが!」
『ごめんって。でもねヨミ様、収穫もあったんだよ』
「収穫?」
『例のバベル反応、ホールの深部にある。あれ、ただの台じゃない。たぶん古代暗号機』
「……何ですって」
空気が変わった。
ダイチも、ロデムたちも同時に顔を上げる。やはり北のパチンコ店で起きていた反応は偶然ではなかった。
ヨミは苦々しい顔で舌打ちした。
「ギャンブル、詳細を送れ。あと勝手な行動は――」
『それは善処する♡』
「善処で済むかぁ!」
通信が切れる。
しばし沈黙。
ダイチが恐る恐る口を開く。
「……その、何ていうか、大変だな」
「他人事みたいに言うな! 元はと言えば貴様が現れたせいで――」
「でも君、もともと大変そうだったよ」
「っ」
ヨミが言葉に詰まる。図星らしい。
ダイチは少しだけ声を落とした。
「世界征服とか継承とか、でかい話はまだよく分からない。でもさ」
「……」
「お腹空いたまま戦うの、しんどいだろ」
「……貴様は」
「ん?」
「どうして敵にそんなことを言うのよ」
その問いは、怒りというより困惑に近かった。ロデムもロプロスもポセイドンも、黙って成り行きを見ている。
ダイチは少し考えてから答えた。
「敵かどうかより先に、今お腹空いてる人だから」
「……意味が分からない」
「僕もたまに自分で分からない」
ヨミはしばらく黙っていたが、やがてふいっと顔を背けた。
「焼きそばパン一個で懐柔できると思わないことね」
「懐柔っていうか、救急処置?」
「うるさい!」
けれどその声は、さっきまでより少しだけ弱かった。
その夜、ヨミは「今日は見逃してあげる」と言い残して帰っていった。三人は当然不満そうだったが、少なくとも今この場で戦うよりはマシだろう。
玄関のドアが閉まった後、ロプロスが腕を組む。
「主、ああいうのに弱そう」
「どういうの」
「放っておけない感じの女」
「今さらだろう。私たち全員そうです」
「ロデムが自覚的すぎる!」
「主様はだめ。拾う」
「犬猫扱いしないで!?」
ポセイドンが真顔で頷いた。
「でも主様は拾う」
「否定できないのが悔しい……」
夜が更け、どうにか布団へ潜り込んでも、頭の中は静かにならなかった。ヨミの疲れた目。ギャンブルという厄介そうな女。北のホールにある古代暗号機。黒い結晶。そして自分の指輪。
眠りに落ちかけた時、指輪が微かに光る。
断片的な声が流れ込んできた。
――双つの血。
――片割れの鍵。
――感情相関、観測中。
ぞっとして目を開いた、その瞬間。
スマホが震えた。知らない番号からのメッセージ。
『坊や、ヨミ様にパンあげたんだって?
ずるいなあ。
今度はアタシにも、何かちょうだいよ♡』
添付されていたのは、ネオン煌めくパチンコホールの前で、金髪の女がウインクしている自撮り画像だった。
文末にはもう一行。
『あ、あとね。
今日アタシが打ってた台、
たぶん"生きてる"よ』




