第3話 母性が強すぎる最終兵器は、だいたい家を壊す
その日の放課後、ダイチは人生について真面目に考えていた。
具体的には、なぜ自分の左右に美少女が一人ずつ立っているのか、という点についてである。
「主様、帰宅経路に不審者二名」
「夕方の商店街に二名で済むの逆に平和だな」
「影に沈めますか?」
「沈めないで」
「主、あの青果店のおばさん、さっきからあんたのこと見てる」
「たぶんロプロスの羽が目立ちすぎるせいだよ!」
ロデムは距離が近いし、ロプロスは距離が遠い。遠いくせに気配は一番うるさい。絶妙に落ち着かない。
北の娯楽街で起きた異常反応については、ひとまず保留になった。ロデム曰く、今は第三のしもべの起動反応のほうが優先度が高いらしい。海岸部に続く旧工業地帯、その地下で巨大なエネルギーが脈動しているという。
「つまり今からそこに行くの?」
「はい」
「晩ご飯は?」
「必要ですか?」
「必要だよ! 僕は人間なんだよ!」
ロプロスが呆れたように肩をすくめた。
「ほんと、弱いわね」
「君たちが強すぎるんだよ」
「褒めても何も出ないわよ」
「褒めてない!」
言い合いながら海沿いへ出ると、景色が一変した。人通りの多い市街地が終わり、潮風の匂いが強くなる。古びた倉庫群の向こうで、海が重く光っていた。
その中心に、ぽっかりと空いた巨大な穴がある。
「何だ、あれ」
「旧海底研究施設の搬入口です」
「いや規模おかしいだろ」
「古代文明ですから」
「その一言、便利すぎるな!」
ロデムの案内で地下通路へ入る。内部は驚くほど綺麗だった。青白い非常灯、濡れた金属床、壁面を走る見知らぬ文字。どこか病院にも、宇宙船にも似ている。
進むにつれて、空気が震えてきた。重低音みたいな鼓動。施設そのものが呼吸しているようだった。
最後の隔壁が開いた瞬間、ダイチは言葉を失った。
そこは巨大な円形空間だった。天井は見えないほど高く、中央には海水を満たした円柱状の槽がある。槽の中で、青い光に包まれた人影が浮かんでいた。
長い青髪。白い肌。閉じた瞼。両腕を胸の前で組み、眠るように静かだ。
「……綺麗」
「第三のしもべ、ポセイドン」
「すごい名前だな」
「主、見惚れてる?」
「今そこ!?」
ロプロスが露骨に不機嫌になる。だがその瞬間、ダイチの指輪が強く発光した。円柱の海水が沸騰したみたいに泡立ち、中央の少女がゆっくりと目を開ける。
深い青の瞳だった。
見た瞬間、何かに掴まれたみたいに息が止まる。感情というより、本能の層で「この人は強い」と理解してしまうような目だ。
次いで、海水槽が内側から砕け散った。
「うわっ!」
水の塊が津波みたいに押し寄せる。ロデムが影の壁で受け止め、ロプロスが風圧で流れを逸らす。二人の中心から、青髪の少女――ポセイドンがゆっくり着地した。
素足。白い簡素な衣。けれど、その纏う圧力だけで、部屋の空気が一段重くなる。
彼女はダイチの前までまっすぐ歩いてきて、じっと顔を見た。
「……主様」
「え、あ、はい?」
「小さい」
「第一声それ!?」
ポセイドンは真剣な顔で腕を広げた。
「まずは抱擁が必要」
「えっ」
「主様は起動直後で栄養が足りていない」
「そんな犬猫みたいな――うわっ!?」
有無を言わさず抱きしめられた。
柔らかい。いや、そういう問題ではない。とにかく包容力が物理で襲ってくる。顔面が胸元に埋まり、視界が真っ白になった。潮の匂いと石鹸みたいな清潔な香りが混ざって、脳がバグる。
「すぅ……主様、安心の匂い」
「ちょっ、近い近い近い!」
「主様は私が育てる」
「育てる!? 高校生なんだけど僕!」
「関係ない」
ロプロスが即座にキレた。
「離れなさいよ巨乳重火力!」
「騒音」
「誰が騒音よ!」
「主様がびっくりしている」
「それはあんたも原因だから!」
ロデムはいつもの無表情で、しかしほんの少しだけ圧が強い。
「ポセイドン。接触時間が長すぎます」
「必要な保温」
「私にも必要です」
「待て待て待て。保温の奪い合いするな!」
三人になってわかった。二人でもしんどかったのに、三人はもう災害である。
どうにか施設を出て家へ帰り着いた頃には、ダイチは精神的にぐったりしていた。だが、本当の地獄はそこからだった。
「今日からここが主様の巣?」
「巣って言うな。家だよ」
「狭いわね」
「いきなり失礼だなロプロス!」
「でも落ち着く」
「ポセイドンが褒めてるのかどうか分かりにくい!」
築二十年の平凡な一軒家が、超兵器三人にはいささか手狭なのは事実だ。特にポセイドンは長身な上に、存在感がでかい。リビングにいるだけで密度が上がる。
「主様、食事は?」
「冷蔵庫に昨日のカレーが……」
「ダメ」
ポセイドンが即答した。
「育成に必要なのは温かい手料理」
「いや自分で温めれば」
「任せて」
「えっ」
嫌な予感しかしない。
三分後、キッチンから轟音がした。
どごん、と家全体が揺れる。ダイチが飛び込むと、コンロは沈黙し、鍋は天井に刺さり、換気扇がなぜか床に落ちていた。中心でポセイドンが真顔のまま立っている。
「……料理とは難しい」
「難しいで済む被害じゃない!」
「火力を少し上げた」
「どこが少しだ!」
ロプロスが腹を抱えて笑う。
「っ、ふふ……あははは! 何よそれ、海の女のくせに台所一つ制圧できないの?」
「黙れ空飛ぶだけの鳥」
「鳥じゃない!」
「二人ともやめて!」
ロデムが無言でエプロンを拾い上げ、煤を払った。
「主様。今後、調理担当は私が」
「できるの?」
「レシピ通りなら」
「ありがたい……!」
わちゃわちゃと騒がしいその夜、不思議とダイチは少しだけ笑っていた。意味は分からない。状況は最悪だ。でも、この連中は妙に放っておけない。兵器とか継承者とか以前に、みんな少しずつ不器用なのだ。
夕食は結局、近所のスーパーの惣菜になった。ポセイドンは落ち込んだ顔で「次は爆破しない」と宣言し、ロプロスは「基準が低すぎる」と呆れ、ロデムはきっちり箸を並べた。
その最中だった。
ポセイドンが突然、箸を止めた。
「……主様」
「ん?」
「古い記録が、混線する」
顔色が変わっている。青い瞳の焦点が揺れ、握った湯呑みにひびが入る。
「おい、大丈夫か?」
「海。炎。叫び声。守れなかった。私は――」
その瞬間、ダイチの指輪が反応した。
視界がつながる。
海上都市が燃えていた。空から光が降り、海は赤く染まっている。若い兵士たち。巨大な塔。そして、その塔を見上げる一人の少女。黒髪、ゴスロリめいた装束、手には杖。
見覚えがある。いや、まだ直接会っていないのに、なぜか分かってしまう。
「……ヨミ?」
映像の中の少女は、泣いていた。
だが次の瞬間、記憶は途切れた。ポセイドンががくりと前のめりになる。ダイチは慌てて支えた。
「ポセイドン!」
「平気。少し、昔を見た」
「今のは何だよ」
「分からない。でも、私はあの戦争を知っている」
「戦争?」
「古代ヨミとの戦争」
ロプロスの顔からも笑みが消える。ロデムは静かに目を伏せた。
「……記憶封鎖領域が緩み始めています」
「封鎖って」
「主様に開示されていない記録です」
ダイチは唇を噛んだ。笑っていられる日常の裏側に、確実に重い何かがある。その"何か"を、自分はこれから知っていくのだろう。
と、その時。
インターホンが鳴った。
夜九時過ぎ。こんな時間に来客なんて珍しい。ダイチは首をひねりながら玄関へ向かった。
「はーい」
ドアを開ける。
そこには、黒いフリルの多い服を着た少女が立っていた。黒髪。蒼白な顔。大きな杖。目つきだけはやたら鋭いくせに、腹の虫がぐう、と情けなく鳴っている。
「……」
「……」
「……バビル5世、ね」
「えっと」
「覚悟なさい。私は貴様を倒しに来た」
「その前に聞いていい?」
「何よ」
「お腹、空いてる?」
少女の顔がみるみる赤くなる。
「そ、そんなわけないでしょう! これは威嚇よ!」
「腹の音で?」
「……っ」
彼女は杖を握りしめ、しかし一歩も踏み込めず、ただダイチの背後から漂ってくる惣菜の匂いにふらついていた。
どう考えても、世界の命運を賭けた対決の空気ではなかった。




