第9話「去る者、戻る者 」
風は止まらない。
人も止まらない。
同じ場所に火を置いても、
同じ人が囲むとは限らない。
去る日もある。
戻る日もある。
大事なのは、
離れないことじゃない。
もう一度、
選べることだ。
朝。
荷車の脇で、一人の男が荷物をまとめていた。
工具箱。
水袋。
擦り切れた毛布。
隊商の修理屋だった。
アリアは水桶を抱えたまま立ち止まる。
男は紐を締める。
近くを通った老人が声を掛けた。
「行くのか」
「行く」
「そうか」
終わりだった。
引き留める者はいない。
理由を聞く者もいない。
男は荷物を背負い、そのまま別の道へ歩いていった。
荷車は変わらず準備を続ける。
誰も気にしていないように見えた。
アリアだけが振り返った。
出発後。
砂混じりの風が吹く。
隊列はゆっくり進む。
アリアはしばらく考えたあと、隣を歩く真白を見る。
「……行ってしまいました」
「そうだな」
「止めないんですか」
真白は前を見たまま歩く。
「行くなら行く」
それだけだった。
答えになっていない。
だが真白はそれ以上言わない。
アリアも聞かなかった。
昼。
交易地へ着く。
荷車。
天幕。
運搬獣。
人の声。
匂い。
様々な隊商が集まっている。
荷物を運んでいたアリアは見覚えのある背中を見つけた。
朝の男だった。
別の隊商で車輪を修理している。
男は顔を上げる。
「ああ」
手を振った。
アリアは近寄る。
「移ったんですか」
「そうだな」
男は工具を回した。
「しばらくこっちだ」
「戻らないんですか」
「戻るかもな」
軽い口調だった。
まるで明日の天気の話みたいに。
夕方。
交易地を出る頃。
隊列の後ろで声がした。
「場所あるか」
振り向く。
朝の男だった。
工具箱を抱えている。
老人が振り返る。
「あるぞ」
終わりだった。
男は荷物を積む。
誰も驚かない。
誰も説明を求めない。
男は元の場所へ座った。
最初からそこにいたみたいに。
夜。
焚火が揺れる。
鍋の湯気が上がる。
男は隣でスープを飲んでいる。
昼は別の隊商にいた人間だ。
今はここにいる。
アリアは火を見つめる。
理解できない。
だが誰も困っていない。
誰も怒っていない。
火は変わらず燃えている。
しばらくして真白が木片を火へ放り込んだ。
ぱちり、と音が鳴る。
アリアは小さく言った。
「変です」
真白は火を見る。
「そうか」
それだけだった。
翌朝。
別の隊商が出発準備をしていた。
昨日会った男もいる。
荷車へ荷物を積んでいる。
男はアリアを見つける。
「来るか?」
冗談みたいに言った。
アリアは立ち止まる。
行ける。
本当に。
誰も止めない。
この隊商を離れてもいい。
別の場所へ行ってもいい。
戻ってきてもいい。
たぶん。
ここでは。
そういうことが許される。
男は急かさない。
真白も何も言わない。
見ているだけ。
風が吹く。
天幕が揺れる。
獣が鼻を鳴らす。
少しだけ考えた。
行ける。
でも。
アリアは首を振った。
「行きません」
男は笑った。
「そうか」
それで終わった。
隊列が動き始める。
車輪が軋む。
砂が舞う。
アリアも歩き出す。
誰かに決められたからではない。
残れと言われたからでもない。
行けた。
それでも残った。
だから。
その一歩は少しだけ軽かった。
第9話「去る者、戻る者 」了
去ることは終わりじゃない。
戻ることも始まりじゃない。
道は一本ではなく、
人も一つではない。
選び直してもいい。
立ち止まってもいい。
また歩いてもいい。
火は人を縛らない。
ただ静かに燃えている。
誰かが戻ってくる夜のために。




