第5話「火を運ぶ者」
火は、残る。
誰かが守れば、残る。
運ばれなければ、消える。
手に取るか、離すか。
歩くか、預けるか。
火は答えない。
ただ、消えるか残るかだけだ。
だから、選ぶ。
風が、抜けた。
音が遅れる。
砂が先に動き、影があとを追う。
アリアは止まらない。
足を出す。
境目を越える。
——音が戻る。
砂を踏む音。
風。
自分の呼吸。
そして、匂い。
革。
乾いた草。
獣の体温。
それに混じる、わずかな熱。
アリアは顔を上げる。
遠くに、動く影。
列。
荷。
人。
車輪。
鈴の音が、微かに揺れる。
アリアは歩く。
足は重い。
喉が乾く。
それでも止まらない。
影が近づく。
相手も止まる。
護衛の一人が前へ出る。
「誰だ」
短い声。
黒いコートの男が、少しだけ前へ出る。
「通る」
それだけ。
護衛は目を細める。
視線がアリアに落ちる。
小さい。
汚れている。
荷を持っている。
「……子供か」
答えはない。
沈黙。
後ろから足音。
女が出てくる。
腕に古い傷。
視線は鋭い。
アリアの足を見る。
靴。
砂。
歩き方。
「歩いてきたのか」
誰も答えない。
風だけが通る。
「水、やれ」
後ろの男が革袋を持ってくる。
アリアはそれを見る。
手を出しかける。
止める。
少しだけ視線を横へ動かす。
黒いコートは、少し離れている。
何も言わない。
見ているだけだ。
アリアは視線を戻す。
革袋を受け取る。
口をつける。
少しだけ飲む。
喉が痛む。
それでも飲む。
返す。
「……ありがとう」
男が少し笑う。
「全部飲んでもいいのに」
アリアは首を振る。
「残す」
それ以上は言わない。
隊の奥。
小さな鉄箱。
灰の中に、赤がある。
老女が座っている。
指で灰を寄せる。
火が、息をする。
アリアは見ている。
老女が椀を差し出す。
湯。
香草。
「持てるか」
アリアは受け取る。
熱い。
指が震える。
落とさない。
少しだけ飲む。
苦い。
温かい。
体の奥に落ちる。
隊長の女が言う。
「ヴァルダへ戻る。足は遅い」
沈黙。
そして、
「乗るか」
荷車。
布。
荷。
火。
進んでいるもの。
アリアは見る。
乗れば、歩かなくていい。
足は止まる。
けれど、
進むことは止まらない。
アリアは自分の足を見る。
砂。
擦れ。
重さ。
ここまでの全部。
「……歩く」
短い声。
誰も否定しない。
隊は動き出す。
アリアは横を歩く。
車輪が砂を噛む。
火が揺れる。
子供が荷の間から顔を出す。
「なんで乗らないの」
アリアは少し考える。
「歩いてるから」
子供は首を傾げる。
理解していない。
それでいい。
歩く。
足がもつれる。
一度。
二度。
手をつく。
砂が刺さる。
立つ。
また歩く。
誰も急がせない。
誰も助けない。
それでも、止まらない。
火が揺れる。
箱の中。
灰の下。
小さい赤。
運ばれている。
歩いていない。
それでも進んでいる。
消えないために。
アリアはそれを見る。
長く。
見続ける。
隊長がもう一度言う。
「乗るか」
同じ声。
同じ問い。
アリアは答えない。
歩く。
足が止まる。
動かない。
息が浅い。
火を見る。
揺れている。
消えそうで、消えない。
誰かが守っている。
運んでいる。
それでも、
自分で燃えている。
アリアは白布を握る。
布の下の、小さな重み。
壊れた金属鳥が、わずかに鳴る。
アリアは息を吐く。
「……乗る」
小さい声。
だが、はっきりしている。
若い男が手を出す。
アリアは見る。
その手を見る。
すぐには取らない。
荷車の縁に手をかける。
足をかける。
滑る。
もう一度。
力を入れる。
足りない。
横から手が添えられる。
引き上げない。
落ちないように、支えるだけ。
アリアは自分で上がる。
荷台に膝をつく。
息を吐く。
火の近くに座る。
熱が、少しだけ届く。
老女が灰を寄せる。
「そこだ」
アリアは頷く。
子供が隣に座る。
干した果実を割る。
半分を差し出す。
アリアは受け取る。
少しだけ、持つ。
すぐには食べない。
それから口に入れる。
甘い。
荷車が動く。
揺れる。
進む。
アリアは火を見る。
揺れている。
消えない。
運ばれている。
黒いコートは、少し離れて歩いている。
近づかない。
離れすぎない。
呼ばれない。
声もない。
ただ、いる。
アリアは一度だけ見る。
何も起きない。
だから、視線を戻す。
火を見る。
その赤だけを見る。
荷車は進む。
荒野の向こうへ。
境目は、もう見えない。
戻る線も、ない。
けれど、
火はある。
運ばれている。
アリアは手を膝に置く。
何も握らない。
ただ、座る。
揺れの中で、
次にどこへ行くかを、
まだ決めていないまま。
第5話「火を運ぶ者」了
歩いた。
そして、預けた。
どちらも、選んだ。
火は、一人では残らない。
けれど、他人に渡しても消えない。
持つことと、運ばせることは違う。
だが、どちらも進むための形だ。
このとき、まだ名前はない。
関係もない。
ただ、
同じ方向へ進んでいるだけだ。




