第4話「境界の風」
戻れる場所は、ある。
手を伸ばせば届く距離に。
それでも、人は離れる。
理由があるとは限らない。
ただ、選ぶ。
戻るか。
進むか。
その一歩で、
それまでの場所が遠くなる。
風は、何も残さない。
だからこそ——
選んだことだけが残る。
光が、差していた。
細い隙間から、白く。
湿った空気が、そこで途切れる。
アリアは、止まる。
その先を見ている。
「……出るか」
後ろで、真白の声。
アリアは答えない。
一歩、前に出る。
光に触れる。
風。
乾いている。
地下の匂いが、消える。
外だった。
砂。
ひび割れた地面。
遠くまで、何もない。
音が残らない。
足音が、すぐ消える。
アリアは振り返る。
黒い穴。
地下道。
影が、まだある。
戻れる距離。
一瞬、見る。
視線を切る。
真白が外に出る。
何も言わない。
アリアは空を見る。
雲は薄い。
流れが速い。
風が横から吹く。
体が流れる。
喉に触れる。
乾いている。
水袋を持つ。
軽い。
少しだけ傾ける。
底で音が遅れる。
止まる。
――分けたときの重さ。
手から離れた感触。
袋を閉じる。
飲まない。
真白は見ている。
何も言わない。
アリアは歩き出す。
数歩。
止まる。
どこへ行くか。
振り返る。
「……どっち」
真白はわずかに視線を動かす。
「……俺の答えを使うな」
短い。
アリアは黙る。
前を見る。
左。
右。
同じ。
だが、違う。
風。
左は強い。
右は、少し弱い。
砂の流れも違う。
アリアは、右へ歩く。
理由は言わない。
真白が後ろにつく。
一定の距離。
歩く。
時間が消える。
喉が乾く。
水袋に触れる。
開ける。
止まる。
少しだけ飲む。
全部は飲まない。
閉じる。
呼吸が浅い。
歩く。
風が変わる。
少し冷たい。
音が遠い。
足音が、遅れて返る。
アリアは止まる。
地面を見る。
影。
わずかに遅れる。
顔を上げる。
遠く。
地平が歪んでいる。
揺れ。
熱ではない。
違う。
風が、そこから来ている。
逆向きに。
アリアは、じっと見る。
一歩、出る。
止まる。
後ろを見る。
地下道。
まだ見える。
戻れる。
喉が焼ける。
水袋が軽い。
進めば、分からない。
戻れば、同じが続く。
「……どうする」
小さく。
真白は答えない。
アリアは目を閉じる。
一瞬。
音が消える。
呼吸が止まる。
足が、動かない。
拒む。
開く。
前を見る。
後ろを、もう一度だけ見る。
地下道。
視線を切る。
「……行く」
息と一緒に出る。
一歩。
踏み出す。
風が強くなる。
砂が舞う。
後ろの音が消える。
振り返らない。
地下道は、もう見えない。
戻る線が消える。
それでも、止まらない。
歪みが近づく。
空がずれる。
影が遅れる。
世界が合わない。
アリアは止まる。
あと一歩。
入るか。
やめるか。
風が止まる。
静か。
アリアは、動かない。
第4話「境界の風」了
戻れる場所は、あった。
確かに、そこにあった。
だが、振り返らなかった。
それが、切るということだ。
何を得るかは、まだ分からない。
何を失ったかも、分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
戻らないと決めた一歩は、消えない。
境界は、まだ越えていない。
だが——
もう、同じ場所には戻らない。




