第3話「分ける水」
喉が乾くと、世界は狭くなる。
遠くは消える。
先は途切れる。
残るのは、今だけ。
足もとだけ。
一口の水。
それは、次の一歩になる。
けれど。
その一口が、
誰のものかで、道は変わる。
握るか。
手放すか。
選ぶのは、いつも同じ場所。
地下の空気は、重い。
冷たい。
湿っている。
それなのに、喉は乾く。
ぽたり。
……音が遠い。
ぽたり。
間が、長い。
アリアは、唇を舐める。
ざらつく。
舌の奥が、貼りつく。
歩く。
暗い道を。
靴の裏に、水の感触がない。
昨日はあった浅い水は、もう消えている。
乾いている。
小さく、水筒を振る。
音がしない。
軽い。
残りは、わずか。
喉が鳴る。
前の黒い背は、変わらない速さで進む。
振り返らない。
アリアは、歩く。
一歩。
もう一歩。
膝の布が擦れる。
痛い。
でも。
喉が、もっと痛い。
やがて、真白が止まる。
壁の割れ目。
その底に、わずかな水。
指先ほど。
透明。
動かない。
真白はしゃがむ。
布で、そっと水を吸う。
ぴち。
ぴち。
音が、短い。
それだけで終わる。
水袋へ移す。
ほとんど、増えていない。
立つ。
差し出す。
「水だ。」
短い声。
アリアは見る。
量。
重さ。
分かる。
足りない。
一人分でも、足りない。
喉が、強く鳴る。
飲みたい。
今すぐ。
全部。
手が、動く。
水袋を受け取る。
冷たい。
指先が震える。
口元へ運ぶ。
匂い。
冷たい水。
喉が開く。
そのまま、流し込めばいい。
楽になる。
身体が、そう言う。
――止まる。
止めたのは、手だけ。
理由は、浮かばない。
息が荒い。
喉が焼ける。
それでも。
水袋が、わずかに下がる。
黒い影が、そこにある。
見ている。
何も言わない。
ただ、そこにある。
アリアは、水袋を見る。
小さい。
少なすぎる。
これを飲めば。
楽になる。
でも。
足りない。
どちらにしても。
足りない。
息を吸う。
細い。
途切れる。
「……分けます。」
かすれた声。
水袋を差し出す。
両手で。
真白を見る。
真白は、水袋を見る。
それから、アリアを見る。
「いいのか。」
短い問い。
喉が鳴る。
身体が、拒む。
それでも。
「……はい。」
小さく、動く。
真白は、水袋を受け取る。
しばらく、持つ。
それから。
ほんのわずかだけ、口をつける。
一口。
すぐに離す。
返す。
「飲め。」
それだけ。
アリアは受け取る。
残りを見る。
最初から少ない。
さらに、減っている。
はっきり分かる。
足りない。
それでも。
口をつける。
冷たい。
喉へ落ちる。
身体が震える。
足りない。
全然、足りない。
もっと欲しい。
全部、飲みたい。
――止まる。
口を離す。
水袋を握る。
指に力が入る。
残りが、わずかに揺れる。
喉が痛い。
さっきより、痛い。
中途半端だから。
それでも。
蓋を閉める。
残る。
わずかに。
真白が言う。
「行く。」
アリアは、動く。
歩く。
一歩。
重い。
もう一歩。
足が滑る。
支える。
また一歩。
身体が言う。
止まれ。
喉が言う。
飲め。
全部。
――そのまま、足が出る。
暗い道。
先は見えない。
ぽたり。
音がする。
さっきより、近い。
ぽたり。
空気が、わずかに動く。
湿りの中に、違う匂いが混ざる。
草。
乾いたもの。
触れられないほど、薄い。
足が出る。
また。
第3話「分ける水」了
足りないとき、
人は選ぶ。
持てば、残る。
手放せば、減る。
分けるということは、
少しだけ、自分を削ること。
それでも。
手は、開くことがある。
理由は、残らない。
意味も、すぐには出ない。
ただ。
削れた分だけ、
足は重くなる。
それでも、止まらないときがある。
それが、選んだということ。




