第24話「直す理由」
壊れたものは、前と同じ形には戻らないことがある。
なくなったものがあり、残ったものがあり、
別の場所から来るものもある。それでも手を離さないなら。
直すという言葉の形も、少しずつ変わっていく。
朝の水汲みを終えると、アリアは集落の外れへ向かった。
REGULUSは、昨日と同じ場所に横たわっていた。
潰れていた頭部は外してある。
片腕はない。
裂けた装甲も、運ぶためにかなり切り離した。
残った胴体と脚部だけが、太い木材を組んだ台の上に載せられている。
アリアは腹部へ潜った。
小さな灯りを掛ける。
薄暗い内部に、砂が光った。
「また入ってる」
昨日掻き出したばかりだった。
刷毛で払う。
布で拭く。
配線を一本持ち上げる。
切れている。
その隣も。
何に繋がっていたのか分からないものもある。
固着した金具へ工具を掛けた。
回らない。
力を入れる。
「……っ」
滑った。
手の甲をぶつける。
「痛っ」
外から笑い声がした。
「朝から何やってんだ」
回収屋の男が覗いている。
「直してる」
「直ってるか?」
アリアは手元を見る。
昨日とほとんど変わっていない。
「……途中」
男は笑いながら去っていった。
アリアは工具を握り直した。
直す。
そう決めた。
何をすれば直るのかは、まだ分からない。
それでも手を止めなかった。
昼前。
低い音が空を渡った。
アリアが腹部から顔を出す。
集落の人たちも手を止めていた。
荒野の向こうから、一機の機体が飛んでくる。
背部と脚部の推進機構を使い、身体をわずかに前へ傾けている。
近づくほど、人の形がはっきりした。
「SKY-RIGだ」
誰かが言った。
機体は集落の外で速度を落とした。
身体を起こす。
両脚を下ろす。
砂が大きく舞った。
着地。
一歩。
二歩。
重い脚が地面へ沈む。
推進音が止まった。
アリアはもうREGULUSから出ていた。
近くまで行く。
ヴァルダ製の人型機体。
装甲の色は揃っていない。
右肩と左肩で形が違う。
脚部には何度も溶接した跡。
片側の推進器だけ外装が新しい。
腰には工具。
背部には部品を収めた収納部。
綺麗な機体ではない。
それでも、空からここまで来た。
胸部が開いた。
男が降りてくる。
地面へ着くなり、機体の脚を叩いた。
一度。
少し場所を変えて、もう一度。
音を聞く。
「……まだいけるな」
アリアがすぐ横から言った。
「これ、あなたの?」
男が見る。
「そうだ」
「飛ぶんだ」
「見てただろ」
「うん」
アリアは肩を見る。
「ここ、違う」
「何が」
「左右」
男も見る。
「替えた」
「壊れた?」
「ああ」
「これも?」
脚部を指す。
「壊れた」
「こっちは?」
推進器。
「それも」
アリアは機体を見上げた。
「同じのに直さないの?」
「同じのがあればな」
「ない時は?」
男は工具箱を外した。
「付くようにする」
アリアの目が、もう一度SKY-RIGへ戻った。
手を伸ばしかける。
「触るな」
止まった。
「まだ触ってない」
「触る手だった」
アリアは手を引っ込めた。
男が歩き出す。
「ジン」
「え?」
「名前」
アリアも少し遅れて答えた。
「アリア」
「そうか」
それだけだった。
ジンが整備士なのは、すぐに分かった。
集落へ入ると、止まっていた揚水機を開けた。
次に荷車。
その次は発電機。
頼まれれば触る。
音を聞く。
外す。
削る。
違う部品を入れる。
動かす。
動けば、それ以上は触らない。
アリアはREGULUSへ戻ったあとも、ときどきそちらを見ていた。
夕方。
ジンが集落の外れへ歩いてきた。
REGULUSの前で止まる。
「……でかいな」
アリアが腹部から顔を出した。
「REGULUSだな」
「うん」
ジンが近づく。
外された装甲を見る。
腕部の基部を見る。
胴体の裂け目を見る。
「どこで拾った」
「荒野」
「これを?」
「うん」
「よく持ってきたな」
「みんなで引っ張った」
ジンは腹部を覗き込んだ。
「誰が触った」
「私」
「他は」
「手伝ってもらった」
「直すのか」
「うん」
アリアは迷わなかった。
ジンは腹部へ半身を入れた。
一本の線を持ち上げる。
離す。
機器の外殻を叩く。
奥を見る。
場所を変える。
しばらくして、身体を起こした。
「無理だな」
アリアの眉が寄った。
「まだ何もしてない」
「見れば分かるところはある」
「動かないって決まってない」
「動くかどうかじゃない」
ジンは横たわった巨体を見た。
「REGULUSには戻らん」
アリアは黙った。
「頭がない」
「うん」
「腕もない」
「うん」
「主制御もかなり死んでる」
「全部?」
「全部とは言ってない」
ジンは腹部の奥を指した。
「生きてるところはある」
「じゃあ直せる」
「同じ機体には戻らない」
アリアはREGULUSを見る。
ジンが立つ。
「俺なら使えるところを抜く」
「ばらすの?」
「使えるなら使う」
「これを?」
「置いとくよりはな」
それだけ言って、ジンは戻っていった。
夜。
食事を終え、器を返した。
真白は少し離れた場所にいた。
火の明かりが届くぎりぎりのところ。
膝を立てて座り、湯の入った器を持っている。
アリアが近くを通る。
「師匠」
真白が顔を上げる。
「どうした?」
「まだやってくる」
一度だけ、視線が集落の外れへ向いた。
「…そうか」
「うん」
アリアはそのまま歩いた。
真白は何も聞かなかった。
REGULUSの腹部へ戻る。
灯りをつける。
昼間、ジンが触っていた場所を見る。
一本の線を持つ。
元の場所へ戻す。
先は切れている。
別の線。
焦げている。
奥の部品を外す。
床へ置く。
割れた基板。
まだ回る軸。
一つずつ触った。
駄目なもの。
残りそうなもの。
いつの間にか、二つの山ができていた。
アリアはその間に座った。
REGULUSを見る。
元へ戻すために残していた。
けれど。
元にあったものの多くが、もうない。
片腕も。
頭も。
いくつもの部品も。
アリアはしばらく動かなかった。
翌朝。
ジンはSKY-RIGの脚部装甲を外していた。
アリアが近づく。
「ジン」
「何だ」
「REGULUS」
「昨日見た」
「もっと見て」
「金取るぞ」
「ない」
「じゃあ駄目だな」
ジンは作業へ戻った。
アリアは動かない。
少し経つ。
「……何してる」
「待ってる」
「何を」
「それ終わるの」
ジンが顔を出した。
「暇なのか」
「水も運んだ」
「そうか」
「稽古も終わった」
「そうか」
「だから見て」
ジンはアリアを見る。
少しして、ため息をついた。
「後でな」
「うん」
昼過ぎ。
二人でREGULUSの腹部へ潜った。
ジンが灯りを当てる。
「ここは駄目」
アリアが印をつける。
「ここも」
印。
「これは?」
「残せる」
別の印。
「こっちは?」
「開けないと分からん」
「開ける」
「壊れるかもな」
アリアが少し止まる。
「開ける」
ジンは工具を渡した。
「なら、お前がやれ」
留め具を外す。
固い。
角度を変える。
もう一度。
外れた。
その奥に、小さな球体が収まっていた。
両手で抱えられるほどの大きさ。
表面には傷がある。
砂も入り込んでいる。
それでも、他の機器より継ぎ目が少なかった。
「何これ」
「補助AIだな」
「何するの」
「中開ければ使えるかわかる」
ジンが固定具を外す。
アリアが球体を受け取った。
ずしりと重い。
外へ持ち出す。
布の上へ置く。
外殻を開く。
細かな配線。
基板。
小さな機器。
ジンが横から覗いた。
「だいぶ死んでる」
「全部?」
「いや」
アリアが中を見る。
「じゃあ残す」
ジンは肩をすくめた。
「好きにしろ」
球体は捨てる側には置かなかった。
その後も、作業は続いた。
元の場所へ部品を戻す。
繋ぐ。
先が死んでいる。
外す。
別の線を試す。
また駄目。
それを何度か繰り返して、アリアはようやく手を止めた。
ある日。
ジンが別の部品を持ってきた。
REGULUSのものではない。
「何それ」
「変換器」
「どこの?」
「作業機」
「使える?」
「加工すれば」
アリアは部品を持った。
次にREGULUSを見る。
少し離れた場所には、ジンのSKY-RIG。
違う形の肩。
交換された脚部。
補修された推進器。
それでも飛ぶ。
アリアが腹部へ戻った。
空いている場所を見る。
「ここ」
ジンも覗く。
「入らんぞ」
「削る」
「どっちを」
アリアはREGULUS側を指した。
「こっち」
ジンが少し黙った。
「そこ削ったら、もう戻せない」
アリアの手が止まった。
外された装甲。
なくなった腕。
空いた頭部の接続部。
手の中の、まったく違う部品。
「戻らないんでしょ」
「ああ」
「じゃあいい」
アリアは工具を持った。
ジンが見る。
「直すんじゃなかったのか」
「直すよ」
「REGULUSじゃなくなる」
「うん」
「それでも?」
アリアは腹部の空いた場所に手を置いた。
「動けるようにする」
ジンは少しだけ目を細めた。
「違うの繋いで?」
「うん」
「なんで」
アリアは少し考えた。
砂から出ていた大きな手を思い出す。
荒野に置き去りにされていた機体。
「まだ残ってるから」
ジンは返事をしなかった。
工具箱を開く。
「そこ、指3本分くらいに広げろ」
アリアが顔を上げた。
「手伝うの?」
「全部割られると面倒だ」
「直してくれる?」
「お前がやるんだろ」
工具を一本渡される。
アリアが受け取った。
金属粉が落ちる。
削る。
変換器を入れる。
合わない。
外す。
もう一度。
今度は入った。
アリアが両手で押さえる。
「重い」
「離すな」
「ジン持って」
「お前が決めた」
「決めたら軽くなる?」
「ならん」
「じゃあ持って」
ジンが少し笑った。
片側を支えた。
二人で固定する。
金属音が、夕方の集落へ響いた。
作業を終えたあと。
アリアはSKY-RIGの足元へ座っていた。
ジンは工具を拭いている。
「ジン」
「何」
「どこから来たの」
「シルフ=レイ」
「知らない」
「だろうな」
「どこ?」
ジンは空を見る。
「今は西」
アリアも空を見た。
「今は?」
「ああ」
「動くの?」
「動く」
「何が」
「シルフ=レイ」
「街が?」
「街が」
アリアは少し黙った。
「地面を?」
ジンが首を振った。
上を指す。
「空だ」
アリアの顔が上がる。
雲。
青い空。
その先には何も見えない。
「……街が浮いてるの?」
「ああ」
「落ちない?」
「落ちてたら帰れん」
「大きい?」
「でかい」
「集落より?」
「比べるな」
アリアは少し笑った。
また空を見る。
「見たい」
口から出た。
ジンがアリアを見る。
「そうか」
それだけだった。
翌日。
二人は球体を開いていた。
ジンが細い部品を外す。
「これは駄目」
アリアが捨てる側へ。
「これは残る」
残す側へ。
「こっちは?」
「微妙だな」
「残す」
「場所を食う」
「まだ分からない」
「じゃあ残せ」
球体の中身が少しずつ減っていく。
壊れたものを外す。
残るものだけを残す。
アリアが中を覗いた。
「ここ、空いた」
「ああ」
「別のもの入れられる?」
「物による」
「REGULUSのは?」
ジンが少し考える。
「繋がるのはあるかもな」
「やる?」
「まだ早い」
「なんで」
「何を残すか決まってない」
アリアは球体を見る。
「じゃあ、先に見る」
ジンは何も言わなかった。
それから作業場の景色が変わった。
REGULUSの部品だけではなくなった。
古い作業機の部品。
発電機の残り。
車両用の配線。
ジンがSKY-RIGに積んでいた余剰部品。
どれも違う。
規格も。
形も。
大きさも。
合わない。
削る。
長い。
切る。
短い。
継ぐ。
失敗する。
外す。
また考える。
アリアは以前よりたくさん間違えた。
それでも、前より手は止まらなくなった。
ある夕方。
ガレスとの稽古を終えて戻ると、ジンがREGULUSの腹部を眺めていた。
工具は持っていない。
「何してるの」
「見てた」
「やらないの?」
「お前がいないだろ」
「やってていいよ」
「使うのは俺じゃない」
ジンは腹部の横に置かれた二つの部品を指した。
「こっちは軽い」
片方。
「こっちは丈夫だ」
もう片方。
「両方は入らん」
アリアが二つを見る。
「どっちがいい?」
「知らん」
「ジンの方が分かるでしょ」
「乗るの俺じゃないしな」
ジンは工具箱を持った。
「決まったら呼べ」
そのままSKY-RIGの方へ歩いていった。
アリアは二つの部品を見る。
軽い方を持つ。
置く。
重い方を持つ。
また置く。
腹部を見る。
何度か繰り返す。
最後に、重い方を持ち上げた。
「……こっち」
誰も聞いていない。
それでも口にした。
夜。
作業場にはアリア一人だった。
灯りが揺れている。
REGULUSの古い系統。
新しく取り付けた変換器。
まだ繋がっていない。
アリアは一本の配線を持った。
長い。
測る。
切る。
被覆を剥く。
端子を付ける。
片方へ差す。
もう片方。
入らない。
抜く。
角度を変える。
もう一度。
小さく、
かちり、
と鳴った。
それだけ。
電源は入っていない。
何も動かない。
球体も静かなまま。
REGULUSだったものは、前よりさらに元の形から遠ざかっていた。
名前もない。
完成もしていない。
アリアは少し離れて見る。
捨てたもの。
残したもの。
違う場所から来たもの。
その間を、
一本の線が通っている。
アリアはしばらくそれを見ていた。
やがて手を伸ばす。
次の一本を取った。
第24話「直す理由」了
失った形には、もう戻れない。
それでも、手の中に残るものがある。
一本。
また一本。
まだ名前のない明日は、違うもの同士を繋ぎながら、
少しずつ形になっていく。




