表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
正解圏外 – The Outside of the Answer – 灰歴外伝|ヴァルダ旅記  作者: 咲凪すず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/29

第19話「灰の刃」後編

静寂だった。

炭火の爆ぜる音も。

呼吸も。

衣擦れも。

何も聞こえない。

音だけではない。

時間まで止まったようだった。

アリアは柄を握ったまま、目を閉じない。

逃げるなら今だった。

手を離せばいい。

このまま引き返しても、生きて帰れるかもしれない。

分からない。

分からないままでも、離れることはできた。

けれど。

その手は緩まなかった。

もう一度、力を込める。

石の奥で、小さな音がした。

乾いた音だった。

長い眠りから誰かが寝返りを打ったような、ごく小さな音。

刃が、少しだけ浮く。

その瞬間。

止まっていた世界が動き出した。

轟音。

壁が裂ける。

天井から石が降る。

床が揺れ、灰が舞い上がる。

アリアは反射的に刃を抱き寄せた。

同時に、鋭い痛みが左肩を貫く。

崩れた岩の破片が肩から腕へ深く裂いた。

熱い。

遅れて血が流れ出す。

手が滑る。

刃を落としそうになる。

離せば助かる。

両手が自由になれば、もっと早く走れる。

その一瞬だけ。

本当に一瞬だけ。

迷った。

赤い雫が刃へ落ちる。

灰色の刃は、何も応えない。

光らない。

震えない。

選ばない。

ただ重い。

アリアは歯を食いしばった。

「……持っていく」

自分へ言い聞かせるように、小さく呟く。

右腕だけで刃を抱え、左腕を押さえながら火の入った容器を拾う。

二つとも重い。

どちらか一つなら、もっと楽だった。

それでも両方を持つ。

それが、自分で決めたことだった。

広間の奥から低い唸りが響く。

石が崩れる。

ここに留まれば埋まる。

アリアは走った。

細い通路へ飛び込む。

後ろで岩が崩れ落ちる音が続く。

さっきまで何もなかった壁が裂け、砂が滝のように流れ落ちる。

肩の痛みで息が乱れる。

血が袖を濡らし、柄まで赤く染めた。

それでも足は止めない。

やがて。

遠くに、小さな光が見えた。

夕日の色だった。

冷たい遺跡の空気に、乾いた荒野の風が混じる。

アリアは最後の岩を乗り越え、外へ転がり出た。

夕焼けだった。

赤い空が広がっている。

荒野の風が頬を撫でた。

「アリア!」

誰かの声が聞こえる。

商隊の人たちが駆け寄ってくる。

「生きてた!」

「肩を貸せ!」

「傷が深い!」

誰かが火の容器を受け取り、誰かが肩へ布を押し当てる。

血が白い布へ滲んでいく。

アリアは息を整えながら、右手だけは離さなかった。

灰色の刃を抱えたまま。

「その剣……」

誰かが口にしかける。

「遺跡にあった。」

アリアはそれだけ答えた。

大人たちは顔を見合わせる。

古い剣。

その程度の認識だった。

傷の方が大事だった。

薬草を煎じる者。

包帯を巻く者。

荷車を準備する者。

皆が動き始める。

その輪の外から、一人だけ静かに歩いてくる足音があった。

真白だった。

彼はアリアの前で立ち止まる。

まず、肩を見る。

裂けた布。

滲む血。

包帯。

その傷を一度だけ静かに見つめる。

それから視線を落とす。

灰色の刃。

欠けた刃先。

磨かれていない柄。

血の付いた刀身。

その瞬間だけ。

真白の瞳が、ほんのわずかに止まった。

知っていた。

それが何であるかを。

しかし

真白は何も言わない。

説明しない。

問いもしない。

ただ静かな沈黙だけが流れる。

やがて。

真白は、ごく小さく頷いた。

その重さを、自分で持つと決めた少女へ向けた頷きだった。

「行こう。」

それだけ言って歩き出す。

アリアは小さく頷く。

立ち上がる。

肩は痛む。

足も重い。

それでも灰色の刃だけは、自分で抱えた。

誰にも渡さない。

誰にも預けない。

理由は分からない。

でも。

持っていくと決めたから。

夕暮れの商隊は、ゆっくりと荒野を歩き始める。

その列の後ろを、アリアも歩く。

左肩には消えない傷。

右手には灰色の刃。

そのどちらも、この日、自分で選んだものだった。


第19話「灰の刃」了

剣は、語らなかった。

古い世界も。

沈んだ文明も。

何一つ教えなかった。

それでも。

一人の少女は、その重さを持つと決めた。

選択は、答えを与えない。

ただ静かに。

その人の歩く道を変えていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ