第15話「答えのない道」
道は続いている。
見える場所まで。
見えない場所まで。
人は地図を描く。
境界を引く。
名前を付ける。
けれど本当に大切なものは、
その先にある。
まだ選ばれていない明日。
風だけが先に通り過ぎていく。
だから人は歩く。
答えを持たないまま。
春の終わりだった。
草原の色が少しだけ濃くなっている。
朝露を含んだ風が頬を撫でた。
商隊はいつもより慌ただしかった。
荷車の荷を積み替える音。
縄を引く音。
木箱を運ぶ声。
金属が触れ合う乾いた音。
アリアは水袋を抱えながら、その様子を見ていた。
理由は知っている。
今日で隊が分かれる。
東へ向かう隊。
北へ向かう隊。
昼には別々の道を進む。
草原の先で、二本の道が左右へ伸びていた。
どちらも遠くまで続いている。
どちらが正しいのかは誰も知らない。
隊長達は地図を広げていた。
東。
交易都市。
安全。
補給。
北。
外縁。
荒野。
不確定。
議論は長く続いた。
アリアは少し離れた場所で聞いていた。
「東なら冬の備えができる」
「北の様子も見なきゃならん」
「今年は風向きが違う」
「水場も見ておきたい」
誰も怒らない。
誰も押し付けない。
ただ考えている。
ただ選ぼうとしている。
それがヴァルダだった。
結局。
商隊は二つに分かれた。
半数が東。
半数が北。
荷車も分ける。
保存食も分ける。
水も分ける。
火種も分ける。
アリアはその様子を見ていた。
分ける。
減る。
失う。
でも無くなるわけじゃない。
誰かが持っていく。
そしてまたどこかで使われる。
アリアは黙ってその様子を見ていた。
「アリア」
呼ばれて振り返る。
荷運びの女性だった。
いつも果物を分けてくれる人。
「こっち来な」
近付くと、小さな袋を渡された。
乾燥果実だった。
甘い匂いがする。
「持ってきな」
「え?」
「北は食い物が少ない」
アリアは袋を見る。
嬉しかった。
でも。
女性の荷車を見る。
東へ向かう側だった。
もう一緒には旅をしない。
同じ焚火も囲まない。
同じ道も歩かない。
胸の奥が少しだけ重くなる。
女性は笑った。
「そんな顔するな」
アリアは袋を抱えた。
「……ありがとう」
「元気でな」
アリアは頷いた。
女性はそれ以上何も言わなかった。
夕方。
焚火は二つになっていた。
空席も増えている。
見慣れた場所なのに、
少し広く感じた。
黒猫が膝へ飛び乗る。
温かい。
アリアはその背を撫でた。
火の向こうに真白が座っている。
いつものように静かだった。
「師匠」
「ん?」
「師匠はどっち行くの?」
真白は火を見たまま答えた。
「北」
アリアは少し安心した。
だが次の言葉が続く。
「だからといって、お前も北とは限らない」
アリアは顔を上げる。
真白は変わらず火を見ている。
「東へ行くなら、それでもいい」
それだけだった。
答えは置かれない。
決めるのは自分だった。
夜。
皆が眠り始める。
アリアだけが起きていた。
焚火の前に座る。
火は小さい。
明日の朝には消える火だった。
東へ行く人達。
北へ行く人達。
明日になれば別々の道を歩く。
少しだけ寂しい。
黒猫が膝の上で丸くなる。
アリアはその背を撫でた。
温もりが伝わってくる。
火の向こうへ人影が座る。
真白だった。
何も言わない。
ただ火を見ている。
しばらく風の音だけが続いた。
草が揺れる。
火が小さく鳴る。
遠くで誰かが笑っていた。
荷車の軋む音も聞こえる。
旅はまだ終わっていない。
明日も続く。
だから。
選ばなければならない。
アリアは火を見つめた。
東へ行けば安全だ。
知っている人もいる。
食べ物もある。
北へ行けば分からない。
何があるのか。
誰がいるのか。
何が起きるのか。
分からない。
でも。
それでも。
アリアは口を開いた。
「私、北へ行く」
真白は驚かない。
頷きもしない。
褒めもしない。
ただ聞いている。
それから静かに言った。
「そうか」
それだけだった。
けれど。
なぜだろう。
少しだけ嬉しかった。
火が揺れる。
赤い光が瞳に映る。
もう迷ってはいなかった。
翌朝。
東へ向かう隊が先に出発する。
荷運びの女性が手を振った。
アリアも手を振り返す。
やがて荷車は小さくなり。
地平線の向こうへ消えた。
残った者達が荷をまとめる。
北へ向かう準備が始まる。
風が吹いた。
草原が揺れる。
アリアは一度だけ東を見た。
そして前を見る。
「行こう」
誰かに言われたからじゃない。
正しいからでもない。
自分で決めたからだ。
荷車が軋む。
人が歩き出す。
風が吹く。
少女も歩き出す。
答えのない道へ。
自分で選んだ道へ。
第15話「答えのない道」了
風は道を選ばない。
ただ吹いていく。
人は違う。
立ち止まる。
迷う。
振り返る。
それでも選ぶ。
どこへ向かうのか。
誰と歩くのか。
何を手放すのか。
その答えは誰も持っていない。
だから人は旅をする。
火を絶やさないために。
問いを残すために。
そして明日もまた。
自分の足で歩くために。




