第13話「壊れた車輪」
風は残らない。
火も消える。
水も流れていく。
けれど。
壊れたものだけは、
時々そこに残る。
欠けたまま。
歪んだまま。
傷を抱えたまま。
それでも進めるのかと、
道は静かに問い続ける。
朝。
車輪が割れた。
乾いた音だった。
誰かが叫ぶより先に、
商隊全体が止まった。
積荷を積んだ大きな荷車。
後輪が真っ二つになっている。
荷台が傾き、
積まれていた木箱が地面へ転がった。
隊長が舌打ちする。
「……まずいな」
誰も返事をしない。
分かっていた。
次の補給地まで三日。
車輪を失えば進めない。
進めなければ水が足りない。
アリアは割れた木片を拾った。
断面は白い。
乾いている。
古い傷が何本も走っていた。
昨日壊れたわけじゃない。
ずっと前から傷んでいた。
ただ、
まだ回れていただけだった。
昼前。
商隊の中央で話し合いが始まる。
荷を捨てるか。
残るか。
荷を捨てれば進める。
残れば修理できるかもしれない。
誰かが木箱を指差した。
冬用の毛布だった。
別の誰かは保存食を見た。
薬箱もある。
どれも大事だった。
どれも誰かが必要としている。
隊長は言う。
「全部は運べねえ」
沈黙が落ちた。
荷物ではない。
冬を捨てる。
食事を捨てる。
生きるための何かを捨てる。
そういう話だった。
アリアは輪から離れ、
壊れた車輪の前にしゃがんだ。
指先で割れ目をなぞる。
欠けている。
歪んでいる。
もう元には戻らない。
ふと。
母のことを思い出した。
思い出しただけだった。
言葉にはしない。
誰にも言わない。
ただ、
指だけが止まった。
少し離れた岩陰。
真白が座っている。
相変わらず何も言わない。
アリアは立ち上がった。
聞こうと思えば聞けた。
どうするのがいい?
何が正しい?
でも足は向かなかった。
代わりに、
もう一度車輪を見る。
そして考える。
捨てる。
残る。
どちらもある。
なら。
まだ試していないことが一つある。
「直す」
アリアが言った。
周囲が振り返る。
隊長が眉を上げた。
「お前が?」
「うん」
笑う者もいた。
九歳だ。
当然だった。
アリアは笑わない。
「失敗するぞ」
隊長。
「うん」
「じゃあ何でやる」
アリアは少しだけ考えた。
それから言う。
「捨てる前に試せるから」
風が吹いた。
誰も笑わなかった。
午後。
商隊中が動き始める。
古い荷箱。
折れた支柱。
使わない柵。
木片。
縄。
金具。
集められるものを集める。
綺麗な材料はない。
全部が継ぎ接ぎだ。
修理工の老人が隣へ座る。
木を削りながら言った。
「丸く作ろうとするな」
アリアが見上げる。
「転がればいい」
老人は続ける。
「綺麗じゃなくていい」
削り屑が風で飛んだ。
「進めるなら、それでいい」
アリアは頷いた。
何となく分かった。
完璧じゃなくてもいい。
前に進めるなら。
夕方。
車輪が完成する。
歪んでいた。
継ぎ目だらけだった。
見栄えは悪い。
新品には見えない。
誰の目にも分かった。
それでも取り付ける。
獣に綱を繋ぐ。
荷車が動く。
ギシ。
ギシ。
不安な音。
全員が見守る。
車輪が一回転する。
二回転する。
三回転する。
止まらない。
歓声が上がった。
誰かが肩を叩く。
誰かが笑う。
アリアも少しだけ笑った。
完全には直っていない。
また壊れるかもしれない。
でも。
今日は進める。
それで良かった。
夜。
焚火が小さく燃えていた。
皆が寝静まった後。
アリアは一人で荷車のところへ戻る。
月明かりが差している。
修理した車輪を見上げた。
歪んでいる。
傷もある。
継ぎ目も見える。
綺麗じゃない。
でも回った。
今日。
ちゃんと回った。
アリアはそっと手を伸ばした。
木の表面を撫でる。
ざらついている。
温かくはない。
それでも、
少しだけ安心した。
何も言わない。
言葉はいらなかった。
しばらくそうして、
静かに手を離す。
そして寝床へ戻った。
翌朝。
商隊は出発する。
車輪は軋みながら回る。
昨日より少しだけ重そうだった。
それでも回る。
荷車は進む。
道も続く。
アリアは後ろを振り返る。
昨日止まった場所。
そこにはもう誰もいない。
残っているのは、
車輪の跡だけだった。
壊れたまま終わることもできた。
捨てることもできた。
諦めることもできた。
でも選ばなかった。
だから今、
道は続いている。
アリアは前を見る。
遠く。
まだ見えない次の場所へ。
そして、
また一歩を選んだ。
第13話「壊れた車輪 」了
壊れたものは、
元には戻らない。
欠けた場所は残る。
傷も消えない。
けれど。
傷があることと、
進めないことは同じじゃない。
歪なまま回る車輪がある。
継ぎ接ぎのまま続く道がある。
人もきっと同じだ。
壊れたあとに終わるのではなく、
壊れたあとに何を選ぶのか。
その先に、
次の景色はあるのだと思う。




