第三幕《選び続ける旅》第11話「残る足跡」
風は足跡を消す。
雨も消す。
人の記憶も薄れていく。
けれど、
歩かなかった道は残らない。
残るのは、
選んで進んだ道だけだ。
遠くへ行った人も。
ここに残った人も。
同じ空の下で、
今日も足跡を刻んでいる。
朝。
まだ陽が低い。
野営地の外れで、アリアはしゃがみ込んでいた。
砂の上。
小さな獣の足跡が続いている。
昨夜のものだろう。
四本足。
途中で岩陰へ消えている。
アリアは指でその跡をなぞった。
どこへ行ったんだろう。
考えていると、背後で布の擦れる音がした。
「起きてたのか」
真白だった。
「うん」
アリアは立ち上がる。
「これ」
足元を指差す。
「足跡」
「そうだな」
「どこ行ったんだろ」
真白は少しだけ足跡を見た。
「本人しか知らない」
それだけ言って歩いていく。
アリアは小さく息を吐いた。
相変わらずだった。
聞いても答えはくれない。
けれど最近は分かる。
答えがないんじゃない。
自分で考えろと言っているのだ。
たぶん。
昼。
隊商は荒野を進んでいた。
風は弱い。
歩きやすい日だった。
アリアは水袋を抱えて歩く。
その横へロドが並ぶ。
十三歳。
隊商の中では年上の方だった。
腰には古びた笛がぶら下がっている。
割れ目を革紐で巻いて補修したものだ。
いつも持ち歩いていた。
アリアはそれを見た。
「まだ持ってるんだ」
「当たり前だろ」
ロドは笛を叩いた。
「壊れてるのに」
「だからだよ」
意味が分からない。
ロドは笑った。
そして前を向く。
「次の集落で俺、抜けるから」
アリアは思わず足を止めた。
「え?」
「東へ行く」
「なんで」
「行きたいから」
即答だった。
アリアは黙る。
ロドは続ける。
「向こうの隊商に知り合いがいる」
「戻るの?」
「さあ」
「戻らない?」
「さあ」
まただ。
みんなそう言う。
決めていない。
分からない。
その言葉を平気で使う。
アリアにはまだ少し難しい。
「でも」
ロドが笛を見た。
「持ってく」
「重いよ」
「知ってる」
「壊れてるし」
「知ってる」
それでもロドは腰に戻した。
「旅した証拠だからな」
そう言って笑う。
アリアは何も返せなかった。
夕方。
野営地。
焚火の火が揺れていた。
鍋から湯気が上がる。
誰かの笑い声。
獣の寝息。
いつもと同じ夜。
なのに少しだけ違う。
アリアは一人で岩に腰掛けていた。
砂地には昼の足跡が残っている。
風で崩れかけている。
それを見ていると、
ふいに昔を思い出した。
小さな部屋。
薄暗い灯り。
優しい声。
伸ばされた手。
そして、
もう二度と帰らない背中。
胸の奥が少しだけ痛む。
ほんの一瞬だった。
「何を見てる」
真白が来た。
「足跡」
真白も隣へ立つ。
アリアは少し迷った。
それでも聞く。
「ロド、行くんだって」
「そうか」
「止めなくていいのかな」
火が弾けた。
沈黙。
真白はすぐには答えない。
やがて言った。
「本人はどうしたい」
「行きたいんだと思う」
「なら行く」
「でも」
「戻りたければ戻る」
それだけ。
やっぱり答えになっていない。
でも。
アリアは砂を見た。
消えかけた足跡。
風が吹く。
少しずつ薄くなる。
それでも完全には消えない。
「……行ったことは残るんだね」
真白は何も言わない。
アリアは自分で続きを考えた。
いなくなっても。
離れても。
会えなくなっても。
歩いた道は消えない。
だから人は行けるのかもしれない。
翌朝。
分岐路。
北へ向かう道。
東へ向かう道。
ロドは荷物を背負っていた。
「じゃあな」
「うん」
短い別れだった。
ロドは歩き出す。
振り返らない。
東へ。
少しずつ遠ざかる。
やがて小さくなり、
地平線の向こうへ消えた。
アリアは最後まで見送った。
足元を見る。
砂の上。
新しい足跡。
東へ続いている。
風が吹いても、
まだ消えない。
アリアはしゃがみ込んだ。
指でそっと触れる。
それから立ち上がった。
「どうする」
隊商の大人が聞く。
北へ進むか。
残るか。
小さな選択。
けれど、
自分で決める選択。
アリアは空を見上げた。
そして答える。
「行く」
誰かの代わりじゃない。
正しいからでもない。
ただ、
自分で決めた。
アリアは北へ歩き出した。
砂の上に、
新しい足跡が残る。
ロドの足跡とは違う方向へ。
けれど同じように。
風が吹く。
それでも足跡は残った。
まだ少しだけ。
第11話「残る足跡」了
去る人がいる。
残る人がいる。
戻る人もいる。
戻らない人もいる。
それでも、
歩いた道はなくならない。
選んだこともなくならない。
今日の足跡は、
明日の地図にはならない。
けれど、
確かにそこにあった。
だから人はまた歩く。
次の問いへ向かって。




