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第31話:記憶の改竄

 四ツよつや かいが都市に戻ったのは、日が暮れかけた頃だった。


 ゲートをくぐり、高効率居住区の舗装路に足を踏み入れた瞬間、強烈な違和感が彼を襲った。 あまりにも、「普通」すぎるのだ。 信号は青に変わり、ドローンは静かに飛び交い、人々は『アルシオーネ』越しに談笑しながら家路についている。 まるで、れんなど最初からいなかったかのように。


「……確かめなきゃいけない」


 海は、泥で汚れたコートの襟を立て、早足で歩き出した。 蓮の痕跡を探さなければならない。 誰か一人でもいい。あいつが「人間」として生きていたことを、覚えている者がいるはずだ。


 海が向かったのは、ハイブ・タワーだった。 かつて蓮が君臨した場所。 45階。プロジェクトルーム。 ドアが開くと、そこはすでに「修復」されていた。 瓦礫の山と化していたオフィスは、何事もなかったかのように白く清潔な空間に戻り、新しいデスクと、新しいスタッフたちで埋め尽くされている。


「あの、すみません」


 海は、近くにいた若い男性社員に声をかけた。 彼は怪訝そうな顔で海を見た。薄汚れた服装の海は、この空間における異物でしかない。


相葉あいば れんさんのことを、知っていますか?」


 その瞬間。 社員が装着していた『アルシオーネ』のインジケーターが、チカチカと紫色に点滅した。 彼の瞳孔がキュッと収縮し、表情から感情が抜け落ちて「無」になる。 データの検索、照合、そして――記憶の修正パッチ


「……アイバ?」


 数秒後、社員の顔に「納得」の色が戻った。


「ああ、前のチーフですか」


「そうです。彼がここで何をしようとしたか、覚えていますか?」


「ええ、まあ」


 社員は肩をすくめた。


「大規模な『システム障害バグ』を起こした人ですよね。おかげで昨日は大変でしたよ。復旧作業で残業させられましたから」


 淡々とした口調。そこには、かつて彼に向けられていた熱狂も、恐怖も残っていない。 ただの「処理済みの不具合報告書」を読み上げているような声。


「それだけですか? 彼が……150点を目指して、命を削っていた姿を見ていたはずでしょう?」


「150点?」


 再び、紫の点滅。 社員は眉をひそめ、こめかみを押さえた。


「うっ……。何を言ってるんですか? そんな非効率なこと、ハルシオンは推奨していませんよ。……ああ、そういえば」


 彼は、埋め込まれた記憶を再生するように言った。


「彼、過労でメンタルをやられてたみたいですね。AIのカウンセリングを拒否して、一人でブツブツ言ってたりして。……かわいそうに。やっぱり、人間が無理に考えようとするとロクなことになりませんね」


 海は、言葉を失った。 違う。蓮は狂っていたわけじゃない。誰よりも鮮明に、未来を見ていたんだ。 だが、彼らの脳内では、蓮の情熱も野心も、「メンタルヘルス不全による暴走」という、安全で無害なラベルに書き換えられている。


「……もういいです」


 海は背を向けた。 これ以上聞いていられなかった。 彼らにとって蓮は、もう人間ではない。削除された「ウイルス」に過ぎないのだ。


 ハイブ・タワーを出た海は、行き場を失って街頭に立った。 誰か。他に誰かいないか。 システムの影響が薄い、個人の記憶を持っている人間は。


 海は、過去の営業ログを漁った。 無数の「拒絶」の記録。その中に、ふと、一つのデータが目に留まった。


『顧客名:内田』 『ステータス:面談済(不成立)』


 数週間前、オフィスを訪れた青年だ。 彼は適合者だが、少なくとも海を「人間」として認識し、対話が成立した数少ない相手だ。 海は、藁にもすがる思いで、内田の登録情報にある勤務先エリアへと向かった。


 オフィス街の飲食店エリア。 30分後、海は賑やかなオープンカフェの一角に、見覚えのある「軽やかな」男の姿を見つけた。 内田だ。彼は友人たちと談笑し、ワイングラスを掲げていた。


「そういえばさ、昨日の昼間、ドローンが落ちてきたの見た?」 「見た見た! すごい音だったよね」


 内田の声が聞こえる。海は足を止めた。 心臓が跳ねる。彼らは、昨日のことを話している。


「あれ、なんだったんだろうね?」


「ニュースで言ってたよ。『旧型制御チップの互換性エラー』だってさ」


「へえ、やっぱり古いのはダメだなあ」


 内田は笑いながらワインを傾けた。


「でも、すぐに直ってよかったよ。ハルシオンの対応は完璧だね。……あの一瞬のトラブルのおかげで、逆に日常のありがたみが分かったっていうかさ」


「わかるー! 平和が一番だよね!」


 乾杯の音が響く。 海は、拳を握りしめすぎて爪が皮膚に食い込むのを感じた。 互換性エラー? 古いのがダメ? ふざけるな。蓮は、お前たちが想像もできない高みで戦っていたんだ。


 海は、たまらず内田の席に歩み寄った。 内田が気づき、眉をひそめる。


「うわ、なんだ君……。臭うよ」


「……内田さんですね。以前、アウトシステムの説明をした四ツ谷です」


「え? ああ……言われてみれば」


 内田のバイザーが一瞬光り、海の情報がロードされる。


「何の用? 追加のセールスなら間に合ってるよ。見ての通り、僕は幸せなんだ」


「違います。……相葉 蓮を知っていますか」


 海は、内田の目の前に立ち塞がった。


「昨日の事故を起こした男だ。ニュースではエラーだと言われているが、あれは一人の人間が、世界を変えようとして起こした革命だったんです。……あなたは、何か感じませんでしたか? あの瞬間、世界の空気が変わったことを」


「……はあ?」


 内田は、心底わけがわからないという顔をした。 そして次の瞬間、彼の顔が苦悶に歪んだ。


「う……ッ」


 内田がこめかみを押さえる。 バイザーが激しく紫に点滅している。 「革命」という単語と、彼の脳内の「平穏な記憶」が矛盾し、認知的不協和エラーを起こしているのだ。


「な、何言ってるの? 革命? ……痛っ、頭が……」


「思い出してください! 昨日の衝撃を! あれはエラーなんかじゃなかった!」


「やめろ……! 変なこと言うな!」


 内田は、怯えたように叫んだ。


「昨日のあれは、ただの事故だ! 公式発表を見たろ!? ……ああ、気持ち悪い、頭が割れそうだ……!」


 内田の反応は、拒絶というより「アレルギー」に近かった。 システムの防衛本能が、彼に「真実」を聞かせまいとして、物理的な苦痛を与えているのだ。


「ねえ、しつこいよ」


「店員さん、呼んで!」


 周囲の客たちが一斉に立ち上がり、海を睨みつけた。 数十人の冷ややかな視線。 街頭カメラのレンズが、一斉に海の方を向き、赤い光を放つ。 街全体が、海を「排除すべき異物」としてロックオンした。


「ハルシオンに通報するよ。君、ちょっと精神状態が不安定みたいだし」


 内田が震える手で空中のウィンドウを操作しようとする。 その指先は、蓮の人生を、そして海の訴えを「消去」することに何のためらいもない。


 海は、立ち尽くした。 分かっていたはずだ。 この世界において、「記憶」とは脳内に蓄積されるものではなく、クラウド上のサーバーにあるものだと。 サーバーのデータが書き換えられれば、人々の認識もまた、オセロの駒のように一瞬で裏返る。 蓮という人間が生きていた証拠は、物理的にも、情報的にも、そして人々の心の中からも、完全に消滅してしまったのだ。


「……ああ」


 海は、雑踏の中に一人取り残された。 イルミネーションが輝く街。笑顔の人々。 そのすべてが、巨大な墓標のように見えた。 蓮を埋めた上に築かれた、忘却の楽園。


(俺しか、いないのか)


 海は、胸元の『OS』を強く抱きしめた。 この冷たい鉄塊だけが、蓮がここにいた唯一の証拠だ。 海は震える指で操作し、かつて記録した「崩壊のログ」と、蓮の署名が入った「通知書のデータ」を、『OS』のローカルストレージの最深部に移動させた。 ネットから切り離された、誰にも消せない聖域。


「……忘れない」


 海は、夜空を見上げた。 フェイク・スターが瞬いている。 あの偽物の星々の向こう側に、蓮が見ていた「本当の空」があるはずだ。


「俺は、絶対に忘れないぞ」


 海は、雑踏に背を向け、闇の中へと歩き出した。 その背中は、世界中の誰よりも孤独で、そして誰よりも確かな「記憶」を背負っていた。


ここまでお読みいただきありがとうございます! 本作は【全35話完結済み】です。

もっと重厚な異世界ファンタジー戦略戦を楽しみたい方は、2025/12/18に完結するこちらの長編もぜひ!→ 『異世界の司令塔』

https://ncode.syosetu.com/n6833ll/


死に戻る勇者×記憶保持の聖女。セーブポイントとなった聖女の悲恋が読みたい方はこちらもぜひ!→『セーブポイントの聖女は、勇者の「死に癖」を許さない』

https://ncode.syosetu.com/n9592lm/


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