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愛して、愛されて

「――萌依子」


 音も気配もなく彼女はそこにいた。


 まだお風呂は済ませていないのか、制服姿のまま静かに佇む妹の後ろには、半開きになった自室の扉。

 部屋に入ってきた妹の存在に気づけず、うずくまって怯えている姿を見られたことを瞬時に理解し、思考が凍り付く。


 電灯のついていない部屋の中は薄暗く、本来なら顔色を伺うのも難しい状況だったが、暗闇に目が慣れていた俺にはその顔がはっきり見えた。


 その相貌に表情らしきものはなく、感情の読み取れない妹の様子は、気配がまるでないことも合わさって人形のようだった。


 萌依子は何も言わず、深紫の瞳でただただ俺を見下ろす。


 今最も会いたくなかった相手に見据えられた為か、金縛りで身動きが取れない。

 数多の思考が脳内を過ぎ去っていき、しかし確かな考えはまとまらず、言葉一つ発せないまま数秒の時が過ぎる。


 静寂が耳に突き刺さる中、ゆっくりと萌依子の唇が動き、


「――思い出した?」

「っ!!」


 その言葉の意味を認識した瞬間。俺は額を床にこすりつけた。


「ご、ごめんなさいっ!!」


 反射的な行動だった。

 張りつめた精神が限界を迎え、逃げ場を求めた思考が謝罪という形で零れ出る。

 罪悪感に引き裂かれた心に導かれるまま、これまでの思惑も兄としての体裁も全て投げ出して、ひたすらに謝る。


「謝って許されるような、ことじゃないことは、わかってる……! 罪は償う、何でも……何でもするから。だ、だから、親父や母さんには、俺がお前にしたことは言わないでくれ。……お願いだ、お願いします……っ!!」


 擦れる額が痛く、その痛みと惨めさに涙がぼろぼろ零れ落ちた。

 もう楽になりたい。その一心だった。


 無様な兄の姿に、萌依子は一歩踏み出して近づく。

 次に来るのは罵声か、蹴りか、次の瞬間に来るだろう衝撃に身を固くする。


 ――そして、訪れたのは柔らかくて暖かい感触だった。


「その様子だと、まだ思い出してないみたいね。……子供みたいに泣いちゃってさ。まったく、世話がやけるお兄ちゃん」


 萌依子の細い手が、震える俺の体を抱き起こす。

 涙と鼻水で汚れるのも構わず、お互いの体躯を密着させて俺の頭を自分の首筋に寄せた。

 よしよし、とそんな声が聞こえてきそうな優しい手つきで頭を撫でる。


 妹の体温と華奢な体つきを感じながら、状況が理解できず呆然とする。


「なん、で」

「察するに、私の動画ファイルでも見つけたんだろうけど。別に母さんたちに告げ口する気はない」

「で、でもお前、罪が消えるわけじゃないって……」

「そう。許したわけじゃない。だから今日は怒った。私との約束を破ろうとしたんだから当然でしょ」


 優しく背中に回されていた両腕に力がこもる。

 逃がさないという意思が感じられる抱擁に、締め付けられた肺から微かに呻きが漏れるが、萌依子はお構いなしに更に強く掻き抱く。


「愛してる。愛してるよお兄ちゃん。確かにお兄ちゃんには随分と酷いことをされたけど、それも今となっては必要なことだったって割り切ってる。

 兄妹であることは関係ないって示してくれたと思えばね。そのおかげで、私も見えないものが見えるようになって、自分の本当に気持ちに気がつけたんだから」


 隙間なく密着する体勢でお互いの顔は見えない。だが、顔以上にお互いの心臓の鼓動が感情を告げていた。


 どろりとした濃密な彼女の感情が心に流れ込み、そのあまりの熱量に心身が燃え上がりそうになる。彼女の気持ちは嘘ではなく、それどころか狂気すら混じった執念とも言うべき覚悟の色があった。


「だから、お兄ちゃんが私のことを赤の他人だって罵った時は本当に傷ついたし、仲直りした後も私に対して単なる妹として見てくれなかったのは複雑だった。

 私のことだけ記憶を忘れているなんて、悪い冗談だと思いたかったくらい。

 ――そして昨日、自慢げにラブレターを自慢されたときは……、あははっ! 心中しちゃおうかと思った!!」


 可愛らしく恐ろしい萌依子の狂笑。

 ドン、と強い力で突き飛ばされ、受け身が取れず床に仰向けに倒れこむ。

 急にどうしたと思い、起き上がろうとするが、馬乗りになる形で萌依子が上に覆いかぶさってくる。


 両肩を掴まれお互いの視線が垂直に固定され、腰まである長く綺麗な黒髪が帳のように視界を覆う。

 真上で怪しく輝く深紫の瞳を息をのんで見つめ返すと、頬を赤らめた萌依子が嬉しそうに微笑む。


「私を愛して。私を抱きしめて。私の傍にいて。私だけを見ていて。私だけ求めて。私だけを貴方のものにして、それをずっと、いつまでも、どんな時でも、最後まで貫いてくれるなら、今までのことは許しはしないけど、私もお兄ちゃんに全てを預けて運命共同体になってあげる。

 そう約束した。だから私以外の恋人なんて絶対許されないの。

 ――ねぇ? この約束。本当に覚えてないの?」


 歌うように、呪うように、低くされどよく通る声で訪ねてくる。

 覚えてないのは事実なので首を横に振ると、「だったら」と告げた。


「もう一度、私に約束して?」


 甘い囁きに、冷たい予感が背筋に走る。

 人として持つ当たり前の倫理が頭をよぎり、わずかに生まれた抵抗感が選択を躊躇わせる。


「兄妹……なんだぞ」

「そんなの関係ないよね? 一度した約束をもう一度するだけだし、そもそも、お兄ちゃんはもう取り返しのつかないことをしている。今更なにを迷うことがあるの?」


 ぐうの音も出ない。俺はすでにチェックメイトにはまっている。

 ここで妹の要求を飲まなければ、俺は晴れて性犯罪者の仲間入りだ。真っ当な人生を歩めなくなってしまう。

 それは絶対に避けたいとなればもうここは頷くしかない。それに、倫理観の問題さえ目をつむれば、妹はとても魅力的な異性でもある。兄が欲望に耐え切れず禁忌を犯すくらいには。


 しかし、いいのだろうか。

 本当に俺は過去に目の前の少女を強姦したのか? 俺はそんな度胸と非倫理性を持ち合わせた人物だっただろうか?


 ここで彼女のことを受け入れてしまうか否か。恐らく、ここが萌依子を「正体不明の妹」かどうかを決断する最後のチャンス。俺自身の意思も含めて、もう何もかもが萌依子の存在を肯定する現状ではあるが、今一度、思考する。


 こいつは、本当に俺の妹か?


「……なあ、萌依子。お前は本当に俺の――」

()()()()()()()()()()()()()()()?」


 天使と悪魔の入り混じった恐るべき怪物の宣告。

 俺の最後の選択は、萌依子のキスにより無残に塗り潰された。


 首の後ろに腕を回したことで急接近した萌依子の唇が、俺のに重ねられ繋がる。

 ただそれだけのことで、俺の理性はあっさりと脆く崩れ去った。


 頭蓋を直撃する快楽の電流。それは脊髄を通して全身の隅々まで伝播する。それが最初の波であり、それと同等もしくはそれ以上の快楽が連続して押し寄せてくる。想像をはるかに超えた未知の桃源郷に、意識が持ってかれそうになるのを必死に耐える。


 やがて、萌依子が唇を離し、恍惚とする俺に甘く微笑みかけた。

 キスの時間は実時間で5秒もなかっただろうが、永遠に等しい快楽の凝縮だった。


「――愛して」


 萌依子も同じように感じてくれたのか、紅潮した相貌に汗粒に濡れて、乱れた呼吸のままに愛を求める。

 いつも見慣れた妹の姿が別人に見える。

 動画で見たものよりも遥かに妖艶な異性。


 これが彼女の本性だというのなら、記憶を失う前の俺が禁断だとわかっていても手を出したのも納得できる。理性で歯向かえるものじゃない。かつても、そして今も。


 抗えない本能に突き動かされ、自然と手が伸びる。

 萌依子の肩を掴み返して、今度は俺が妹を床に押し付ける。お互いの体の位置を入れ替えた形になり、両手首を押さえつけて逃げ出さないように拘束する。


 萌依子の制服が乱れ、黒檀色の長髪が床に散らばり独特の模様を描く。

 急な乱暴にも嫌な顔ひとつせず、嬉しそうに笑ってこちらを見上げる萌依子は、抵抗することなく自分の身を差し出す。


「――愛してる」


 彼女の求めるままに抱きしめ、その耳元で彼女と同じ言葉を呟いた。

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