正体不明の妹
人との出会いは一期一会だと茶道の偉い人は言うが、あながち間違いではないかもしれない。
少なくとも、何年も会っていなかった友達と、街中で偶然再会するというシュチュエーションは、何かしらの運命を感じさせた。
とある喫茶店で男二人が席につく。
洒落た雰囲気の店だったが、混む時間帯を外しているのか店内の客は少ない。
注文を取りにきた店員に、本日のおすすめ「七色カフェオレ」を頼んだ俺は、向かいの席に同じものを薦める。
「じゃあ、そうしようかな? 僕も同じものを一つ」
金髪の好青年が爽やかな笑顔で注文を伝える。
女性店員は明らかに俺の時とは違う喜色の態度を見せ、若干頬を赤らめながらカウンターの裏へと引っ込んでいった。
普段は嫌な思いをする場面だったが、今日ばかりは純粋におもしろいものが見れたと思い、俺は悪い笑みを浮かべて好青年をからかう。
「いやー羨ましいですな。その女を惑わす色気は外国仕込みか?」
「あはは。本場のプレイボーイたちには負けるよ」
揶揄に狼狽えるでもなく軽く返すイケメン。
彼の名はマイケル佐藤。
外国人と日本人とのハーフで、俺が小学生だった頃の親友だ。
こいつとは昔色々やらかしたり遊びまわったりして、充実した小学生の青春を共に謳歌した仲だったが、小学4年か5年の頃に親の都合で海外に引っ越すことが決定して別れ離れとなった。
それ以来、会うことも連絡を取ることもなかったが、昨日、日本に帰って来て故郷を見て回っていた彼の前に、偶然俺が現れて再会を果たしたのだった。
昔の親友と再会できたことは俺にとって純粋に嬉しいことであり、日本に帰ってきた翌日に偶然出会うというシュチュエーションには、お互いテンションが上がった。
早速、懐かしい昔話でもしようということになり、今に至る。
昔の親友との会話は、弾みに弾んだ。
子供の頃の思い出語りは懐かしさのあまり胸が熱くなったし、マイケルの外国での話は日本では体験できない新鮮な話題ばかりで好奇心をくすぐられた。
マイケルも同様だったようで話は盛り上がり、周囲に客が少ないことをいいことに声を上げて笑い合う。
何を話しても相手に喜んでもらえる会話というのは、控えめに言って最高の時間であり、往々にして楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。
気がつけば2時間以上も二人で語らい合っていた。
そのことに気づき、俺は少し慌てる。
実は今日、街に繰り出していたのは妹へのプレゼントを買う為であり、妹本人にも早く帰ると伝えてしまっていた。
その手前、何時間も他所で時間を消費していたとなれば、萌依子の機嫌が悪くなるであろうことは目に見えていたからだ。
そのことをマイケルに伝えると、彼はキョトンとした表情をして、
「え? 孝弘は一人っ子だよね?」
と言った。
その言葉はハッキリとした声音で、確信から生まれた発言であることが伺えた。
「ああ。もしかして僕が海外に行ってから生まれたの? ということは結構年齢が離れた妹さんなのかな」
「……歳は二つ下で同じ高校の後輩でもあるぞ。だから、マイケルも見たことあるはずだが?」
「は? いやいや、孝弘の家にはよくお泊りしに行ったけど、妹さんなんていなかったよ? というか孝弘自身が妹か弟が欲しいなーって言ってたくらいだし、一人っ子だとばかり思っていたけど……。あれ? なんか僕間違ってる?」
そう言うマイケルの表情や態度に、偽りの色はまったく見えない。
嘘か真実か。彼の記憶が正しいという保証はないし、こちらを騙そうとして言っていないとも限らないが、とはいえ、血眼になって探していた「妹を否定してくれる証言者」が、今更になって現れるという些か皮肉の効いた展開だった。
少し前の俺なら狂喜乱舞して彼を歓迎しただろうなと、内心で苦笑しつつ、さてどうしたものかと思案する。
「……ふーむ。そうだな。ちょっとある体験談を話そうか?」
「へ? 体験談? どうしたの急に」
「まあ聞けって。俺の妹に関係ある話だから」
脈絡のない話に首を傾げるマイケルだったが、話を遮る気はないようだった。
会話の主導権を掴んだ俺は、記憶を辿りながら話を始める。
「もう数か月前の話になるかな。ある日の学校の放課後でのことだ。
その時の俺は、学級委員であるクラスメイトから廊下の戸締りを頼まれて、戸締りをして回っていた。廊下は結構な距離があったから、少し面倒ではあったが簡単なことなので作業自体はすぐ終わったわけだが、問題はこの後。
――俺は屋上へ向かう階段から足を踏み外し、派手に転げ落ちて怪我をした」
「そりゃあまた災難だったね。体は大丈夫だった?」
「幸いにも怪我自体は軽傷で済んだ。頭もぶつけたから、階段から落ちた前後の記憶がしばらく曖昧だったりしたけどな」
あの時にできた全身の打撲や擦り傷の跡も、今はキレイに消えてなくなっている。
世の中には階段から落ちて亡くなる人も少なくない。大怪我もなく比較的無事だったのは、割と幸運だったんだろうな。
「そもそも何で屋上へ向かう階段を上ったの? 施錠の範囲は廊下までだったんでしょ?」
「それは、まあ。せっかく廊下も確認したんだし、屋上の扉も施錠を確認しておこうかなって軽い気持ちだよ。ほら。俺って几帳面なところもあるしさ。……いや。それだけじゃないな。香りが気になったんだ」
「香り?」
「ああ。甘ったるいような、逆に爽やかなような、何とも言えない不思議な花の香り。今まで嗅いだどんな花とも違う香りだった。
そいつが屋上の方から階段下に居る俺の方まで香ってきたんだ。それで、なんか奇妙な気分になって、俺は階段を上った」
「なんだか、女性のフェロモンに男達が群がる、みたいな話だね」
正確には、食虫花の香りに羽虫が吸い寄せられるが近いだろうなと、内心思いながらもマイケルの言葉に頷く。
「そうして俺は屋上に辿り着き、扉を開けた」
「ほうほう。それで何があったの? 話しぶりから察するに、屋上に何かあるいは誰かがいたと予想しているんだけど」
「ご明察の通り。屋上には先客がいた」
「……うん。それで?」
「――――」
そこで俺は口ごもってしまい、会話が止まる。
マイケルの催促を受けても、なかなか次の言葉を喋ることができない。
頭の中で浮かび上がる情景を説明できる文章が思いつかないのだ。
どんな表現でも言い表せる自信がなく、言葉にした時点でチープな感想になってしまう気がした。
「…………天使。あるいは女神というべき存在が、そこにはいた」
数秒ほど口ごもったが、自分にできる範囲で説明するしかないと思い、会話を再開する。
「真っ先に視界に飛び込んできたのは翼だった。
植物の葉脈にも見えたそれは、極彩色に光り輝きながら大きく広げられ、天を衝く威容を誇っていた。夕焼けに染まったはずの空をその翼で覆っていたから周囲は少し薄暗く、けれど星空のように満ちて光っていた。
翼の根本、胴体の方は……人型に近かったと思う。
けど人というよりも植物。あるいは鉱石に近い印象を受けたな。
足は根っこのように大地に根差していた。いや、屋上だから大地っていう表現はおかしいか。触手のようなそれは学校の校舎を上から飲み込んでいた。
一番印象に残ったのは目だ。
胴体の中心は無数の目で構成されていた。
深紫い宝石で構成された螺旋状に連なる眼の群れ。全体で捉えると花冠のような構図になっていたそれを、目だと認識できたのは、俺が屋上に入った瞬間にその無数の瞳に一斉に見られたと実感したからだ。
他にも色々部位があったと思う。腕とか髪とか。
ただこれはもう人が認識できないレベルの理解不能な形状をしていたから、ちょっと上手く説明できない」
「……」
マイケルが唖然とした様子でこちらを見ている。「何言ってんだこいつ……」という心の声が聞こえてきそうだ。
構わず説明を続ける。
「いつの間にか周囲からは音が完全に消失していて、自分自身の鼓動と呼吸音だけが静寂の中でうるさく耳に届いた。
街の喧噪も、風の音も聞こえない、完全な無音の空間。周囲の風景もんだかリアルな水彩画みたいな感じになっていて現実感がなかったな。
思うに、屋上に足を踏みいれた時点で、俺は神殿という名の異空間に取り込まれてたんだろう。
あくまでこちら側の世界に似せているだけの、本来、人が到達できるはずもない現世からも黄泉からも酷く遠い場所。異界。
そんな世界でも、それの存在は圧倒的だった。
空間に穴が開いてるんじゃって思うくらい、濃く、暗く、深い。何もかもから隔絶し、超越した存在感を放っていた」
「……あ、あの。孝弘?」
「一目見て、眼が潰れて脳幹が焼き切れたと錯覚したよ。
人が目撃していいキャパシティを遥かに凌駕していた。きっと、俺はその瞬間から正気ではなかったんだと思う。狂気に至れなければ見ることするできない御姿。
醜い――という感想を通り越して、今まで見た何よりも美しいと感じた。
冒涜的な有様に見惚れた」
柄にもなく熱くなって語っている自分に苦笑しつつ、口の中が渇いてきたと感じたので、一旦、話を止めコップに入った水を喉に流し込む。
話はラストスパートに入っていた。
「その神様にとって見るという行為は、人間のそれとは次元が違うんだろうな。
俺は無数の瞳に見られたと理解した時、今まで歩んだ人生の全てを覗き見られたと感じた。過去視ってやつだ。
――そして、彼女は俺という存在自体に興味を抱いたのか、恐る恐る、ゆっくりとこちらに向けて手を伸ばした。もしその手に触れていたら、存在の格が違う者同士の接触で俺という存在は吹き飛んでいただろう。
けど、幸いにも俺はこの時、手を伸ばされたことにより後ずさりして、結果、背後にあった屋上に向かう階段から足を踏み外して、派手に転げ落ちた。
……頭を打って意識が朦朧とした俺が最後に見たのは、その女神様が屋上の扉をくぐってこちらの世界に顕現する光景。
流石にそのままだと巨体がでかすぎて扉をくぐれないのか、人間の少女に変身した姿だった。
――そして今現在、暇を持て余した神々の戯れとして、彼女は俺の実の妹として人間ライフを送っています。以上、体験談終わり!
これでわかったか? 妹は数か月前に突如現れた邪神様なんですよ」
「………………はぁ」
話の途中から完全に黙りこくっていたマイケル。
ドン引きである。物腰柔らかで優しい性格の彼は夢中になって語る俺の話を邪魔するわけもいかず、訳の分からない体験談を黙って聞き続けたのだろう。
虚ろな瞳で虚空を見据えていた彼に、俺は、くっくっく、と悪い笑いを嚙みしめる。
「つれない反応だなマイケル。冗談なんだから笑ってくれよ」
「――え? 冗談!?」
「今の話のどこに冗談じゃない部分があったんだよ。本気で言ってたら、俺は間違いなく狂人認定されて両親に精神病棟ぶちこまれてるわ」
「……ジョークだとしても最低すぎるよ!! なんなのさ! 急にわけわかんない話して!」
憤慨するマイケルを宥め、俺左手の腕時計をチラリと確認する。
勘定をテーブルの上に置き、妹へのプレゼントが入ったバッグを肩に背負う。そろそろ時間にも余裕がなくなってきた。
早く家に帰って妹の機嫌をとらなくては。
「ともかく、俺が言いたかったのは、俺に妹なんていないって言い分は、俺の妹が実は神話生物でしたっていう言い分と同じくらい突拍子がなくて質が悪いってことだよ。――じゃあ、時間もないし、俺は行くよ。 暇があったら交換した連絡先に連絡してくれ、また前みたいに遊ぼうぜ!」
「……色々言いたいことはあるけど、今日はいいや。うん。また遊ぼう」
不服そうな表情なマイケルだったが、最後は喫茶店から出ていく俺に手を振ってくれた。良い奴だ。
コズミックホラー風な体験談でけむに巻いたことに、ちょっとばかしの罪悪感を感じた俺は心の中でマイケルに謝りつつ、親友の大切さを噛み締める。
懐かしい友との出会いに満足した俺は、晴れやかな気分で家の方向へ足先を向けた。
* * * * *
親友との再会を果たした翌日。
誰もいない教室で俺は一人、何をするでもなく窓際の席で時間を消費する。
本日は職員会議とかで午前中のみの授業だったので、午後は完全な自由時間となっていた。
しばらくの間、放課後になっても学生たちは友達同士でお喋りしていたが、1時間も経つころには帰宅したか部活やバイトに向かっていき、校舎は閑散としてくる。それでも教室に居残り続けた結果。教室は俺の貸し切り状態となっていた。
みんな俺とは違って暇人ではないということだろう。人の一生は短いのだから当然だ。
そして天涯孤独の暇人である俺は、蒼さの際立つ晴天をぼんやり眺めながら、尋ね人を待つ。
別に誰とも会う約束はしていなかったが、待っていたら彼女が来てくれるという不思議な確信があった。
「――お兄ちゃん」
期待通り、待ち人は来た。
制服に身を包んだ長い黒髪の少女。優れた美貌とスレンダーな体格を持ち、高校の男子からは少なからず想われている学校のマドンナ。
俺の実の妹で、一時期は家庭を壊しにきた侵略者として警戒していたこともあったが、今は唯一無二のかけがえのない愛すべき人。
そんな彼女が、俺しかいない教室を訪ねて教室の入り口から名を呼んでくる。
「どうしたの? 一人で物思いに耽って」
「……特に理由はない。強いて言えば萌依子を待ってた」
「なら迎えに来てよかった。ほら、帰ろうよ」
優しい声音で催促してくる萌依子だったが、席から立つ様子のない兄を不思議に思ったのか、向かいの席に座って至近距離からこちらをジッと見遣る。綺麗に整えられた髪には、昨日プレゼントした髪留めがしてあり、思わず頬が緩む。
近くで見ると、より一層可愛い妹に意思とは関係なく愛しさが湧き上がる。
あの日から、絶えず変わらず俺のことを好きでいてくれる萌依子のことを思うと、今の自分は幸せだと実感できる。身に余る光栄ともさえ思う。
彼女はどうだろうか。同じように想ってくれているだろうか。
「萌依子」
「ん。なに?」
目の前の少女に手を伸ばし、その頬を撫でる。白磁器のようなきめ細やかな肌が手に吸い付く。
嫌がることなく接触を受け入れてくれる萌依子。
若干照れくさそうに、彼女は静かにはにかむ。
「愛してる。萌依子が誰だろうと何者だろうと、変わらずに」
本心からの言葉だった。
萌依子は俺にとってなくてはならない存在になったし、彼女が傍にいてくれることが何よりの幸せだった。
もう偽物とか、侵略者とか、そんなことにこだわる気はない。彼女の愛に溺れていることは自覚しているし、このままいくと破滅の未来が待っているのかもしれない。けど、もうどうでもよかった。
突然の告白に驚きの様子を見せた萌依子だったが、拒絶することなく好意を受け取り、
「私もよ、お兄ちゃん。生きている間はもちろんのこと、死後の魂すらも永遠に私のもの。未来永劫に愛してあげるから」
と、冗談めかして愛の約束を宣言した。
その姿はいつもの可愛い妹だったが、一瞬、宇宙のように果てしなく途方もないスケールの圧倒的存在感を、彼女に見た。
教室の外から、部活動に励む学生たちの喧騒と雀の鳴き声が微かに届く。
時が緩やかになったと思えるくらい落ち着いた雰囲気の中、二人だけの時間を謳歌する。
これからの人生、何が起こるのかはわからない。
俺は妹を愛するという禁忌を犯したのだから、人としての破滅が待っているのかもしれない。
あるいは、人の理解を超えた混沌が、行く先で全てを飲み込まんと両手を広げて歓迎しているのかも。
どちらにせよ。今はただ、目の前の少女だけに執心する。
この、愛おしい『正体不明の妹』を。
ここまでお読みいただきありがとうございます! 無事完結と相成りました。
趣味全開な物語に最後までお付き合いいただけたこと、誠に嬉しく思います。
皆様の暇つぶしにでもなっていれば幸いです。それでは。




