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このコーヒーを飲み終えたら  作者: 亨利(ヘンリー)


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7/10

第6章 水曜日の深夜

「では安全教育はこれくらいにしておいて、現場近くで起こった脱線事故の、その後の取組みについてお話ししますね」

 達也は、鉄道架線工事の応援のため、多賀江電鉄の支所内にある、古い会議室で安全教育を受講していた。電気技術の作業とは安全管理がもっとも重要視される。また同じ内容かと思いながらも、欠伸しないように、その退屈な時間をコーヒーなしでなんとか乗り切った。その後、例の脱線事故の話になり、やっと眠気も覚めはじめたのだった。達也は事故対策や今日までの経緯についての説明を受ける中、配られた資料に目を通した。

(死者32名、負傷者85名。ニュース報道後にも死傷者は増えてたんだな)

「現場には慰霊碑を立てて、今も多くの方が献花に来てくださっています。慰霊碑はテレビでご覧になったかと思いますが、亡くなった方に学生が多かったので、現場には男子生徒の銅像が・・・」

(ふーん。知らなかった。現場を見に行くことなんてなかったからな)

「事故というより、置き石による事件だったんですが、犯人もまた学生で・・・・・・」

 脱線事故の現場は、特殊な場所だったそうだ。そこから先の市街地に向かっては高架軌道になっている。事故は郊外に向かう線路の、地上に降りるスロープで起こっていた。原因は置き石だったことが防犯カメラの映像で判明していたらしい。犯人は中学生だったとか。何ともやるせない気分だ。


 深夜0時から工事に向かった先は、脱線事故現場にほど近い慰霊碑の近くである。そこに設置されたATC(安全装置)のメンテナンス作業だった。不慣れな作業にも手際よく対応し、達也は同僚たちの役に立った。

 夜が明ける前に工事は完了し現場の整理も終わり、後片付けの最終確認も指差呼称で念入りに行われた。

 やがて電車が走り出し、達也の引き上げ準備が終わった頃には、6時になっていた。

 そして工事用のバンに乗る前に、達也は自動販売機の缶コーヒーを買おうと、慰霊碑の横を通った時、そこに本城奈美恵を見つけた。

(こんな朝早く、何をしているんだろう)

 達也は自販機にお金を入れながら、彼女の様子を暫く見ていた。ただ立ち尽くして慰霊碑を見ている少女に違和感を覚え、

「おはよう。どうしたの?」

 と大きく声をかけた。すると彼女は振り向いて、

「おはよう。・・・わたし毎日、ここでお祈りしてるの」

 缶コーヒーを掴むと、彼女に近づいた。

「毎日? こんな早くから?」

 達也は缶を開けながら、頷く彼女の後ろに立つ慰霊碑の銅像を見て、ふと気がついた。その学生像の頭にニット帽が被せてあったのだ。

「これひょっとして君が被せたの? なんか隆志に似てるね」

 コーヒー缶に口をつけて言った。

「うん。隆志君に編んだやつ」

「あ、同じデザインなのかい?」

 そう言いながら、慰霊碑のすぐ横、何げなくその碑文を見た達也。大勢の犠牲者の名前が刻まれている。そして自分の目を疑った。その瞬間、この少女との会話を続けられなくなり、暫く呆然とした。


『加田耕三、北田麻衣、千田明弘 林文美』


(どういうことだ? カウンセリングのメンバーばかり)

 さらに


『下村紗英、下村隆志』


 ・・・達也は思わず手に持っていた缶を、地面に落としてしまった。

「これは! 一体どういう事なんだ!?」

「全部私が悪いの」

「え? どういう意味?」

「私が置き石をしたから」

「君が? 何を言ってるんだ?」

「隆志君が乗ってるって知ってたから。驚かそうと思って・・・」

「そ、そんなはずないじゃないか・・・・・・置き石の犯人は自殺したって」

「・・・私自殺なんかしてない」

「そりゃ、ここにいるんだから・・・・・・!」

 達也はハッと我に返り、

(そんなことより、妻と息子の名前がここに刻まれている。そのことのほうが・・・)

 達也は、何度も碑文を見直した。


『下村紗英』

『下村隆志』


 確かに、そう刻まれている。

「違う・・・・・・」

 思わず声が漏れた。

(同姓同名だ。きっとそうに違いない。・・・こんな偶然、珍しくもない)

 右の頬に力を入れて、無理に笑ってみた。だが次の瞬間、達也は気付いた。隆志の名前の横に刻まれた年齢。

 ――十四歳。

 達也の頬が引きつった。

「・・・中二、だから・・・十四で合ってる」

 冷たい汗が背中を流れた。

(いや、待て。今は春だ。隆志は、四月が誕生日だ)

「ニット帽・・・?」

 目の前の銅像に被せられたニット帽を見て言った。

「誕生日プレゼント・・・か?」

 口に出した瞬間、

 自分の記憶に奇妙な空白があることに気付いた。

(十五になった?)

(誕生祝いを、紗英はどうしてた?)

(うちで祝った記憶がない)

(いや、してないだけだ)

 達也は自分に言い聞かせた。

(最近まともに会話していなかっただけだ・・・・・・ただそれだけだ)

 スマホを取り出した。隆志とのメッセージ履歴を確認する。最後の会話は三か月前。

『電車止まってる』

 たったそれだけだった。紗英との履歴も、

『帰り遅くなりそうです』

 やはり、三か月前で途切れている。達也は画面を見つめたまま、

(あの日からだ・・・・・・)

 ゆっくり首を振った。

「違う・・・」

 まるで、自分の中の何かが、少しずつ崩れ始めているようだった。

(そんなはずはない! 何かがおかしい・・・)

 達也はその場で紗英に電話を掛けた。


(紗英・・・!)

 [・・・この番号は現在使われておりません]


「隆志・・・」

 [この番号は現在使われておりません・・・]


 驚きに目を見開いたまま、もう一度、メッセージのやり取りに目を落とした。先週の土曜日、本城奈美恵が自宅を訪れた時、隆志に送ったメッセージも、既読になっていない。本城奈美恵に何か訊こうと振り向くと、彼女はその場から消えてしまっていた。


 工事用車両に飛び乗り、車を発進させた。達也の行動にそばにいた同僚たちは、呆気にとられながら、走り去るバンを見送った。達也は自宅に向け、喉の奥から勝手に出てくる慟哭のような声を抑えられないまま、真っ直ぐ前を見て運転した。幸い通勤ラッシュのこの時間帯は、高ノ宮方面に渋滞が続いているが、達也が走る郊外に向かう道は空いていた。

 荒々しく自宅の前に駐車して、急いで玄関に駆け付けたが鍵はかかっている。まだ隆志が登校前だからか、それとも元々誰も居なかったからなのか。

 達也は鍵を開けて、急いでドアを開けた。

「ただいま!」

 そう叫んでみたが、返事がない。リビング、ダイニングキッチン、トイレ、バスルーム・・・どこにも誰もいない。

「紗英ー! 紗英ーー!」

 そう呼びかけながら祈るような気持ちで、階段を駆け上がった。妻の寝室、息子の部屋、自分が普段寝ている和室。どこにも誰もいない。廊下に立ち尽くし、全身を震わせながら、達也は涙を流した。そして崩れるように座り込み、悔しそうに握りこぶしを床につけて、嗚咽を漏らして泣いた。


 暫くして達也は、隆志の部屋のドアを見ながら、自分が精神的に病んでしまっていることを悟った。

(もう二人はこの世にいないのか。それを自分は受け入れられずにいるだけなのか)

 ドアの隙間から、朝日が差し込む明るい室内に目をやると、

(あ、あれは)

 勉強机の上に置いてあるメール便の箱を見つけた。

 達也は、慌てて室内に入り、机の上の箱を掴んだ。しかしそれは開封されていて、中身は空だった。すぐに荷物の差出人を確認した。

(本城奈美恵。間違いない彼女だ。日付も先週のもの。・・・・・・間違いなく本城奈美恵から隆志にプレゼントが送られてきている。じゃ、隆志は生きているのか? じゃ慰霊碑に刻まれた名前は何だったんだ!?)

 そう思いながら、部屋の周囲を見渡したが、箱の中身らしきニット帽は見当たらない。

(本城奈美恵から送られてきたプレゼントはどこ? あの銅像のと同じ・・・)

 達也はハッと顔を上げた。カウンセリングのメンバーは、どうしているのか。

(町田先生に確認すれば判ることだ)

 そのまま、家を飛び出した。

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