第4章 土曜日の朝
達也は、今週の土曜は休みだったので、朝遅く起きると、リビングに紗英と隆志の姿がなかった。隆志は中学でサッカー部に所属している。もう練習に出かけたのは想像に容易いが、妻までいないのはどうしてだろう。
(買い物にでも行ったのかな)
達也はどうせ言葉を交わすこともないので、気にしないようにした。というより、一昨日の晩のカウンセリングで、何か吹っ切れた気がして、自分自身が変化し始めていることに気づいた。少し軽い気分でモーニングコーヒーを淹れている間、テレビを見ようとソファに腰かけると、玄関の呼び鈴が『ピン・ポーン』と鳴った。達也は面倒臭そうに立ち上がり玄関に出ると、そこに一人の少女が立っていた。
「隆志君いますか?」
(あれ? この子、どっかで見たような子だな)「隆志は多分、クラブに行ったと思うけど」
「サッカーは休みです」
「サッカー? あ、あれ? 先週の日曜日、河川敷のグランドでサッカーしてた子だよね」
「ええ、知ってます。おじさん、ベンチに座って観てたの」
「そうだったの。あ、君もサッカー部に入りたいの?」
「ううん。隆志君もサッカーやめたら、私と遊べるのに。でも今日は私と会う約束です」
「それは聞いてなかったな」(へえ、隆志のやつ、こんな子とデートの約束でもしてたのか)
「じゃ、きっとすぐに帰ってくると思いますから、待たせてください」
「連絡取れないの?」
「既読無視です」
「じゃ、僕から連絡してみるよ。ちょっと待ってて」
そう言うと達也は、その少女を玄関で待たせて、スマホを取りに部屋に戻った。そして、息子にSNSでメッセージを送ったが、既読にならない。
(あれ、隆志にメッセージ送るのって久しぶりだな。前回の履歴は三か月も前だ)
そう思いながら、玄関に戻ってくると、
「こっちもつながらないけど、どうします?」
帰れと言うわけにもいかず、かといって中に招き入れるのもどうかと思案していると、
「中で待ちます」
「え、僕以外誰もいませんよ」
「お構いなく、大丈夫です」
(最近の子は何でも「大丈夫です」って言うなぁ。ほっといてくれって意味なんだよなぁ)
達也は渋々、彼女をリビングに入れると、その子はソファに深く腰掛けてスマホを触りだした。
(最近の子は・・・)
そして、居場所を奪われたので、仕方なくダイニングチェアに座った。
「君、名前はなんていうの?」
「本城奈美恵です」
「あ、本城さんてこの前、小荷物送ってきてくれたよね」
「はい、隆志君にプレゼント送ったの」
「・・・どうして手渡しじゃなかったの?」
「貰ってくれそうにないんだもん」
彼女はスマホを見たままでそう言った。
(なんで? 付き合ってるんじゃないのか)
達也はリビングを見渡した。先週の小包はこの辺りには置かれていない。
「もう受け取ったと思うよ。ニット帽」
(もう暖かくなってきたのに、今の子は季節感なくニット帽をかぶるんだな)
「一生懸命編んだんですよ」
「まだ寒い日には使うんじゃないかな。コーヒー入れようか」
「大丈夫です」
(ほら、また)
「隆志とクラス一緒なの?」
「ううん。違う学校」
本城奈美恵は、スマホの画面を見たままで話した。
「え? じゃ、どこで知り合ったの?」
「これ」
持っているスマホを少し持ち上げて言った。
「スマホ?」
「SNS」
「あ、そう・・・」(出会い系とかじゃなくって、コミュニティサイトみたいなとこかな。時代だな)
「本城さんの家はどの辺りなの?」
「高ノ宮です」
「ああ、脱線事故があった近くだね」
「・・・・・・」
「最近、その事故に巻き込まれた人たちと会うことがあってね。皆トラウマになってて、大変みたいだったよ。地元の人は皆、大丈夫?」
☆バタッ! 突然立ち上がる本城奈美恵。
「やめて! その話はしないで!!!」
その瞬間、二階で『ドタン!』と音がした。
(あ、誰かいる?)達也は階段を見た。
バタバタと足音を立てて、ものすごい形相をした紗英が下りてきた。
「何よこの子は!? どうして家に入れたのよ!!」
本城奈美恵は、その紗英を見て、後ずさりをし始めた。そして玄関に向かって走り出し、そのまま外に走り出た。あまりのスピードに(靴は履いたのか?)と思った達也が確認に行くと、玄関土間には、彼女の靴はなかった。
「どうしたんだよ」
そう言いながらリビングに戻ると、紗英が怒った表情で、
「何考えてるのよ! あんな子を引き入れるなんて! 最低!」
「僕は何も、変な気は起こして・・・」
紗英はまた、ドタバタと音を立てて、二階に戻っていった。達也は静かになったリビングに立ち尽くし、
(二階にいたのか・・・)
それから、本城奈美恵の様子が気になった達也は、彼女を追いかけて外に探しに出た。(きっと河川敷にいる)そんな気がして、小走りでそこへ向かった。
息を切らせながら、土手の上からグランドを見渡したが、彼女はここには来なかったようだ。それでベンチにグランドとは反対向きに座って、一息入れていると、遠方の住宅街の道を歩く女性の姿が目に留まった。その着ている作業服で、すぐに松井かなみだと分かった。
(今日は土曜なのに、夜勤帰りかな。電話局ってそんなに不規則勤務なのかな? また辛そうに歩いているように見える)
気になった達也は、松井かなみの後をつけてみることにした。すぐに立ち上がり、土手をずるずると滑りながら走り下りて舗装道路に出たが、もう松井かなみの姿は見えない。でもおおよそ家の位置は判っている。
(こっちの方角に向かっていたということは、跨線橋を通るルートのはずだ)そう考え、迷わずその方角に走り出したが彼女を見つけられず追いつけない。どこに行ったのか? 線路沿いに出て、その線路を跨ぐ陸橋の上から見下ろすと、少し先に彼女の後姿が見えた。
(早足だな)そう思って、歩道の階段を駆け下りて、30メートル先を歩く彼女をようやく尾行することに成功した。
距離は詰めずに、ゆっくりと後をつけた。なぜこうしているのか達也本人にも分からない。ほんの興味本位か遊び心、自宅に帰って紗英と顔を合わすのが嫌なのか。それとも松井かなみに惹かれているのか、いろいろ考えてみた。本当のところ、今日は顔がしっかり見えないので、彼女が思い悩んでストレスをため込んでるのか分からない。それも気になって後をつけているのだろう。そうしているうちに先日の地下道の出口近くに来たら、彼女は左に道を曲がった。この前と同じ道だ。その先の丁字路で右に曲がり、坂道を登っていくはず。その先に彼女の家があるのは間違いない。
(どんな家に住んでるんだろう。一人暮らしか。はたまた家族がいるのか)
距離を縮めようと曲がり角まで少し小走りに近づき、角からのぞくように彼女を見たら、もう彼女は思っていたより遠くに行ってしまっている。慌てて、通りに飛び出して、また急ぎ足で後を追った。次の丁字路までに大分追いついた。あと10メートルくらいになったところで、松井かなみは右に曲がり、坂道を登り始めた。ゆっくりとその曲がり角に近づき、建物の塀から顔をのぞかせると、坂道を上る後姿を確認して、その場に待機した。ここからは、達也にとっては通るはずのない道だ。そこで松井かなみに気づかれると、変に思われてしまう。
しばらく待つと今度は、彼女が右に曲がるのが見えた。達也はすぐに追いかけて、坂道を駆け上った。曲がり角に着くと、先ほどと同じように、石垣の角からゆっくりと覗き込んだ。彼女が曲がったのは、狭い路地のようだ。
(あれ? いない)
今曲がったばかりの路地は結構長く、松井かなみの歩く姿はなかった。(ということは、この辺のどれかが彼女の家なんだな)と思い、深追いは禁物、引き返すことにした。




