第3章 木曜日の晩
達也はカウンセリングが開かれるという夕方、外町駅の改札を抜けたところで立ち止まった。
町田医師のクリニックに行こうかと迷っていたが、やっぱり自宅に帰ろうとすると、また気が重くなってしまった。結局、町田から聞いた住所に足を運ぶことにした。
外町駅から大通りを渡って、いつもと違う方角へ曲がった。その先には先日、町田と出会った河川敷につながる土手沿いの遊歩道がある。土手の桜並木から、見ごろを終えて、地面に落ちた花びらを踏みしめているが、今年はまだ温かさを感じる日が少ない。実際、達也のビジネススーツも冬服のままでいる。しばらく歩くと、湿った匂いがする草むらの向こうに、“町田クリニック”と表示された看板が見えてきたが、その看板に明かりは灯っていない。
(今日は休診日だからだろうか)と達也は思った。
クリニックの玄関に着いたものの、達也は戸惑った。中は暗く人の気配が全くしない。
(やはり今日は誰もいないのか?)
両開きの古いガラス戸を引いてみると、カギは掛かっていなかった。足元をのぞき込むと、何人かの靴が脱ぎ置かれているのを見て、少し安堵した。中は静かだが、やはり人が集まっているようだ。しかし、待合室には明かりが灯っていない。
(このまま入ってもいいのだろうか?)
こういう時は、どんなふうに声を掛ければいいのか分からなかった。
(御免下さいかな? 病院に「ごめんください」って変か。「今晩は」かな? それとも「済みません」)
結局、達也は、
「こんばんわー。すみませーん」
と声をかけてみた。
すると奥のドアが開いて、明かりが待合室を照らした。
「あら、どなたかしら」
そこに現れた女性を見て、達也はハッとした。
「あなたは・・・」
その女性はいつか、外町駅前で倒れそうなくらい力なく歩いていた女性だった。あの時の作業服も着ているから間違いない。
「わ、私は、町田先生からカウンセリングを勧められて来たんですが、こちらで良かったでしょうか?」
「はい、そうです。これから始まるところです。どうぞお上がりになってください」
達也は急いで靴を脱いだが、他の誰も下駄箱に靴を入れていないのを見て、自分も向きだけ揃えて患者用のスリッパを履いた。そしてその女性に導かれて奥の部屋に入ると、そこは診察室ではなく、流し台のある休憩室のような部屋だった。そこに四人の男女がテーブルの椅子に座っている。
「こんばんわ。初めまして下村といいます」
「自己紹介はまだあとよ。まずは落ち着いて、今日何を話すか考えてみて」
案内した女性が達也に椅子を引いて腰掛けるように促し、インスタントコーヒーを淹れてカップを手渡すと、彼女もそのまま隣の椅子に座った。
達也は今になって初めて、カウンセリングとはどういったものなのか疑問に思った。ここに来るまで特に、何を話そうかなどと考えていなかったし、他の誰かの話を楽しみに来たわけでもない。
皆がこう静かにしていたら、(外からじゃ誰もいないように思えるはずだ)と、この場の雰囲気を感じて理解した。そして達也も皆と同じように、暫く黙っていたが間が持たず、
「あの、今日はこの場がどういうものか確かめに来たんですが」
と声をかけてみた。すると、工場作業員ふうの中年男性が、
「僕は加田耕三といいます。ここは皆悩みを打ち明ける場です。あなたも何か悩みがあるでしょ」
そういうと、その隣の白髪の男性も、
「そうですよ。なんでも話したほうがいいです。そうすることでストレスを開放するんです。私は千田明弘と申しますです。よろしくです」
達也は軽く会釈をした。そして残り三人の女性たちに目をやると、隣の作業服姿の女性が、
「私は松井かなみといいます。こちらは、北田麻衣さん」
と言って、背の高そうな若い女性を指さした。するとその女性は、無言で軽く会釈した。
「麻衣さんは人見知りで、ほとんど話されないんですよ。それともう一人、こちらは林文美さんです。みんな美人でしょう」
その言葉に、部屋の皆の顔がほころんだ。
「皆さん、突然お邪魔してすみません。宜しくお願いします」
皆、頷いてまた無言になった。
そこで隣の作業服姿の松井かなみが、
「あの、私どこかで会ったことありました?」
「え?」
「さっき入口のところで、私を見て『あなたは』って言われたんで」
「あ、それは・・・」
その時、待合室のドアが開いて、グレーのセーターを着た町田医師が入ってきた。
達也は立ち上がって、
「こんばんは」
と挨拶すると、
「ああ、あなた来てくださったんですね。皆さんこの方は、ええっと・・・」
「下村達也です」
「下村さんです」
と笑いながら紹介すると、
「先生、もう自己紹介終わっちゃったよ」
と加田耕三が言った。
「そうでしたか。じゃ、下村さんは初めてだから、今日は一番最後にしましょう」
「はい」
と言うと、町田医師はクルッと身をひるがえし、
「では、一番は加田さんから」
「また僕から? いつもじゃないですか」
周囲からはまた、薄っらと笑いが漏れた。
加田耕三の悩み
じゃ、下村さんにも解るように一から説明しますね。僕の会社はそこの川の向こうの工場街にある金属加工屋なんですけど、そこでNCフライスのオペレータをしています。フライスってのは、ミルって刃物が付いた装置で、金属の塊から部品を削り出して作る作業です。全部コンピュータ制御なんだけど、人手不足で昼夜二交代でも予定が追っつかないんですよね・・・
・・・あの脱線事故で、うちのベテラン工員が三人も死んでしまって、それからスケジュールがうまく組めなくなって、一人ひとりの負担が増えたんで、若い奴が退職してしまってどうしようもないんですよ。皆仕事だろ!って言いたくなるんだけど・・・
北田麻衣の悩み
私の大学にもバレー部はあるんですけど、私は所属してないのに背が高いだけで、バレー部バレー部って言われるんです。小学校の時から男子よりずっと大きかったから、それがコンプレックスなんですけど・・・
・・・私、あの脱線事故の列車に乗ってて、大怪我をして病院に運び込まれたんです。それでその時の映像がテレビで流れて、一応モザイク掛かってたんで顔は見えないのに、体格で私ってバレてて、大学で噂になってたんです。あの大女、脱線事故の被害者だぞって。
・・・体格だけはどうしようもなくって、一人で考え込んでたらもう自殺でもしちゃいそうで。それでこのカウンセリングのこと聞いて、参加するようになったんですけど・・・
林文美の悩み
私の夫もあの事故の被害者です。主人から仕事場に電話がかかってきた時、病院に搬送されるって言ってたんですけど、あんな大ごとになってるって知らなくって、もう終業まで一時間くらいだったから、すぐには早退しなかったので・・・
・・・それにその晩、仕事の付き合いで、お客さんから食事に誘われてたんで、自宅に戻って着替えて化粧してから、主人がいつ帰ってくるのか連絡を取ろうとしたんですけど、つながらなくって。それで、どこの病院に担ぎ込まれたのか調べて・・・
・・・結局、主人は冷たくなっていました。私がすぐに駆け付けていたらと思うと・・・もう・・・
千田明弘の悩み
家内は優しい女性でした。彼女と結婚してよかったと思っておりますです。家内が死んだら私もすぐに死んでしまうだろうと思っておりましたです。それくらい家内なしでは・・・
・・・家内が、乗客が折り重なった車内で、どれだけ苦しんだかと思うと、食事をする気力さえなくなってきて、体重も10キロ落ちましたです。葬式を上げるまで、その二~三日さえも耐えられないだろうと思っておりましたのに、もう三か月になりますです・・・
・・・線路に置き石をした犯人は中学生だったそうですな。その子が憎い。まだ子供だから、罪の償いなど考えられる年じゃなかったでしょうな。でも、その子まで自殺したと聞いて、怒りの矛先をどこに向けたらいいのか分らんのです。
松井かなみの悩み
私は性格が暗いから、他人から暗い奴って思われることが多くて、目も一重だから睨んでるのかってよく言われます。もともとはアルバイトで入った仕事場でも、仕事ぶりを認めてもらって正社員になったんだけど、人と対立して孤立してて、私の悪口を言う人が多くて・・・
・・・別に陰口叩かれるのは慣れてるんでいいんですけど、お前らこそ群がって仕事さぼってんじゃないかって言いたいくらいです。でも最近、陰口じゃなくってわざと聞こえるように悪口言われたり・・・
・・・皆さんの悩みに比べたら自己中心的な悩みですけど、皆さんに慰めてもらえることで、何とか他人を見返してやろうって思えるようになったんです。
達也の番が来た。彼はドキドキしながらその順番を待っていた。
「じゃ、最後は下村さん、あなたの悩みを打ち明けてください」
町田が促すと、
「はい、では、・・・あの、こういうところで自分の悩みを話すのって、何か気が引けてうまく言えないんですけど・・・」
「気にすることないですよ。皆初めはそうでした」
林文美がそう言うと。
「そうです。少しずつでいいから話してごらんなさい。今日は少しでも、毎週参加しているうちに悩み全部話せるようになりますです」
千田明弘も静かにそう言った。
「そうですか、では・・・」
達也はその晩、10分ほど家庭の悩みを打ち明けた。それに対し皆は、達也の話に相槌を打って、問題に対して一緒に悩んでくれた。皆自分事のように考えて、言葉少なだが、共感してくれているのが解った。
一時間半ほどで、その日のカウンセリングは閉会となったが、達也には、あっという間の時間だった。
(ほんのわずかだけど、気持ちが楽になった気がする。でも、どこかまだ話足りないような・・・)
「下村さん、お住まいはどっちですか?」
松井かなみが、クリニック前の道路に出たところで訊いた。
「お疲れさまでした」
その他の四人は口々にそう言うと、自転車で帰宅し始めた。皆、外町駅の方角に向かうようだ。
「お疲れさまです。今日はありがとうございました」
達也は皆にそう言うと、松井かなみに向き合い、
「私はこっちです」
「じゃ、私と同じですね。よかった、いつも帰りが一人だから心細かったんですよ。上り坂だから私はいつも歩きです」
「そうですか、じゃ、ご一緒していいですか」
「お願いします。下村さんは何町ですか?」
「四手町です」
「あ、じゃ、私はその手前の諏訪町です」
二人は歩き始めた。
「なら、四手通りを真っ直ぐ行けば・・・」
「いえ、その通りの踏切は通りたくないんです」
「どうしてですか?」
「あの踏切って、事故が多いじゃないですか」
「ですかね。松井さんも脱線事故に辛い記憶があるんですか?」
「いいえ、私、脱線事故とは無関係です。でもあの踏切で何度も飛び込み自殺があって・・・」
何やら話しづらそうにしている。
「私目撃したんです。その脱線事故の犯人の子が飛び込む瞬間」
「え?」
達也はあまりの告白に言葉が出なかった。少し背筋に寒気が走るのを感じた。
(小さな町だから、あの事故の影響を受けてる人って、結構いるんだな)
「それは、ひどい経験ですね。じゃ、普段どこを通ってるんですか?」
「北側の地下道が便利なんですけど、でもこんな時間じゃ怖いんで、ちょっと大回りなんですが、いつも南の跨線橋まで迂回してるんです」
「そうですか、じゃ、今日は私も地下道を通って帰りますよ。そんなに遠回りにはならないんで」
「ありがとうございます」
二人は会話が弾むわけではなかったが、お互いに悩みを打ち明け合った仲というのは安心感が生まれるのか、緊張することなく、並んで歩くのだった。
「下村さんは、どんなお仕事されてるんですか?」
「仕事は電気技師です。今ちょうどスマホの通信アンテナ工事で忙しいんですよ」
「あら、電話アンテナの? 私は高ノ宮駅近くの電話局員です。意外に共通点ありましたね」
二人は線路下の地下道に差し掛かった。まだ新しい地下道で、照明は蛍光灯で一か所切れているものの結構明るい。中に入るとカビ臭いじめじめした空気が漂っていた。
「夜の人通りは少ないのかな。でも長い地下道って、それだけで不安ですよね」
達也は、松井かなみの気持ちを察して言った。
「でしょう。本当はここを通ると、うちの家まで一番の近道なんです」
「そうでしたか」
夜は確かに暗く、女性一人だと不安に思うだろうが、昼間だとそれほど危険な感じはしない。地下道を抜けてまっすぐ進むと、二人は古い住宅街の薄暗い丁字路に差し掛かった。
「私、この坂の上なので、ここで曲がります」
「あ、じゃ私はこのまま真っ直ぐ行きますから、ここまでということで」
「付き添っていただいてありがとうございました。来週もカウンセリング来られますよね」
「ええ、ぜひ出席したいと思っています」
「じゃ、また来週」
松井かなみは、そう言うと軽く会釈して、コツコツと坂道を登り始めた。
達也は少し名残惜しい気がしながら、その後姿を見送って、すぐに家に向かって歩き出した。




