↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/18

9

 二人はそれぞれ、パンケーキとコーヒーを注文した。

 やがて運ばれてきたパンケーキから、甘い香りが立ち上った。

 彩花はフォークを手に取り、一口食べた。


「美味しいです」


「そうか」


 響もパンケーキを口に運び、コーヒーを飲んだ。


 しばらく二人とも黙って食べていた。

 やがて彩花が口を開いた。


「響さん」


「なんだ?」


「ジェニファーさんと別れてください」


 響はコーヒーカップをテーブルに置いた。


「理由は?」


「私は妻として、夫に恋人がいるなんて耐えられません」


「妻は君一人しかいない」


 響は淡々と言った。


「恋人がいようが、愛してるのは君だけだ」


 彩花は少し驚いた。


「……ジェニファーさんに対して愛情はないと?」


「そうだ」


 響は即答した。


「ジェニファーには恋愛感情がある。君には愛情がある。全くの別物だ」


「……私には理解できません」


「君も恋人を作ればわかる」


 彩花はすぐに首を横に振った。


「作りません!」


「なぜだ?」


「私の心は全て、響さんのものだからです」


 響は少し黙った。

 そして、コーヒーを飲みながら言った。


「どうりで嫉妬深いわけだ」


「!」


 彩花の眉がぴくりと動いた。


「嫉妬深いって…、誰のせいだと思ってるんですか」


「俺のせいか?」


「そうです」


「人のせいにするな」


 響は平然としている。

 彩花は小さくため息をついた。

 やがて二人はパンケーキを食べ終えた。


 響が財布を取り出す。

 そして金属製のカードを店員に渡した。

 会計を済ませ、二人が店を出ようとした、そのときだった。

 店の外で突然、女性の叫び声が響いた。


「Help!(助けて)」


 見ると、一人の男が女性のバッグを奪い、走って逃げていくところだった。

 響は一瞬だけ男を見た。

 そして、すぐに走り出した。


「響さん!」


 彩花が驚いて声を上げる。

 響は振り返らなかった。

 白いシャツを風になびかせながら、バッグを持って逃げる男を追いかけていった。

 彩花はその背中を見つめた。

 さっきまでパンケーキを食べながら、自分の嫉妬深さを笑っていた男とは思えなかった。

 彩花は慌てて、その後を追いかけた。


 響は逃げる男との距離を一気に縮めた。

 男が振り返った瞬間、響はその腕をつかんだ。


「Let me go!(離せ)」


 男が英語で叫んだ。

 しかし響は手を緩めなかった。


「Stop resisting.(抵抗するな)」


「Get your hands off me!(俺から手を離せ)」


 男が腕を振りほどこうともがく。

 響はその腕を押さえ込み、そのまま地面へ取り押さえた。


「I said, let me go!(離せと言っているだろ!)

 男が叫ぶ。


 響は男を見下ろした。

 そして、静かに話し始める。


「You're lucky I'm Japanese.(俺が日本人でよかったな)」


「What?(何だと?)」


 男が怪訝そうな顔をする。

 響は表情を変えなかった。


「If I were American, I'd have shot you by now.(もし俺がアメリカ人だったら、今頃、お前を撃ち殺している)」


「……」


 響は男の腕を押さえたまま続けた。


「I'm not carrying a gun. So consider yourself lucky.(俺は銃を持っていない。だから、運がよかったと思え)」


 男の顔から血の気が引いていく。

 やがて男は抵抗することを諦めた。


「Fine…… I give up.(分かった……降参する)」


「Good choice.(賢明な判断だ)」


 男がバッグから手を離す。

 響はそれを拾い上げた。

 彩花が息を切らしながら響に歩み寄る。


「響さん……!」


 響は何事もなかったように立ち上がった。


「It's over.(終わった)」


「……何を言っているのか、さっぱり分かりません」


 彩花が息を整えながら言う。


 響は彩花の方に視線を向け

「だろうな」

 そう言って、犯人の男を見張るよう通行人に声をかけ、そのままバッグを持ち主の女性へ返すため、歩き出した。


 バッグの持ち主は、若い日本人女性だった。


「これ、あなたのバッグですよね?」


「はい……!」


 女性は慌ててバッグを受け取った。


「ありがとうございました!」


「怪我はないですか?」


「はい。大丈夫です」


 響は安心したように微笑んだ。


「それならよかった」


 そして、女性の耳に顔を近づけて語りかける。


「海外では、こういったことが多いですから、お気をつけて」


「はっ…はい!気をつけます」


 女性は頷いた。

 そして響の顔を見つめたまま、頬を赤くした。

 見つめ合う二人。


 その様子を少し離れたところから見ていた彩花は、ゆっくり目を閉じた。


「…………」


 怒ってはいけない。

 これは人助けなのだから。

 そう自分に言い聞かせる。

 けれど、胸の奥には妙な苛立ちが残った。


 そのとき、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 ほどなくして、警察官たちを乗せたパトカーが到着した。

 警察官が車から降りる。

 響はすぐに彼らのところへ向かった。


「He stole her bag. I chased him and stopped him over there.(彼が彼女のバッグを盗み、私が追いかけて、あそこで取り押さえました)」


 響は落ち着いた口調で事情を説明した。

 警察官が何度か質問し、響はそれに答えていく。

 やがて警察官が男を立たせ、パトカーへ連れていった。

 後部座席のドアが閉まる。

 パトカーはサイレンを鳴らしながら、その場を去っていった。


 彩花が響の隣へ歩いてきた。

 響は何事もなかったように眼鏡の位置を直す。


「行くか」


「はい…」


 彩花はバッグの持ち主である女性の赤くなった顔が、どうしても頭から離れず、心の中でため息をついた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。