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二人はそれぞれ、パンケーキとコーヒーを注文した。
やがて運ばれてきたパンケーキから、甘い香りが立ち上った。
彩花はフォークを手に取り、一口食べた。
「美味しいです」
「そうか」
響もパンケーキを口に運び、コーヒーを飲んだ。
しばらく二人とも黙って食べていた。
やがて彩花が口を開いた。
「響さん」
「なんだ?」
「ジェニファーさんと別れてください」
響はコーヒーカップをテーブルに置いた。
「理由は?」
「私は妻として、夫に恋人がいるなんて耐えられません」
「妻は君一人しかいない」
響は淡々と言った。
「恋人がいようが、愛してるのは君だけだ」
彩花は少し驚いた。
「……ジェニファーさんに対して愛情はないと?」
「そうだ」
響は即答した。
「ジェニファーには恋愛感情がある。君には愛情がある。全くの別物だ」
「……私には理解できません」
「君も恋人を作ればわかる」
彩花はすぐに首を横に振った。
「作りません!」
「なぜだ?」
「私の心は全て、響さんのものだからです」
響は少し黙った。
そして、コーヒーを飲みながら言った。
「どうりで嫉妬深いわけだ」
「!」
彩花の眉がぴくりと動いた。
「嫉妬深いって…、誰のせいだと思ってるんですか」
「俺のせいか?」
「そうです」
「人のせいにするな」
響は平然としている。
彩花は小さくため息をついた。
やがて二人はパンケーキを食べ終えた。
響が財布を取り出す。
そして金属製のカードを店員に渡した。
会計を済ませ、二人が店を出ようとした、そのときだった。
店の外で突然、女性の叫び声が響いた。
「Help!(助けて)」
見ると、一人の男が女性のバッグを奪い、走って逃げていくところだった。
響は一瞬だけ男を見た。
そして、すぐに走り出した。
「響さん!」
彩花が驚いて声を上げる。
響は振り返らなかった。
白いシャツを風になびかせながら、バッグを持って逃げる男を追いかけていった。
彩花はその背中を見つめた。
さっきまでパンケーキを食べながら、自分の嫉妬深さを笑っていた男とは思えなかった。
彩花は慌てて、その後を追いかけた。
響は逃げる男との距離を一気に縮めた。
男が振り返った瞬間、響はその腕をつかんだ。
「Let me go!(離せ)」
男が英語で叫んだ。
しかし響は手を緩めなかった。
「Stop resisting.(抵抗するな)」
「Get your hands off me!(俺から手を離せ)」
男が腕を振りほどこうともがく。
響はその腕を押さえ込み、そのまま地面へ取り押さえた。
「I said, let me go!(離せと言っているだろ!)
男が叫ぶ。
響は男を見下ろした。
そして、静かに話し始める。
「You're lucky I'm Japanese.(俺が日本人でよかったな)」
「What?(何だと?)」
男が怪訝そうな顔をする。
響は表情を変えなかった。
「If I were American, I'd have shot you by now.(もし俺がアメリカ人だったら、今頃、お前を撃ち殺している)」
「……」
響は男の腕を押さえたまま続けた。
「I'm not carrying a gun. So consider yourself lucky.(俺は銃を持っていない。だから、運がよかったと思え)」
男の顔から血の気が引いていく。
やがて男は抵抗することを諦めた。
「Fine…… I give up.(分かった……降参する)」
「Good choice.(賢明な判断だ)」
男がバッグから手を離す。
響はそれを拾い上げた。
彩花が息を切らしながら響に歩み寄る。
「響さん……!」
響は何事もなかったように立ち上がった。
「It's over.(終わった)」
「……何を言っているのか、さっぱり分かりません」
彩花が息を整えながら言う。
響は彩花の方に視線を向け
「だろうな」
そう言って、犯人の男を見張るよう通行人に声をかけ、そのままバッグを持ち主の女性へ返すため、歩き出した。
バッグの持ち主は、若い日本人女性だった。
「これ、あなたのバッグですよね?」
「はい……!」
女性は慌ててバッグを受け取った。
「ありがとうございました!」
「怪我はないですか?」
「はい。大丈夫です」
響は安心したように微笑んだ。
「それならよかった」
そして、女性の耳に顔を近づけて語りかける。
「海外では、こういったことが多いですから、お気をつけて」
「はっ…はい!気をつけます」
女性は頷いた。
そして響の顔を見つめたまま、頬を赤くした。
見つめ合う二人。
その様子を少し離れたところから見ていた彩花は、ゆっくり目を閉じた。
「…………」
怒ってはいけない。
これは人助けなのだから。
そう自分に言い聞かせる。
けれど、胸の奥には妙な苛立ちが残った。
そのとき、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
ほどなくして、警察官たちを乗せたパトカーが到着した。
警察官が車から降りる。
響はすぐに彼らのところへ向かった。
「He stole her bag. I chased him and stopped him over there.(彼が彼女のバッグを盗み、私が追いかけて、あそこで取り押さえました)」
響は落ち着いた口調で事情を説明した。
警察官が何度か質問し、響はそれに答えていく。
やがて警察官が男を立たせ、パトカーへ連れていった。
後部座席のドアが閉まる。
パトカーはサイレンを鳴らしながら、その場を去っていった。
彩花が響の隣へ歩いてきた。
響は何事もなかったように眼鏡の位置を直す。
「行くか」
「はい…」
彩花はバッグの持ち主である女性の赤くなった顔が、どうしても頭から離れず、心の中でため息をついた。




