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ハワイの空は、屋敷で見る空よりずっと広かった。
海から吹いてくる風が、街の熱気を少しずつ運んでいく。
響はブランドの白いシャツにズボンを合わせ、黒髪を風に揺らしながらハワイの街中を歩いていた。眼鏡の奥の目はいつもと変わらず落ち着いている。
その隣を、彩花が歩いている。
白いワンピース。
長い茶髪。
白いヒール。
普段、屋敷の中で見る彼女とは少し違って見えた。
二人は観光客で賑わう通りを抜け、海がよく見える場所までやってきた。
遠くに広がる海は、陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
彩花は足を止めた。
「……綺麗」
響は隣に立った。
「そうだな」
「日本にいるときは、こんな景色を見ることなんてあまりありませんでした」
彩花は海を見つめていた。
風が髪を揺らす。
その風に目を細めながら、彩花は小さく笑った。
幸せだった。
ほんの少し前まで、自分たちはどうなるのだろうと思っていた。
響に拒絶され、別居まで切り出された。
それなのに今、自分は彼の隣にいる。
同じ時間を過ごしている。
そして、こうして二人で海を眺めている。
彩花は胸の奥で、その幸せを静かに噛み締めていた。
「響さん」
「ん?」
「新婚旅行、こんな素敵な場所に連れてきてもらって…私は幸せ者です」
響は彩花を見た。
「そうか」
短い返事だった。
けれど彩花には、それだけで十分だった。
海の向こうでは、水平線が空と静かにつながっていた。
彩花は響の隣に立ったまま、その景色を眺め続けた。
そして気づかないうちに、響の手に自分の手を重ねていた。
響は何も言わなかった。
♢
海を眺めていた響が、ふと思い出したようにスマートフォンを取り出した。
「ハワイに来たからには、会いたい人がいる」
「会いたい人?」
彩花が尋ねる。
響は答える代わりに電話をかけた。
一人目に電話をかける。
「俺だ。今、ハワイにいる」
少し話してから、響は海の方へ視線を向けた。
「ホテル近くの海辺にいる。分かるか?」
相手の返事を聞き、響は場所を伝えた。
「じゃあ、そこで待ってる」
電話を切ると、すぐに二人目へ電話をかけた。
「久しぶりだな。今、ハワイだ。ホテル近くの海辺にいる」
そして三人目にも同じように電話をかけた。
「君も来てくれ。ホテル近くの海辺だ」
三人との電話を終える。
彩花は首を傾げた。
「……どなたなんですか?」
「会えば分かる」
響はそう言って、何事もなかったように海を眺めた。
しばらくして、遠くから三人の女性が歩いてきた。
若い女性二人は、響の女友だちだった。
そして、その中央を歩いていたのがジェニファーだった。
金髪の長い髪。
グラマラスな体つき。
赤いタイトな服に赤いヒール。
彼女は響の姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄った。
「響サン、アイタカッタ!」
「久しぶりだな、ジェニファー」
ジェニファーは響に抱きつき、そのまま唇にキスをした。
「ちょっと!」
彩花が慌てて二人を引き離した。
ジェニファーが驚いた顔をする。
「ナニスルノ?」
「それはこっちのセリフです!会って早々、彼にキスするなんて、どういうつもりですか!?」
「アナタ、ダレ?」
「私は響さんの妻の彩花です!」
ジェニファーは首を傾げた。
「ツマ?」
「そう!英語で妻は…えっと…」
その横で、響が小さくため息をついた。
「wifeだ…」
そう言って響がジェニファーの隣に立つ。
「彩花、紹介しよう。恋人のジェニファーだ」
「……え?」
彩花は固まった。
「…妻がいるのに恋人がいるって、どういうことですか?」
「君の価値観を俺に押し付けるな」
「これは…私の価値観ではなく、常識です!」
「常識…か」
響は少し考えるように言った。
「教科書に書いてあるのか?」
「え?」
「妻がいる男性は恋人を作ってはならない、授業でそう習ったのかと聞いているんだ」
「…………」
彩花は黙った。
その間に、響の女友だちの一人が響の腕に触れた。
「響、今度またナイトプール行こうよ」
「そうだな、いい場所があったら予約しておく」
「やったぁ!」
もう一人の女性も笑いながら響の肩に触れた。
「私は温泉がいいな~」
「群馬にいい温泉宿がある、また一緒に行こう」
「ほんと?嬉しい!」
ジェニファーがそれを見て、少し頬を膨らませる。
「ワタシのカレにサワラナイデ!」
「ごめんごめん!」
女友だちは笑った。
3人の女性が響を囲い、楽しそうに会話している。
彩花は一人、呆然と立ち尽くしていた。
「じゃあ、また連絡してね。ナイトプール楽しみにしてる」
「ああ、連絡する」
「響、私と温泉に行くの、約束だよ?」
「ああ、わかってる」
響は笑顔で手を振った。
2人の女性は笑いながら去っていった。
その背中を見送ってから、彩花は頭を抱えた。
「響さん……」
「なんだ?」
「私、なんだか頭が痛いです……」
「頭痛薬でも飲んでおけ。じきに治る」
「………」
(誰のせいで頭がいたいと思ってるの…)
彩花の胸の奥に小さな苛立ちが生まれた。
そのとき、ジェニファーが少し先にある、おしゃれなカフェを指差す。
「響サン、ハワイにキタラ、アソコノカフェ、オススメデス」
「ああ、あそこか」
響は頷いた。
「ありがとう、ジェニファー。行ってみるよ」
「ゼヒ、イッテクダサイ」
ジェニファーは嬉しそうに笑った。
そして響の首元に軽くキスをする。
「マタ、コンヤ、アイマショウ!」
そう言って、ジェニファーは去っていった。
彩花はその背中を見送った。
「…………」
「行くぞ」
響が歩き出す。
彩花は深いため息をついた。
二人は海沿いの道を歩き、ジェニファーが教えてくれたカフェへ向かった。
店内は白を基調とした落ち着いた雰囲気で、大きな窓から青い海が見えた。
響が席に座る。
彩花も向かいに座った。
メニューを開きながら、彩花はちらりと響を見る。
さっきまで女性たちに囲まれていた男が、今は何事もなかったかのようにメニューを眺めている。
彩花は思った。
新婚旅行に来たはずなのに。
どうして私は、こんなにも疲れているのだろう。




