↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/18

8

 ハワイの空は、屋敷で見る空よりずっと広かった。

 海から吹いてくる風が、街の熱気を少しずつ運んでいく。


 響はブランドの白いシャツにズボンを合わせ、黒髪を風に揺らしながらハワイの街中を歩いていた。眼鏡の奥の目はいつもと変わらず落ち着いている。


 その隣を、彩花が歩いている。

 白いワンピース。

 長い茶髪。

 白いヒール。

 普段、屋敷の中で見る彼女とは少し違って見えた。


 二人は観光客で賑わう通りを抜け、海がよく見える場所までやってきた。

 遠くに広がる海は、陽の光を受けてきらきらと輝いていた。

 彩花は足を止めた。


「……綺麗」


 響は隣に立った。


「そうだな」


「日本にいるときは、こんな景色を見ることなんてあまりありませんでした」


 彩花は海を見つめていた。

 風が髪を揺らす。

 その風に目を細めながら、彩花は小さく笑った。

 幸せだった。

 ほんの少し前まで、自分たちはどうなるのだろうと思っていた。


 響に拒絶され、別居まで切り出された。

 それなのに今、自分は彼の隣にいる。

 同じ時間を過ごしている。

 そして、こうして二人で海を眺めている。

 彩花は胸の奥で、その幸せを静かに噛み締めていた。


「響さん」


「ん?」


「新婚旅行、こんな素敵な場所に連れてきてもらって…私は幸せ者です」


 響は彩花を見た。


「そうか」


 短い返事だった。

 けれど彩花には、それだけで十分だった。

 海の向こうでは、水平線が空と静かにつながっていた。

 彩花は響の隣に立ったまま、その景色を眺め続けた。

 そして気づかないうちに、響の手に自分の手を重ねていた。

 響は何も言わなかった。


 ♢


 海を眺めていた響が、ふと思い出したようにスマートフォンを取り出した。


「ハワイに来たからには、会いたい人がいる」


「会いたい人?」


 彩花が尋ねる。

 響は答える代わりに電話をかけた。


 一人目に電話をかける。


「俺だ。今、ハワイにいる」


 少し話してから、響は海の方へ視線を向けた。


「ホテル近くの海辺にいる。分かるか?」


 相手の返事を聞き、響は場所を伝えた。


「じゃあ、そこで待ってる」


 電話を切ると、すぐに二人目へ電話をかけた。


「久しぶりだな。今、ハワイだ。ホテル近くの海辺にいる」


 そして三人目にも同じように電話をかけた。


「君も来てくれ。ホテル近くの海辺だ」


 三人との電話を終える。

 彩花は首を傾げた。


「……どなたなんですか?」


「会えば分かる」


 響はそう言って、何事もなかったように海を眺めた。


 しばらくして、遠くから三人の女性が歩いてきた。

 若い女性二人は、響の女友だちだった。

 そして、その中央を歩いていたのがジェニファーだった。

 金髪の長い髪。

 グラマラスな体つき。

 赤いタイトな服に赤いヒール。

 彼女は響の姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄った。


「響サン、アイタカッタ!」


「久しぶりだな、ジェニファー」


 ジェニファーは響に抱きつき、そのまま唇にキスをした。


「ちょっと!」


 彩花が慌てて二人を引き離した。

 ジェニファーが驚いた顔をする。


「ナニスルノ?」


「それはこっちのセリフです!会って早々、彼にキスするなんて、どういうつもりですか!?」


「アナタ、ダレ?」


「私は響さんの妻の彩花です!」


 ジェニファーは首を傾げた。


「ツマ?」


「そう!英語で妻は…えっと…」


 その横で、響が小さくため息をついた。


「wife(ワイフ)だ…」


 そう言って響がジェニファーの隣に立つ。


「彩花、紹介しよう。恋人のジェニファーだ」


「……え?」


 彩花は固まった。


「…妻がいるのに恋人がいるって、どういうことですか?」


「君の価値観を俺に押し付けるな」


「これは…私の価値観ではなく、常識です!」


「常識…か」


 響は少し考えるように言った。


「教科書に書いてあるのか?」


「え?」


「妻がいる男性は恋人を作ってはならない、授業でそう習ったのかと聞いているんだ」


「…………」


 彩花は黙った。

 その間に、響の女友だちの一人が響の腕に触れた。


「響、今度またナイトプール行こうよ」


「そうだな、いい場所があったら予約しておく」


「やったぁ!」


 もう一人の女性も笑いながら響の肩に触れた。


「私は温泉がいいな~」


「群馬にいい温泉宿がある、また一緒に行こう」


「ほんと?嬉しい!」


 ジェニファーがそれを見て、少し頬を膨らませる。


「ワタシのカレにサワラナイデ!」


「ごめんごめん!」


 女友だちは笑った。

 3人の女性が響を囲い、楽しそうに会話している。

 彩花は一人、呆然と立ち尽くしていた。


「じゃあ、また連絡してね。ナイトプール楽しみにしてる」


「ああ、連絡する」


「響、私と温泉に行くの、約束だよ?」


「ああ、わかってる」


 響は笑顔で手を振った。

 2人の女性は笑いながら去っていった。

 その背中を見送ってから、彩花は頭を抱えた。


「響さん……」


「なんだ?」


「私、なんだか頭が痛いです……」


「頭痛薬でも飲んでおけ。じきに治る」


「………」


(誰のせいで頭がいたいと思ってるの…)


 彩花の胸の奥に小さな苛立ちが生まれた。

 そのとき、ジェニファーが少し先にある、おしゃれなカフェを指差す。


「響サン、ハワイにキタラ、アソコノカフェ、オススメデス」


「ああ、あそこか」


 響は頷いた。


「ありがとう、ジェニファー。行ってみるよ」


「ゼヒ、イッテクダサイ」


 ジェニファーは嬉しそうに笑った。

 そして響の首元に軽くキスをする。


「マタ、コンヤ、アイマショウ!」


 そう言って、ジェニファーは去っていった。

 彩花はその背中を見送った。


「…………」


「行くぞ」


 響が歩き出す。

 彩花は深いため息をついた。

 二人は海沿いの道を歩き、ジェニファーが教えてくれたカフェへ向かった。


 店内は白を基調とした落ち着いた雰囲気で、大きな窓から青い海が見えた。

 響が席に座る。

 彩花も向かいに座った。


 メニューを開きながら、彩花はちらりと響を見る。

 さっきまで女性たちに囲まれていた男が、今は何事もなかったかのようにメニューを眺めている。

 彩花は思った。

 新婚旅行に来たはずなのに。

 どうして私は、こんなにも疲れているのだろう。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。