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10

 彩花は、先を歩いていく響を追って走った。


「響さん、待ってください!」


 しかし、数歩走ったところで、足首に鋭い痛みが走った。


「いたっ…!」


 彩花は足を止めた。

 どうやら、足をひねってしまったらしい。

 振り返った響が、すぐに気づいた。


「どうした?」


「少し、足をひねってしまって……」


 響は彩花の足元を見る。


「見たところ、問題なさそうだが…」


「…もう、大丈夫です」


 彩花が一歩踏み出そうとした瞬間、響はしゃがみ込んだ。


「え?」


 次の瞬間、彩花の身体がふわりと浮いた。

 響が彩花をお姫様抱っこしていた。


「きゃっ……!」


 彩花は慌てて響の首に腕を回した。


「ちょ、ちょっと響さん!」


「なんだ」


「降ろしてください……恥ずかしいです」


「無理して歩くよりいいだろ」


 響は平然としていた。

 まるで、妻を抱き上げて歩くことなど何でもないことのようだった。

 彩花は周囲を見回した。


「みんな見てます……」


「気にするな」


「私は気にします」


「じゃあ、目を閉じていろ」


「そういう問題じゃありません」


 彩花は顔を真っ赤にした。

 一方の響は、まったく動じていなかった。

 そのまま近くの病院へ向かう。

 診察を受けた結果、大きな怪我はなく、しばらく安静にしていれば問題ないということだった。


「よかったな」


 診察室を出た響が言った。


「はい……」


 彩花はほっと息をつく。


「もう歩けるか?」


「ゆっくりなら」


「無理するなよ」


 響は彩花の歩く速度に合わせて、ゆっくりと歩き始めた。

 ホテルへ戻る途中、彩花は隣を歩く響を見上げた。


「響さん」


「ん?」


「さっきは、ありがとうございました」


「何が?」


「病院まで運んでくれたことです」


 響は少しだけ彩花を見る。


「大したことはしていない、俺は当たり前のことをしたまでだ」


「…響さんの、そういうところ大好きです」


「いちいちそんなこと、言わなくていい」


「照れてるんですか?」


「俺が照れるわけないだろ」


 二人はそのままホテルへ戻った。

 青い海から吹いてくる風が、二人の間を静かに通り過ぎていった。


 ♢


 夕食を終えた二人は、ホテルの部屋へ戻った。

 シャワーを浴び、夜も遅くなったころ、部屋には静かな空気が流れていた。

 彩花はソファに座り、風呂上がりの響を見つめていた。


 濡れた黒髪。

 眼鏡を外した顔。

 館内着を無造作に羽織った姿。

 普段、きちんとした服装でいるときとは違う、少し無防備な雰囲気があった。

 そんな夫に彩花は思わず見惚れていた。


「……どうした?」


 響が気づいて、彩花を見る。


「いえ……」


 彩花は少し顔を赤くした。

 新婚旅行なのだから、もっと新婚夫婦らしく過ごしたい。

 そう思った彩花はソファから立ち上がり、響との距離を縮めた。


「響さん……」


「ん?」


「今夜は、その……もう少しスキンシップを取りたいなって…」


 響は彩花を見る。

 しかし、あまり乗り気ではないようだった。


「くだらない…、君は発情期の動物か?」


「……」


 彩花は顔を赤らめ、両手で顔を覆う。

 そのとき、響のスマートフォンが鳴った。

 画面を見る。


「ジェニファーだ」


 その一言に、彩花の表情が固まった。

 響は電話に出る。


「響サン!イマドコニイルノ?」


 電話の向こうから、ジェニファーの声が聞こえてくる。

 響は少し話したあと、答えた。


「今、ホテルにいる」


 しばらく沈黙する。


「……ホテルのロビーにいるのか?」


 ジェニファーがホテルのロビーにいるらしい。


「分かった。今行く」


 響は電話を切った。


「響さん?」


「ジェニファーが一階のロビーにいる」


「……迎えに行くんですか?」


「少し話をするだけだ」


 響は上着を手に取った。

 彩花は何も言えなかった。


「すぐ戻る」


 それだけ言うと、響は部屋を出ていった。


 扉が閉まる。

 静寂が戻ってきた。

 彩花は一人、部屋に残された。

 さっきまで響がいた場所を見つめる。


 新婚旅行。

 二人きりの夜。

 本当なら、もっと幸せな時間になるはずだった。

 彩花はソファに座り、膝を抱えた。

 窓の外では、ハワイの夜の街が静かに輝いていた。

 その光を眺めながら、彩花は小さく息をついた。



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