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 しばらくして、彩花がいる部屋の扉がノックされる。


「響さん?」


 彩花が扉を開けた。

 そこに立っていたのは、赤いロングドレスを着たジェニファーだった。


「ジェニファーさん……?」


 ジェニファーは何も言わず、彩花の方へ歩いてきた。

 そして、彩花と共に部屋の中へと入っていく。


「アナタ、響サンをかけて、ワタシと勝負しなさい」


「……勝負?」


 彩花は戸惑った。


「響さんは?」


「トリヒキサキノ社長サンと電話してる」


「そうですか……」


 ジェニファーは部屋を見回した。

 そしてリビングルームにある机の前まで歩いていき、右ひじを机についた。


「腕ずもうで勝負シナサイ!」


「腕相撲……?」


「負ケタほうが、響サンとお別れする、ワカッタ?」


 彩花は呆れた。


「めちゃくちゃだわ……」


 ジェニファーは彩花を見つめた。


「勝てないから逃ゲルノ?」


 その言葉に、彩花の眉がぴくりと動いた。


「……逃げる?」


 彩花は立ち上がった。

 そして机の反対側へ回り、ジェニファーの向かい合う形で右肘を机についた。


「いいでしょう」


 ジェニファーが笑った。


「ソウコナクチャ」


 二人は机を挟んで向かい合った。

 彩花はジェニファーの手を握った。


「絶対に負けませんから」


「ワタシもヨ」


 部屋の空気が、一瞬で変わった。

 二人の間には、奇妙な緊張感が生まれていた。


「カウントダウンします。3・2・1・はい!」


「かってにハジメルナヨ!」


 彩花とジェニファーは、机を挟んで腕相撲を始める。

 二人とも互いの手を握り、必死に力を込めている。


「……くっ」


「マケナイ……!」


 彩花の腕が少しずつ押されていく。


「このままわたしが勝チマス~♪」


 ジェニファーが笑った。


「……負けるもんですか!」


 彩花は歯を食いしばった。

 そのとき、部屋の扉が開いた。


「おい……、一体何をしてるんだ?」

 響が髪をかき上げながら言った。


 二人は腕を組んだまま、響を見る。


「響サン!」


 ジェニファーが叫ぶ。


「何してる?」


「響サンをかけて、ワタシと彩花サンが勝負してるの」


「……大の大人がなにやってるんだ…まったく…」


 響は呆れたように二人を見た。


「負けたほうが響サンと別れるのよ!」


 ジェニファーが言った。

 響は少し考えた。

 そして、まだ腕相撲を続けている彩花の隣に立った。


「彩花」


「……はい?」


「手をそのままにしていろ」


「え?」


 響は彩花の右手を握った。


「響さん……?」


 ジェニファーが目を見開く。


「ちょっと待って、響サン!」


 しかし響は構わず、彩花と一緒に力を込めた。


「せーの」


 彩花と響の力が一つになる。


「ナニ……!?」


 ジェニファーの腕が一気に傾いた。

 そして、ぱたん、と右手の甲が机についた。


「……アリエナイワ…」


 ジェニファーが呆然と呟いた。

 彩花は響を見上げた。


「響さん……どうして……」


 ジェニファーも響を見る。


「これはいったい、ドウイウコトナノ!?」


 響は二人を見た。


「彩花は今日、頭痛で本調子じゃない。それに、足も軽く捻挫してる」


「…………」


「だから、あまり無理をさせないでくれ」


 ジェニファーはしばらく黙っていた。

 そして、彩花を見る。


「……私ヨリ、彩花さんが大事ってコト…」


 響は答えなかった。

 ジェニファーは小さく笑った。


「わかった……サヨナラ、響サン」


 そして、少しだけ強がるように顔を上げた。


「あなたヨリいい男、つかまえてヤルワ!」


 ジェニファーはそう言い残し、部屋を出ていった。

 扉が閉まる。

 彩花はしばらく響を見つめていた。


「……響さん」


「ん?」


「ジェニファーさんを追いかけなくていいんですか?」


 響は少し不思議そうな顔をした。


「今は彼女より、君の方が心配だ…」


 あまりにも当然のことのように言われて、彩花は胸の奥が温かくなるのを感じていた。


「……あまり無茶なことはするな」


 響はそう言って、彩花を見つめた。

 その言葉を聞いた瞬間、彩花の胸の奥に、じんわりとしたものが広がった。

 自分のことを心配してくれている。それだけのことが、ただただ嬉しかった。


 彩花は響に一歩近づいた。

 そして、響の唇に自分の唇を重ねる。

 長いキスだった。

 やがて唇を離すと、彩花は少し頬を赤くしながら響を見上げた。


「響さん…、愛してる…」


「……」


 響はしばらく黙っていた。

 それから、淡々とした声で言った。


「君は馬鹿か?」


「え?」


 彩花が目を瞬かせる。


「こういうことは自宅に帰ってするものだ、全く…。修学旅行で浮かれた恋人同士でもあるまいし…」


 響は眼鏡を直した。


「みっともないにもほどがある」


 そう言い残すと、響はそのまま寝室へ入っていった。

 扉が静かに閉まる。


「…………」


 彩花はその場に立ち尽くした。


「……私たち、新婚夫婦なのに……」


 彩花は小さく呟く。

 閉じられた寝室の扉を見つめたまま、しばらく動くことができなかった。


 ♢


 彩花はしばらく寝室の前で立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと扉を開けた。

 部屋の中では、響がベッドの端に腰を下ろし、電話で誰かと話していた。

 さっきまでの冷たい態度とは違っていた。声は柔らかく、どこか楽しそうだった。


「……ああ、それは面白いな」


 響が小さく笑う。

 彩花は黙ってその姿を見つめた。

 やがて響は彩花に気づき、少しだけ視線を向けた。


「じゃあ、またな」


 通話を切る。


「なんだ?」


「……いま、誰と話してたんですか?」


「ローラだ」


「……は?」


 彩花の表情が固まった。

 響は何でもないことのように答える。


「友達以上、恋人未満のローラだ。君には関係ない」


 その瞬間、彩花の中で何かが切れた。


「ジェニファーの次はローラですか?」

 声が震えていた。


「一体、何人の女性を口説いて……」


「口説いていない!」

 響が珍しく声を荒らげた。


「ジェニファーもローラも俺に惚れた。それだけのことだ」


「そんなの……」


 彩花の目に涙が浮かぶ。


「いいかげんにして!」


 響は何も言わなかった。


「…………」


 彩花は唇を噛んだ。


「これ以上、私を不安にさせないで……」

 そう言って両手で顔を覆い、肩を小さく震わせる。


 響はベッドに座ったまま、そんな彩花を黙って見つめていた。

 いつもなら、何を言われても平然としていられる。

 けれど今の彩花の姿だけは、なぜか見ていられなかった。

 響はゆっくりと立ち上がった。



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