16
直樹はもう黙って見ていることができなかった。
テラスへ向かって歩き、響と架純の間に割って入る。
「直樹さん!?」
架純が驚いた声を上げる。
直樹は響を見つめた。
「妻と親しくするのは構わない」
一度言葉を切る。
「だが、少し距離が近すぎやしないか?」
響は直樹を見つめた。
「……さきほどのやり取りを見ていたんですか?」
「ああ……」
直樹はそう答えると、架純の肩に手を置き、響から少し離れさせた。
「直樹さん……」
架純は困惑した表情を浮かべる。
その様子を、少し離れた場所から彩花が見守っていた。
直樹は真剣な顔をしている。
響はしばらく何も言わなかった。
やがて、深く息を吐く。
「……」
響は眼鏡の位置を指で直した。
そして、直樹をまっすぐ見た。
「直樹さん。少し、二人きりで話がしたいです」
「……分かった」
二人はそのまま屋敷の中へ入っていった。
残された架純は、不安そうに二人の後ろ姿を見つめていた。
彩花が架純に近づき、そっと彼女の手を取る。
「架純さん」
「はい」
「二人の後を追いましょう」
「え?」
彩花が架純の手を引き、響と直樹の後を追って屋敷の中へ入っていった。
♢
響と直樹は、屋敷の二階にある談話室へ入った。
普段は客をもてなすために使われている部屋だったが、今は誰もいない。大きな窓から差し込む午後の光が、静かな室内を照らしている。
扉が閉まる。
その直後、廊下にいた彩花と架純が顔を見合わせた。
「……どうしましょう」
架純が小声で言う。
彩花は少し考えたあと、そっと扉に近づいた。
「何を話しているのか…聞いてみましょう」
二人は扉に耳を近づけた。
中から、直樹の声が聞こえてくる。
「まさかとは思うが……うちの妻と浮気してるんじゃないだろうな?」
「まさか……ありもしない憶測はやめていただきたい」
「だが、さっきの君の態度は__」
「直樹さん」
響の声が少し低くなった。
直樹が言葉を止める。
次の瞬間、響が一歩近づいた。
「……なっ…なんだ?」
直樹の背中が壁に触れる。
響は直樹を壁際まで追い込み、その横に手をついた。
「っ……なんなんだ一体…」
廊下で聞いていた彩花と架純が息を呑む。
部屋の中では、響が直樹と目を合わせていた。
「どうして、僕と架純さんの会話を盗み聞きしていたんですか?」
「……君は完璧すぎる男だから、本性が知りたいと思った…、そしたら案の定、自分の妻を口説いていたというわけだ」
「口説いていません、あれは_」
「言い訳は聞きたくない」
「……」
「……」
響はしばらく直樹を見つめた。
扉の向こうでは、彩花と架純が固唾を呑んでいる。
「どうなるんでしょう……」
架純が震える声で囁いた。
「……わかりません」
彩花も小さく答えた。
部屋の中では、二人の男が一歩も引かずに向かい合っていた。
響は壁際に立つ直樹を見つめていた。
しばらく沈黙したあと、響が静かに口を開いた。
「僕は、あなたのことを尊敬しています」
直樹が目を見開く。
「……俺を尊敬しているだと?」
「はい」
響は眼鏡の位置を直した。
「財閥家の長男としての直樹さんは、僕にとってお手本…」
「…………」
「自分が目指すべき姿だと思っています」
直樹の表情が少しずつ変わっていき、先ほどまでの警戒心が、ゆっくりとほどけていく。
「だからこそ、あなたのことをもっと知りたいと思いました」
響は続ける。
「それで、架純さんと親しくなって、直樹さんのことをいろいろ聞こうとしていたんです」
「…………」
直樹はしばらく言葉を失っていた。
やがて、深く息を吐く。
「そういうことか……」
その声には、先ほどまでの険しさはなかった。
「話が聞きたいなら、直接、俺に聞けばいいだろう……」
直樹は苦笑した。
「勘違いしてしまって、すまなかった」
「いえ…こちらこそ、勘違いさせてしまい、すみませんでした…」
長い沈黙の後、響が話し始める。
「直樹さん」
「なんだ?」
「個人的な話をしていいですか?」
「ああ、かまわない」
響が俯きながら声を震わせる。
「…僕はずっと、長男として…誰にも弱みを見せずに生きてきました…。
だから、直樹さんのように信頼できる、頼れる兄がほしかったんです…」
「……」
「…すみません」
眼鏡を外し、目頭を押さえる響。
そのまま直樹に背を向け、笑いをこらえる。
「響くん…、俺は君の義兄として、君の力になりたい…。悩んだときは、俺を頼ってくれ」
「ありがとうございます、直樹さん…」
響が振り向き、直樹に微笑みかける。
「直樹さんじゃなく、義兄さんでいい」
「では……義兄さん」
直樹が響の肩に手を乗せ
「それでいい」
と頷いた。
二人が笑った、そのときだった。
……ガタン。
扉の向こうから、小さな物音がした。
二人が同時に扉を見る。
「誰かいるのか?」
と、直樹が扉へ歩いていき、勢いよく開けた。
そこには、彩花と架純が立っていた。
「…………」
「…………」
二人とも驚いた顔をして固まっている。
直樹は腕を組んだ。
「人のことは言えないが、盗み聞きは良くないぞ」
彩花と架純は顔を見合わせた。
そして、観念したように小さく頭を下げ
「ごめんなさい」
と同時に謝った。




