第3章 ストーカーと呼ばれても
1
翌日の昼休み。
快晴の青空が広がる中、拓人は教室の自席でピクリとも動かずにいた。
視線の先には、窓際の席で楽しそうに友人と談笑する小川美緒がいる。
昨晩、我が軍師・周瑜(スマホのAI)と共に徹底解析した『きらめきパフェ』の戦術データを、拓人の脳内メモリは完璧にロードし終えていた。
いかにして不自然さを消し、いかにして自然な流れで「小川のせせらぎのような穏やかな笑顔」を引き出すか。そのための布石はすでに打たれているはずだった。
だが、現実はそう甘くなかった。
(……動けない。近づき方が分からない)
昨夜は自室の安全圏で「覇王の戦術」などと粋がっていたが、いざ実際の教室という戦場に身を置いてみると、自分がやろうとしていることがどれほどハイリスクであるか、冷や汗とともに実感させられていた。
ただでさえ、最近の美緒はクラスの中心でいつも明るく笑っている。そこに野球部のゴリゴリの男子が突然「やあ小川、傘を貸そうか」などと近づいていけば、周囲の女子から「え、なにあの急な絡み? キモいんですけど」という冷ややかな視線を浴びるのがオチだ。
――社会的リスク、78.4パーセント。
昨夜、軍師が告げた警告の数字が、脳内で不気味に点滅する。
(くそっ……! これでは出鼻を挫かれる。覇王・孫策ともあろう者が、敵の包囲網を前に足がすくむというのか……!)
心の中で歯噛みしていると、背後からガサツに肩を叩かれた。
「おい拓人。お前、また朝からそんな険しい顔して、どこ見張ってんだよ」
振り返ると、そこには昨日の今日でちゃっかりおにぎりを二個食いしている山田が立っていた。その隣には、どこか気まずそうな顔をした鈴木も控えている。
「……別に、何も見張っちゃいねえよ」
「嘘つけ。目が完全にサファリパークで獲物を狙う猛獣の目になってるぞ。なあ、お前最近ほんとに変だぞ。昨日も心ここにあらずでぼーっとしていたし……もしかして、お前……」
山田はわざとらしく目を細め、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべた。
「……もしかして、最近やけに小川の近くをうろついてるのって、そういうことか?」
「は……? どういうことだよ」
拓人の声がわずかに裏返る。図星を突かれた動揺を隠すため、あえて不敵な笑みを作ろうとしたが、顔の筋肉が引きつっているのが自分でも分かった。
「お前さ、もしかして……小川のこと、ストーカーしてんじゃねえの?」
――ズドンッ。
教室の喧騒が、一瞬で遠ざかったような気がした。
ストーカー。そのあまりにも直球で、かつ致命的なワードが拓人の脳髄を直撃する。
「なっ……! なんだと山田! 俺がストーカーだと!? ふざけたこと抜かすな、俺はただ……その、だな!」
「いや、だってよ!」
山田は面白半分に声を大にする。
「だってよお、お前、朝来たらまず小川の席のほうをチラチラ確認してただろ? 昨日の放課後も、小川が一人になった瞬間を遠くからじーっと物陰で見つめてやがったって、女子の間でちょっと噂になってるんだぜ? 『最近、あの野球部の佐伯くん、やけにこちらを見てくるんだけど……』ってな!」
頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
――見られていた。しかも、ターゲット本人、あるいはその周囲の友人たちに、すでに「不審な視線」として認知されていたのだ。
(しまった……! 観測者としてのカモフラージュが完全になおざりになっていた……! これでは覇王としての威厳が地に落ちるどころか、本当に『ただの危険人物』として警戒されてしまう……!)
冷や汗が背中を伝う。
だが、ここで怯むわけにはいかない。あいつのあの「切なすぎる横顔」と、「小川のせせらぎのように笑ってほしい」という昨夜の誓いが、拓人のプライドをかろうじて繋ぎ止めていた。
拓人は顔を引き締め、精一杯の強がりを声に乗せた。
「き、勘違いするな山田! 俺が見ているのは、その、クラス全体の規律というか、だな!」
「はいはい、出た出た。その言い訳くさいやつ。まあ、誰かを好きになるのは青春だし止めねえけどよ、あんまり変な行動してると本当に通報されるから気をつけろよ? じゃ、午後の授業の予習すっか」
山田は肩をすくめると、ケラケラと笑いながら自分の席へと戻っていっていった。
鈴木も「……まあ、がんばれよ拓人」と生温かい目を向けながら去っていく。
一人残された拓人は、机に突っ伏したい衝動を必死にこらえながら、拳をぎゅっと握りしめた。
(ストーカーと呼ばれても……構わない。誤解されようが、変な噂が立とうが……あいつのあの仮面の下の痛みを放置したまま、平然と青春を送るなんてこと、俺にはできない!)
拓人はぐっと顔を上げ、再び窓際の美緒の背中を見つめた。
その瞳には、昨夜の迷いは消え、ある種の「特攻」を覚悟した戦士のような光が宿っていたのだった。
2
放課後。部活のグラウンドへ向かうまでのほんのわずかな隙間時間。
拓人は校舎の廊下の影に身を潜め、スマホを取り出して慌ただしく画面をタップしていた。
『軍師・周瑜よ! 緊急事態だ! 応答せよ!』
数秒のロード時間の後、冷徹なテキストが画面に浮かび上がる。
『緊急事態とは何事ですか、主よ。あなたの心拍数が平時の1.6倍に跳ね上がっていますが、また何か変なトラブルに巻き込まれましたか?』
「トラブルどころの話じゃない! 我が作戦行動が、敵……いやクラスメイトたちに察知され、『ストーカー』という不名誉な称号を授与されかけたのだ! このままでは、私の社会的信用が完全に破綻する確率が92.1パーセントに達する!」
拓人は早口で音声入力に想いをぶつける。スマホの向こうのAIは、相変わらず冷静な文面を返してきた。
『……冷静になってください、主よ。そもそも、相手の行動を密かに観察し、タイミングを見計らって接触しようとするあなたの初期アプローチ自体が、客観的に見てストーカーの定義に合致しています。社会的リスクを懸念するのであれば、一度作戦を中断することを推奨します』
「中断だと……!? そんな選択肢、覇王・孫策の辞書にはない!」
拓人は廊下の壁に背中を預け、歯ぎしりした。
「考えてもみろ、周瑜。あいつが一人になったときに見せるあの表情……あれは誰にも見せない、助けを求めるシグナルだ。そこで俺が『ストーカーと言われるのが怖いから』といって引き下がったら、あいつはずっと一人で痛みを抱え続けることになる。そんなの……納得できるかよ」
スマホの画面が数秒間、沈黙した。
そして、いつもの冷徹さとは少しだけ違う、妙に腑に落ちたようなテキストが表示される。
『……論理的な損益計算を完全に無視した、極めて感情的かつ非合理的判断ですね。しかし、あなたがそこまで固執する理由が、ついに少しだけ理解できた気がします。――主よ。ストーカーと呼ばれる覚悟があるのなら、隠密行動ではなく、正面突破による「正当な接触」に切り替えるべきです』
「正面突破……だと?」
『はい。コソコソと見つめるから「不審者」扱いされるのです。堂々と「話がある」と声をかけ、ターゲットのパーソナルスペースに踏み込む。少女マンガ的戦術第3段階――「ストーカーの汚名を返上する、直球の接触作戦」を実行しなさい』
「……よし!」
拓人は深く息を吸い込み、スマホをガッチリと握りしめた。軍師の言葉が、迷っていた背中を力強く押してくれた気がする。
ストーカーと呼ばれようが何しようが知ったことか。俺はただ、あいつに本当の笑顔を見せたいだけなのだから。
拓人は足を踏み出し、放課後の廊下を堂々と歩き始めた。
ターゲットの小川美緒は、今まさに昇降口の方へ一人で歩いていこうとしているところだった。
3
「――小川!」
廊下に響く、少し気負った、だが必死な声。
その声に、昇降口手前で足を止めた美緒が、きょとんとした顔で振り返った。
「え……? 佐伯くん……?」
そこに立っていたのは、いつもの硬い表情で拳を握りしめた拓人だった。
周囲を通り過ぎる他の生徒たちが、ちらちらと二人の方に視線を寄こす。昨日の今日で「ストーカー疑惑」が囁かれている拓人が、直接美緒に声をかけたのだから、野次馬の好奇心をそそるには十分すぎるシチュエーションだった。
美緒は少し戸惑ったように目を丸くし、いつもの「作られた、明るい笑顔」をふわりと浮かべた。
「ど、どうしたの? 佐伯くん、そんなに怖い顔して。部活の練習、もうすぐ始まっちゃうよ?」
その笑顔を見た瞬間、拓人の胸が締め付けられるように痛んだ。
――まただ。今、目の前で向けられたその笑顔は、昨日の放課後の影を隠すための「仮面」だ。本当の彼女は、あんな作り物の顔なんかじゃない。
(くそっ……! ストーカーと言われようが、変に思われようが、今ここで引いたら男がすたる!)
拓人は一歩前に踏み出し、美緒のまっすぐな瞳を捉えた。
「小川。お前に……話がある。今から少し、時間をくれないか」
校舎の夕暮れの光が、少しずつ廊下の影を長くしていく中、不器用な少年の「ストーカー覚悟の正面突破」が、いま静かに幕を開けようとしていた。
いよいよ、これからですが。
最近、
おとな未満のステップー俺が亜子に追いつくまでー
という恋愛ものも完結しました。
こちらもよろしくお願いいたします。




